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鉄の匂いに、目が覚める。
口の中が、やけに腫れている感じがする……。
舌で触ると、右の上下の奥歯が砕けて減っていた。

唇から垂れた何かが固まってパリパリする。
血の味に……吐き気が、


「本当は親知らずだけ消してやろうと思ったのに、お前が動くから」


ああ……夢でも何でもないんだな。
酷い、酷い現実だ。


「奥歯をやってしまっただろう?」

「……」

「まあ、左を“治療”する時は動かないように頑張るんだな」


うそ、だろう?
まだやるつもりなのか。


「そんなに怯えなくても大丈夫だ。
 するとしたら、右が完全に治ってからだから」


また、気が遠くなりそうになる。

いや、それがコイツの狙いだ。
最初に酷い事をして、怯ませる。
それから終わりが見えないような物の言い方をして、僕の心を折るつもりだ。
だが身体に傷を付ける事はしないような事を言っていたので、後は出来る事は知れている。

負けるもんか。

絶対に、自白なんかしない。


「僕は、」


ああ、口の中が腫れて喋りにくい。


「僕は、キラじゃないんだから、自白なんか出来ない」


Lは楽しそうに顎を上げると、僕の顔を片手で掴んでいきなり口を付けてきた。
思わず反射的に、その唇に噛み付く。
男はすぐに離れ、血の滲んだ唇を美味そうに舐めた。


「いいね、それでこそキラだ」


狂ってる……この男は、狂っている。

学校帰りに拉致されてから、どのくらい時間が経った?
三時間?四時間?
最低でもその位は経っているだろう。
母が心配しているかも知れないが、学校から直接塾に行ったと思われているかも知れない。

その位の時間だ。
だが、後三時間もすれば、帰宅しない僕に痺れを切らして塾に問い合わせる。
それから友人達に電話をして……それでも見つからないから父に通報するだろう。

そうすれば携帯のGPSで……。



初めて、コイツが僕の鞄の中を調べていない筈はない、と気付く。
携帯の電源は切られている、か。
デスノートは家に置いておいて良かった……。

しかしともかく、あと一日持ちこたえれば救助が来る可能性は高い。
あと一日……。




「これが何か分かるか?」


油断した、気付けばLの顔がすぐ目の前にあった。
差し出された人差し指と親指で挟んでいるのは、有名な化粧品メーカーの名前が印字された小瓶。
13mlと記載されている。
その中身は赤黒い。


「……マニキュア」

「正解。ではそれが意味する物は?」


……そんなもの。見た瞬間から分かっていたが。
答えたくもない。

いや、もしかしたら違うのではないかという、万が一の希望に縋らずにいられない。
自分の脆弱な精神に思わず舌打ちする。


「意味は?」


Lはいたぶるように、僕の頬を小瓶で撫でて繰り返した。


「……おまえは僕に、外から分かる傷はつけたくない、と言った」

「正解」


まだ言い終わらないのに、答える。
もう待ちきれないかのように。

そしてLは、床に置いてあった丸めた革のような物を拾い上げ、僕の目の前でわざとゆっくりと広げてみせる。


「ありふれた品で申し訳ないが」


そこには、裁縫で使う待ち針より長い、持ち手の付いた針が沢山刺さっていた。


Lは、僕の左手の向こう側に跪く。
肘掛けに縛り付けられ、握りしめた手を馬鹿力で開いた。
そして、中指だけを掴んで肘掛けの先に押しつける。


「……本気なのか」

「勿論」


頭が、おかしくなりそうだ……。
Lの長い指が、手品師染みた手つきで僕の中指を押さえ、反対の手でこれまた芝居がかった仕草で針を構える。

それが、中指に近付いて来て。
震えもせず、正確に爪の下に。
さっきのドリルを思えば、こいつは本当に躊躇いもなしに“それ“をするだろう。
緊張で、心臓が爆発しそうだ。





「くっ……!つぁ!」


針が。細い針が。
指の肉と、爪の間に……!
じわじわと、入り込んで来る……。
これまで感じた事のない種類の痛みに、目が潤む。


「おまえは、キラか?」


頭が、茨の冠で絞り上げられているようだ。
痛すぎて、痛覚を感じる場所がおかしい。


「かはっ」


痛すぎて、吐き気がする。
声も出ない。
針が0.01ミリメートル進むだけで、気絶したい程痛い。


「おまえは、キラか?」


いや……待て。
答えてはいけない事が分かる程度には、僕も冷静だ。
というか、最初に針が入って来た衝撃が一番大きくて、それ以降は少しづつマシになっている……


「ぎっ!」


また針を少し進められて、涙と涎が垂れる。
顔中から汗が噴き出す。
目に汗が入って、染みる事に何故か救いを感じる。


「……キラじゃ、」


針。
歪んだ視界に、自分の左手が入って来る。
針が、爪の中程まで入り込んでいる。


「キラじゃ、ない!」


直後。
爪の根元まで一気に針が入り込んで来そうな想像に、気が遠のきかけたが。


「うわああああ……!……あ?」


……針は、あっけなく抜けていた。
拍子抜けして一気に血が通い、また意識が朦朧とする。

だが、爪の先にぷくりと小さな血の玉が出来て、それが徐々に大きくなって来たのを見た時、助かった……と、思った。


「本当に、ゾクゾクするね、お前」

「……」

「出来るだけ傷は小さくしたいから、鍼灸用の細い針にしたけれど。
 普通使うような錐みたいな針だったら吐いてたな」


普通って何だよ……。
普通は拷問なんかしないんだよ!


「試してみたいが、これ以上血が出ては不味いからやめておこう」


それからLは、最初の小瓶を取り出して蓋を開けた。
揮発性の匂いに、頭がくらくらしそうになる。
真顔で僕の中指に塗り始めたが、もし手元が狂って傷口にマニキュアがついたら、今度こそ恐らく絶叫してしまう。
僕はただ、息を殺して自分の爪にマニキュアが施されていくのを見つめていた。






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