FROZEN 1
FROZEN 1








あ。



口の中で思わず呟く。
よほど近くに居なければ聞こえない程度ではあるが、確かに声が出ていた。

この僕ともあろう者が。





昔。
探偵Lを殺し、ニアを懐柔し、それから。

長い年月を掛け、この地球を僕が作り替えた。


今この星は緑に溢れ、動物たちが生き生きと過ごし、
重犯者はほぼ皆無で、戦争も紛争もない美しい宝石のような世界だ。

才能は生かされ、努力は報われ、優秀で心の美しい人が溢れている。

才能もなく、努力もしない人間は……まあそれなりの境遇だが、それは自然の摂理だろう。
人類を種として向上させるに相応しい人間だけが生き残り、それ以外が淘汰される。

勿論、僕が手を下して淘汰する訳ではない。
今はデスノートを使う必要も、殆どない。




「働きアリの法則」というものがある。
蟻の集団を細かく観察すると、よく働きリーダーシップを取る個体は全体の二割らしい。
そして六割は普通に働き、残りの二割は怠けているそうだ。
しかしその怠ける個体を取り除くと、驚くべき事に残された蟻の中から、怠ける奴が同じ割合で出現するらしい。

また、二割のエリート蟻だけを抜き出しても、その中の二割は怠け始める。
それは蟻に限らず、動物でも人間でも同じだそうだ。
確かにそうだ、エリート集団である筈の東大の中にも、二割くらいは遊んでばかりの輩がいた。

学者は確か、怠ける個体群は予備の労働力として必要なのだといった結論に結びつけていたが。
僕は違うと思う。

見下されるべき、軽蔑されるべき存在として、必要なのだ。
ああはなるまいと自らを戒め、向上心を忘れさせない為の存在。

IQ分布のグラデーションに二割八割で線引きがある訳でもあるまい。
そこにあるのは単純に意識の差だ。

下から二割というのは、「自分は見下されるべき存在だ」という自覚が出る割合という事だろう。

そんな奴らは、この社会に必要だ。
働き蟻のモチベーションを高める為に。
あるいは、有事の捨て駒となる為に。






そんな訳で僕は、多少の難はあれどもこの世界を作った自分に満足している。
勿論、自分がキラだなどとはごくごく一部の人間にしか知らせていない。
今は一般人の公務員として、更に世界を良くする為に働いている。

と言っても昔のように凶悪犯が横行する訳でもなく、組織犯罪も表面上はない。
警察は事故や災害で混乱した秩序を速やかに回復し、二割の怠け者が起こす突発的で短慮な事件を解決する。
僕自身は現場に出る事は殆どなく、後方で指揮やサポートをするだけだが、それでもやり甲斐のある仕事だ。

ただそんな僕でも近頃……。

何とも、言うに言われぬ妙な空気を感じる事がある。
僕は石頭の科学信者ではないので直感や霊感を頭から否定はしない。
頭に自然に浮かぶ物事というのは、意識では管理しきれない脳からの啓示、あるいは警鐘という可能性は充分にあるので。

その僕の直感が騒ぐのだ。

この社会はまだ完成していないと。
どこかに、どこかに、見えない瑕疵があり、そこから崩壊しかねない脆い物だと。


そんな時には僕は電話をする。


「……ニア?」

『はい』

「良い子にしているか?」

『大人しくしているかという意味ならしています。
 大人しくする事しか出来ない人間ですから。元々』

「パズルは解けたか?」

『また二重スリット実験に話が戻っている所です』


僕の、キラは世界を救う為に出現したという主張に反論できなくなったニアは、某所に軟禁した。
と言っても元々外に出るタイプではなかったらしく、特に苦でもなさそうだ。

それから人間科学や心理学、精神医学、宗教学の専門家とチームを組ませ、人類の存在意義と人類はどこへ向かうべきかという壮大なテーマの研究をさせている。

彼によれば、「すべては必然である」という仮定は証明できる可能性が高くなってきたらしい。

余計な事をしないよう暇を潰させるつもりで始めた事だ。
しかし案外遠からず、リュークのような気まぐれな死神が現れた事、デスノートが人間界にやって来た事、それを他ならぬ僕が拾った事などに、整合性のある必然を見出すかも知れない。


『ライト』

「何だ?」

『今、時間は大丈夫ですか?』


電話を切ろうとすると、珍しくニアの方からおずおずと話し掛けて来た。


「ああ。急ぎの用件はないが」

『少し無駄話をしても良いですか』

「いいよ。僕で良ければ聞く」


ニアは、僕がもうデスノートで人を殺していない事を知っている。
以降は僕自身に対しては完全に興味を失っているように見えたが。


『夜見る夢の話です』

「ああ、夢は現実の断片と、それから超自我からのメッセージ……だったか?」

『私自身が最近見る夢です』

「?」

『最近、Lの夢を見るんです』

「……」


L。
かつての世界一の頭脳。
影の支配者にして、世界の切り札。

彼と過ごしたのは人生の中のたった数ヶ月だったが、僕の中ではあり得ない程刺激的な存在だった。
怒りに我を忘れ、緊張して、手に汗握って、アドレナリンが出て、大学入試よりも頭を使って。
あれほど自分の頭脳と、誰かの頭脳と、真剣に向き合った事は無かったし今後も無いだろう。

彼を上手く嵌めて自分の計画通りに記憶を取り戻した時。
そして上手く彼を殺せた時。
その射精しそうな快感を、僕はまだ忘れる事が出来ない。

だが、所詮過去の人間だ。
あんなに面白い人間には会ったことがないから、生かしておいても良かった様な気がするが。
彼を殺していなければ僕の方が死んでいたに違いないので、あれで正解だ。

それにいくら色鮮やかな記憶でも、もう遥か彼方で消え入りそうなセピア色に変化している。


「L、ね。どんな夢?」

『別に。ただ目の前に、あるいは風景の中のどこかに佇んでいるだけで。
 でも非常な圧力を感じるんです』


ああ……さすがニアの説明は無駄がなくて分かりやすい。
その光景が僕の目の前にも浮かぶようだ。


「その夢に対する自己分析は?」

『さあ……最近入って来た情報のどこかにLを想起させる物があった訳でもありませんし』

「18歳までの自分を思い起こすような出来事は?」

『毎日自分の深層心理を掘り起こすような作業ですからそれはありますが、昔からです』


現実の記憶の断片……の可能性もあると思ったが、ニア自身もそれについては考え尽くしたのだろう。


「では……ニアが本来感知出来ない何かからのメッセージ……」

『ゴーストという解釈で良いですか?』

「僕には分からないけれど」

『そちらの専門家を紹介して貰えますか?』

「分かった。伝手を辿ってみる。……ニア」

『はい?』

「何故その話を、僕にした?」


電話の向こうは無音だったが、息を呑んだのが見えるようだ。
きっと前髪を弄んでいた指が止まっている事だろう。


『……それは、あなたに話すべきだと思ったからです。
 もしかしたら夢の中のLに指示されたのかも知れません』

「なるほど」


こんな形で忘れかけていた相棒に。
僕の人生を形作った人物の記憶に再会するとは思わなかった。

今夜は、Lの夢を見るかも知れない。






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