I Spy 3
I spy 3








「Lの代理として、一応大使には挨拶しますが他は自由に動きます。
 あなたは、まあ……護衛ですね。
 可能なら傍に居て、私が変なのに絡まれたら助けて下さい」

「はい、お任せ下さい」


広大な大使館の敷地、プーミパットが気を利かせて一般車両で来てくれたのだが、そのせいで門番に止められて往生した。
結局大使に電話をするハメになったが、ここで義理が立ったので良しとしよう。

少し遅れたせいか、大広間には客が揃っていた。
百人程度、思ったより小規模なパーティだ。
ワイズに気付かれずに過ごす事は不可能だろう。

一応目立たぬよう、プーミパットと共に壁際に立ったが、夜神を傍に侍らせたワイズが目敏く私を見つけたようだ。
隣に向かって何か話す。
ワイングラスを手にした夜神もこちらを見て相当驚いたようだが、すぐに目を逸らしてワイズに向かって肩を竦めて見せた。

私はこっそりとイヤホンを装着する。
夜神のマイクからPC、私の携帯端末、と経由した音声は彼等の口の動きよりだいぶ遅かったが、それでも話の内容は分かった。


『ほら、あれ』

『……』

『ラージではないかね?』

『に、見えますね……』

『こんな所に来られるような男だったのか……意外とキャリアなのかな?』

『さぁ。そんな風には見えませんが。どこかの企業の二代目か何かかも知れませんね』

『ちょっと挨拶して来よう』

『やめて下さい。気まずい』

『美しく着飾った君を見せびらかしたいんだ』


つやつやとしなやかな光を放つスーツに太い縁の眼鏡。
左手首に金色のロレックス。
美しいというよりは悪趣味だが、とにかく華やかで、セレブのようではある。
グッチのスーツのお陰で、ロレックスが本物らしく見えるのは皮肉だった。


『僕は、』


抗議の声を無視してワイズが夜神の腕を取った所で、流れていた音楽が止まる。
設置されたスピーカから『test、test、』という小さな声が聞こえた。


『ご来賓の紳士淑女の皆様。
 ジャドゥポーン様のご子息、アイス君にピアノ演奏を頂きます。ご静聴下さい』


窓際にあるグランドピアノに、注目が集まる。
そこにはタキシードを着るには若い……というより幼い、美しい少年が座っていた。
ジャドゥポーンと言えば、王族にも名を連ねるタイ随一の財閥だ。
当主の直系でないとしても、相当裕福な暮らしぶりだろう。


「彼は?」

「有名ですよ。国内のピアノコンクールは総なめ、年の半分はイギリスにピアノ留学しているそうです。
 加えてあの顔ですからね、私でも知っている」


プーミパットは、感情を交えずに答えた。
目を閉じて数秒集中した少年は、ふわりと手を持ち上げて鍵盤に指を置く。
ベートーベンの有名なピアノソナタ、「月光」が流れ始めた。
皆が、思わず窓の外に今宵の月を探した程に、やけに凄味のある音色だ。

私は、軽く混乱していた。
あの、ふさふさとした長い睫がまさに一昨日、間近で見ていた物だからだ。

いや、髪が短い……それとも鬘だったのか?
だとしても、雰囲気が、違いすぎる。
確かに顔の造作は瓜二つと言っても良いが……。

ジャドゥポーンの御曹司が、女装してパッポンで客引きをする理由がない。
何らかの理由で私がLだと知り、無理矢理近付いた可能性もゼロではないが、金が無いと言った後の反応を見れば、それも無さそうだ。

他人の空似、か。
それにしても。

静けさの中にもドラマティックなメロディラインが途切れ、二呼吸置いて妖精が舞うような第二楽章が始まる。
なるほど、あの若さにしてプロ顔負けの表現力だ。


『まだ子供なのに凄いですね、彼』

『ああ。見事な腕前だろう?イギリス仕込みだそうだ』

『それでイギリス大使館のパーティに』


イヤホンから、ひそひそとした話し声が聞こえる。
ピアノの音が邪魔で聞こえにくいので、左耳を手で覆った。


『政府とも繋がりがあってね、向こうではいつもある官僚の屋敷にホームステイしている』

『…もし…と……か?』

『そう。ここだけの話だが、その官僚の“可愛い人”らしい』

『それは……何とも』

『まあその官僚も最近死んだから、これからどうなるか分からないがね』

『!』

『しかし、身近な人が死んだというのに演奏に全く乱れが無い。大した物だ』


夜神が息を呑んだのと同じタイミングで、私も思わず呼吸を止める。
あの少年が、死んだ三人の官僚の内の誰かの愛人だったとは……。

この少年の愛人であった官僚が滞在したホテルのある、パッポン。
そのパッポンに出没する、同じ顔をした少年。

偶然……なのか?


「月くん。あの少年のプロフィールと誰の愛人だったのか。
 可能な限り聞き出して下さい」


私はプーミパットから離れながら、マイクに向かって囁く。
プーミパットはすぐに気付いて追って来たが、聞かれはしなかっただろう。
短い第二楽章が終わり、最も派手で技巧的な、第三楽章が始まっていた。


「el……ラージ、どこへ行くのですか?」

「彼の演奏が終わったらすぐに捕まえてお話ししたくて。
 どうせ逃げるように退出するんでしょう?」

「不味いですよ……身分を明らかにしないのならば、ジャドゥポーンに手を出さないで下さい!」


勿論、自分がLだなどと言うつもりはないが。
私が無視して歩こうとすると、プーミパットが肩を掴む。
ウエイト差があるので、そうなってしまうとびくとも動かなかった。


「離して下さい」

「嫌です。あなたの身の安全の為です。
 せめて、大使経由で紹介を頼んで下さい」

「そんな事をしたら名乗っているような物ですよ」


足を掛けて転ばせようとしたが、さすが現役警官、バランスを崩さない。
それどころか両腕を取って自分の腕の中に抱き込んで来た。


「ラージ……どうかこのままで」


狂乱を思わせる激しい演奏のせいで、我々の小競り合いとラブシーンに気付いている者はいない。
と、思ったが、ピアノではなくこちらに鋭い視線を寄越している者が一人居た。


「レック……」

「はい」

「分かりましたから。諦めますから、離して下さい」

「本当ですね?」


プーミパットはそっと私を離すと、ネクタイを直してくれる。
夜神は既にピアノに視線を戻していたが、こちらを気にしているのがありありと分かった。
後で揶揄われるかも知れないと思うと、舌打ちしたくなる。


「ただでさえあなたの制服は目立つのに、その警察官に拘束されていたら私、完全に不審者ですよ……」

「す、すみません!」

「こちらを見ている者もいます。取り敢えず出ましょう」


プーミパットを先に立たせて、会場を後にする。
ドア際でちらりと夜神を見たが、ワイズに別の男性を紹介されている所だった。


『……れが…ャン…ユイリャンという……いだろう?』

『……い、英語は……タイ人……ね……』


金属の扉のせいか、上層階がある場所に入ったせいか、音声が途切れがちになる。
どうやら年若い友人という態にしてあるようだが、まあ、愛人とは思われるだろうな。


『クンミー……タウライ……』

『すみま……タイ語は……』

『ヤーノークジャイ……』

『彼は、“浮気をしたら殺されるぞ”と……勿論冗談だがね……』


ぞくりと。
夜神の肌の粟立ちが伝わって来るようだ。
この男……。


「ラージ?」

「ああ、はい」

「爆弾、探しますか?」

「いえ。プロの人がさんざん探したんでしょうから無理でしょう」

「テロ事件の捜査に進展はありましたか?」

「それはこちらの台詞ですが。
 あの脅迫文には期限が書いてありませんでしたが、犯人からの新たな要求などはないんですか?」

「それが何も、」


その時、廊下の角から白いハンカチで手を拭いながら、黒い人影が現れた。






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