ジャンク・ノート 2 そういえば、以前はいつ寝ているのかと言われていた竜崎だが 今は率先して僕を引っ張って寝室に行く。 仕事をする気がないのだから本部にいたくないのだろうが、 僕を巻き込むのはやめて欲しい。 寝たいわけでも熟睡しているわけでもなさそうなのに。 「おやすみ」 「おやすみなさい」 探偵と容疑者が、何を馴れ合っているんだと言われそうだが 僕はどんな関係の相手にでも最低限の礼儀は欠かさないタイプの人間だ。 最初、何故かきょとんとしていた竜崎も、最近は促さなくても 挨拶を返して来るようになった。 「……」 「……なあ竜崎」 「何でしょうか」 おやすみを言った後に話しかけるのは礼儀に反するかも知れないが。 と思いつつ名を呼ぶと、即座に返事が返ってきてホッとした。 「おまえ、さり気なく僕に気を使ってくれてるよな」 「……何の事でしょう」 「寝る時、全く動かないだろ?寝息もしないし」 「死んでるみたいですか」 竜崎は、ベッドの中では驚くほど存在感がない。 時々一人で寝ているような錯覚に陥り、それはそれで安眠できるのだけれど。 「いや逆に、起きてるんじゃないか?起きてて僕がよく寝られるように じっとしてるんじゃないか?」 「そういう訳では」 「ダブルベッドが嫌なわけじゃないんだ本当に。 だからもう、そんな気を使わないで普段どおりにしてくれないか」 僕は長く錯覚出来るタイプではない。 隣に人がいるのだと思い出した途端、その事を僕に忘れさせる為に どれほどの配慮がされているのだろうと思うと逆に落ち着かないんだ。 「いえ、その辺りはさほど気を配ったつもりはないんですが。 ……でも、普段どおりにしても良いというなら、一つお願いしたい事が」 「ああ。何でも言ってくれ」 「私普段、寝る時は何も身に着けないんです」 「……」 え……?叶姉妹? いやいや、まあ、桁違いの金持ちには違いないし、普段のルーズな服装を見ても さほど意外ではない、よな。 などと瞬間的に考えたが。 「普段通りにしても、いいですか?」 「あ、ああ。いいよ勿論」 何でも言ってくれと言っても、普通は常識の範囲内の事を言うだろう! と心の中で悪態を吐いている間にも、竜崎は嬉々としてTシャツや ジーンズを脱いでいく。 ……嫌がらせ? いや、コイツは最初から普段着で寝ていた。 何故パジャマだのスウェットだのに着替えないんだろうと思っていたが 持ってない、のか。 買って来させもしなかった所をみると、常に脱ぐ機会を窺っていたのかも知れない。 「これでよく眠れます。寝ることに集中出来ます」 「……ああ」 「月くんも如何ですか?とても気持ちが良いですよ?」 「いや、僕は良い」 本当に全裸だ……風呂で見慣れてはいるけれど、 ベッドの中ですぐ隣に横たわっているとなると気になって仕方ない。 「何て言うか、竜崎って本当に変わってるよね」 「日本に来て初めて感じましたが、そうらしいですね」 「初めてなんだ……いや、人間くさくないというか。今までの友人とは全く違う」 「そうですか?試してみますか?」 え。何を? 試すって何を? 何かを試すような話はしていなかったと思うけど、どう誤解された? と混乱している間に、竜崎がごろんと転がってすぐ側に来た。 というか半分乗られた。 「嗅いでみて下さい」 「ああ、うん」 目の前に押しつけられた黒い髪を、どう拒んで良いのか分からず 戸惑いながらくんくんと匂う。 フルーツのような石鹸の香り、微かな、髪の皮脂の匂い? 「どうですか?」 上げた顔は近すぎる。 竜崎の鼻と僕の口が付きそうで、顎に生温い息が掛かる。 それを気にしてか、竜崎の声は囁くように小さくかすれている。 「いや……普通に。いい匂いがするけど」 「人間くさいですか?」 「ああ、えーっと」 東大に主席入学した竜崎が、日本語が不自由な訳ではないだろう。 では何故こんな訳の分からない誤解をした振りをして見せるのだろうか。 事件と関係もなさそうなのでストレートに聞いてみる事にした。 「何が狙い?」 「少し、抱いてみて下さい」 「……え。抱くの?おまえを?」 「はい。私、人とこんなに接近した事がないので、興味が湧きまして」 何を……言っているのだろう。 頭がおかしくなったんだろうか。 いや、コイツの事だから常人とは感覚が違うんだろうな。 好意的に捉えれば、差別意識とか貴賤に対する拘りとかがないんだろう。 だが僕は常識人なので、男同士のセックスは、ちょっと。 「何を勘違いしてるんですか。失礼しますよ」 竜崎は僕の返事を待たず、僕の背に手を回してぎゅっと抱きしめた。 「ああ、抱くってこういう事」 「はい」 「誰かと抱き合った事、ないの?」 「記憶にある限りではありません。つまり二歳以降ありません」 「可哀相だね」 「上から目線はやめて下さい。同情するなら、初体験に協力して下さい」 やっぱりおかしいと思う。 子どもならまだしも、大人の男がゲイでもないのに抱き合って眠るなんてことは 多分あり得ない。 ……コイツ以外は。 でも、僕にも母に抱きしめられた記憶があり 悪い夢を見て泣きだした幼い粧裕を抱いて眠った事もあり 勿論女の子と抱き合った事もある。 その一つ一つは大した事ではないけれど、その全てを知らないのは やはり哀れだと思った。 「いいよ」 だから、竜崎の頭の下に腕を入れ、女の子を抱きしめるように抱きしめた。 そうだった……コイツ裸だったんだ……ちょっと気持ち悪い…… そんな事を思いながら一分半ほど経った時、 「もう結構です」 「え?」 竜崎はこちらに来た時と同じ唐突さで、ごろごろと元寝ていた場所に転がっていった。 「やはり想像通り、疲れる物ですね」 「そう?」 「月くんに体重を掛けていないか、動けばどこかに当たってしまうのではないか、 私は疲れているけれど月くんはこの姿勢で疲れないか、とか。 色々考えますし筋力的にも辛い。 歌の詞などに良くある『抱き合ったまま眠る』などという事は不可能です」 「いや。不可能じゃないよ。慣れれば何とかなる」 実際、僕も最初は竜崎と同じ感想を持ったが、その内に学習した。 腕枕した時の頭の重みの逃がし方。 触れている面積は変えず、自分が楽になる体勢。 「じゃなきゃ誰も抱き合って眠ろうなんて思わない」 「そうですか……まあ、良いです。気が済みました。おやすみなさい」 ええー。あれだけの事をして「気が済みました」って……。 ちょっとはフォローの言葉とかお詫びとかお礼とかないのだろうか。 ないんだろうな。 本当にちょっとした興味だったのだろう。 抱き合うことが出来れば、相手は男でも女でも年寄りでも子どもでも 良かったに違いない。 何となく竜崎の過去が想像できたような気がして、面白いような 切ないような気持ちになりながら僕もすぐに眠りについた。
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