不眠症 1 竜崎は、殆ど眠らない。 生活を共にするようになってから初めて気付いた。 僕も睡眠時間が短い方だと思っていたが、絶対に僕よりも先に寝ない。 一緒にベッドに入っても身体を丸めて指を咥えながらこちらを見つめている。 「何」 「いえ。別に」 気まずくて何度か聞いたが、竜崎はたじろぎもせず、目を逸らす事もなかった。 仕方がないので気にしない事にして目を閉じるが、五分後に不意打ちで目を開けると やはり瞬きもせずにこちらを見つめている竜崎と目が合う、という事が重なって。 僕はいつしか、意図的に無視するようになった。 「……竜崎と同じベッド、か……」 何気ない雑談でつい愚痴ると、松田さんが盛大に引いた顔をしていた。 「僕はシングル二つが良いんですが、竜崎が」 「ああー、ベッドから落ちるのが嫌だとか、色々あるんだろうね」 「だからって、こちらが睡眠不足になる事も考えて欲しいです」 「ううーん……」 気付くと模木さんが、こちらを見ていた。 「はい?」 「その……月くん。そういう事は、局長の耳には」 「ええ、分かっています」 唯でさえ、心労で白髪が増えた父だ。 僕の些細な愚痴で煩わせたくない。 小さな事でも息子だと思えば気になるだろうし。 「すみません。ちょっと愚痴を零しただけです。 僕なら竜崎とも、十分上手くやって行けますよ」 「で」 「で?何ですか?」 「頼むから、甘い物をもう少し控えてくれないかな」 「何故ですか?」 「見ている方が気持ち悪いから! どこにそんなに入るんだ?何故吐かないんだ?おまえの味覚はどうなっている?」 「……」 竜崎は僕の方を見ず、小さなジョッキに入ったシロップを 見せつけるようにごくごくと飲んだ。 嫌がらせか! 「おい……!」 思わず口を押さえて叫んでしまう。 本当に、どうなってるんだ! 空になったジョッキを逆さまにして、垂れた滴を長く突き出した舌で受けて。 最後の一滴まで飲み干した後、竜崎は満足げにぺろりと上唇を舐めた。 「見ているだけで吐き気がする……体壊すぞ?」 「壊しません。順応していますから」 「そんな物に順応するものか」 Lは少し俯いてニヤリと笑い、チョコレートに手を伸ばした。 「昔、甘い物を食べすぎて吐いた事があります」 「だろうな!」 「その反動で三年程甘い物を一切受け付けず、野菜ばかり食べていましたが……」 それはまた極端な。 でも僕も、無理矢理これだけのカロリーを摂取させられたら 当分は水と野菜以外受け付けないかも知れない。 「その後は、お菓子だけで生命を維持出来る体質になりました」 「……」 何だかもう、文句を言う気も失せた。 本人が、菓子で生きて行けるというのなら、生きて行けるのだろう。 寿命は絶対に縮んでいると思うが。 それを他人の前でしないで欲しいというのは、僕のエゴだ。 しかし共に暮らす者として、やはり看過できない。 「……僕が、何か旨い物を作るから」 「夜神くんが、ですか?」 「ああ。折角キッチンがあるんだ。 子どもメニューならおまえも食べられるんじゃないか?」 「子どもメニューって何だか分かりませんが。 夜神くんの手料理には興味ありますね」 仕方なく、僕がオムレツと簡単なサラダを作った。 竜崎は、最初は胡散臭そうに口を付けたが、結局全部平らげた。 またある晩、ふと目を開けて顔を横に向け、竜崎の方を見るとやはりこちらを見ていた。 「……」 「……」 今日はいつもとは違い、無言で真っ直ぐに見つめ返してみたが、 やはり目を逸らさない。 実は寝ていて瞼の上に目を描いてあるのではないかと思う程、 微動だにせず僕を見つめていた。 こうなったら、持久戦だ。 竜崎が目を逸らすか閉じるまで、僕も目を逸らさない。 「……」 「……」 そう決めて見つめ続けたが、体感時間で一分ほど経過しても、竜崎は動かなかった。 人と目が合ったまま何もしない、というのが、これ程の苦痛だとは。 「……」 「……」 鏡か絵を見つめているとでも思うしかないが、それにしても夜中にこの状況だと思うと 頭がおかしくなりそうだ。 「……」 「……」 じっと見つめていると、目が、目でなくなり、暗い洞穴や黒いボタンのように、 無機質に見えてくる。 やがて黒い丸ですらなくなり、僕の世界の全てに、宇宙の深淵になって行く。 「……」 「……」 と思えば、突然それは「目」に戻り、僅かに背筋が寒くなる。 体感時間で十分。 という事は、実際は五分ほどか。 時計を見たいが、目を逸らすわけには行かない。 「……」 「……」 それから更に倍ほど経過した頃、不意に竜崎に動きがあった。 手を、毛布から出したのだ。 「……」 「……」 それでも目を逸らさないでいると、視界の脇のその手はまっすぐに 僕の方に伸びてきて……頬に、触った。
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