初恋 30 「あの巫山戯た結婚式も、方便の為、か……」 「……」 「そんな事じゃないかと、どこかで思っていたよ。 だから安心した」 「安心……ですか」 「ああ。僕もおまえをハメてやろうと思って、 好きでもないのに、好きだと言ったから」 「……」 傷ついたような顔なんて、させない。 許さない。 おまえは僕を陥れる為に、僕を愛した振りをした。 けれど僕は引っかからなかった。 僕はおまえを陥れる為に、おまえを愛した振りをした。 おまえも引っかからなかった。 ただそれだけじゃないか。 それ以上でも以下でもない。 「……あなたは、私を罠に掛ける為に、落ちた振りをした。 そういう解釈で良いですか?」 「ああ」 「つまりそれは、自白と取って良いですか? あなたがキラでないのなら、私を罠に掛ける必要は無いですよね?」 「……」 「私が迫っても、ただ拒み通せば良かった話です。 馬の駆け比べも、乗る必要は無かった」 ああ……そうだな。 確かに、僕はただおまえを拒み通せば良かった。 馬鹿だった。 「さあね」 僕はヘッドレストに頭を預けて外に顔を向けた。 窓の外に広がっていたのは、瞼に染み入るほどの、青い空だった。 「夜神くん?」 「……僕は、」 おまえなんか、これっぽっちも好きじゃ無かった。 ずっと敵だと思っていた。 遠からず殺す相手だと。 おまえに他の事件の相談をされても、嬉しくなんかなかった。 初めて触れ合う他人だと言われて、心躍ったりなんかしなかった。 キラとLがどこか似ていると言われて、ワクワクしたりなんかしなかった。 一緒に濡れませんかと言われて、ドキドキしたりなんかしなかった。 流河と他の大学生の会話を聞いて、内心面白がったりなんかしていなかった。 一緒に本気で肝試しをして、楽しんだりなんかしなかった。 おまえに私の物になって下さいと言われて、抱きしめられて、 情が移る事が怖くなったりなんかしなかった。 おまえにレイプされそうになって、「これで流河を嫌いになれる」と どこかで安堵したりなんかしていなかった。 真夜中の、薄暗い洋館の広い廊下、タイル張りの洗面所。 僕をゆるく抱きしめて、良い匂いがすると言った。 青鹿毛の、つやつやした首筋。 流星号の鼻筋の、美しい流れ星。 倒木。 古くて小さな教会。 震える、誓いのキス。 初めて流河に素直に感嘆した、美しいドイツ語。 死蝋の湖。 幻想的な、霧の中の小舟。 奴隷のように目隠しをして、僕の足の間で這いつくばった流河。 天蓋付きベッドの上で、初めて身体を繋げて。 僕は、はしたない程感じた。 Freundschaft ist eine Seele in zwei Korpern. ……友情とは、一つの魂がふたつの体に分かれて入っている事。 僕は、おまえに、 生まれて初めて、 そんな事も、 本当にあるかも知れないって、 本当に、 魂の、 片割れ、 かも知れない、 だなんて。 「夜神くん」 「僕だって……おまえなんか、好きじゃ無かった」 「……」 「おまえが僕の事を、ただの容疑者だと、思っていた事なんて、 最初からお見通しだった」 「……」 「僕が、本当に、キラだったとしても、おまえなんか、」 「夜神くん」 「おまえなんか、」 「なら何故、泣いているんですか?」 辛うじて絞り出していた声が、遂に途切れる。 おまえなんか好きじゃ無い。 何度でも言いたいのに、言葉が出ない。 ただ食いしばった歯の間から、軋むような唸り声が出るだけだ。 「夜神くん、夜神くん、違っていたら申し訳ないのですが、」 鼻水が、鼻先に溜まる。 ぼたぼたと、水滴が膝の上で握りしめた拳に落ちる。 「私の事を、愛していますか?」 僕は涙に濡れた拳を、もう一度振り上げた。 だが今度は、勢いなく流河に止められる。 両手首を掴まれ、項垂れたまま、ただただ首を横に振り続けた。
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