初恋 26 匂いで何をしていたか分かる、とは思わないが。 僕は用心して、早めに風呂を沸かし、夕食前に一番風呂を貰った。 「お。夜神くん風呂上がりか。色っぽいなぁ」 「お先にすみません。汗をかいてしまってどうしても気持ち悪くて」 「いや全然かまへんよ」 流河にも石鹸で手を洗わせ、匂いは消したつもりだが それでもさっきまで僕の尻の中に入っていた指を、平気な顔で咥えられるのは どんな神経だと思う。 夕食は、教授の土産のローストビーフに、関西弁先輩が作ってくれたミネストローネ、 ある意味この洋館に相応しい典型的な洋食だった。 「三笠くんは、全然釣れなくて残念だったね。当たりもなかった訳?」 「ありませんでしたねぇ」 「と言うかこの湖、生命感無くないですか?」 「そうそう。そうなんだ」 「水草すら少ないですし。一度水質を調べた方が良いかも知れませんね」 珍しく流河が皆の前でも饒舌だ。 余程機嫌が良いらしい。 ……昼間僕にあんな事をしたから、でなければ良いが。 「未発見の成分が湧き出とったらどうするっちゃね?」 「それが人類に役立つ物かどうかに依るね」 「特効薬も毒になる。兵器にしか使えんでも、戦争になれば大いに役立つしなぁ。 要は時代と使いようやな。絶対に役立たん、という事はあらへんわ」 「その前にこの辺の土地は東大の物なのか? もし金になる成分でも、研究が終わったらハイさようなら、で 横取りされる可能性があるぞ」 「ここは建設当時から東大の土地ですよねぇ?先生」 「はい。東大の土地というよりは、国の土地ですが」 そんな馬鹿話をしながら、夕食会は進む。 食事が大体終わり、僕は皆の皿を集めて洗い物をした。 「夜神くん、ええよ。俺らが寝る前に片付けとくから」 「いえ。これだけはさせて下さい。もう失礼しますし」 「え。もう寝るの?教授も居やはるのに」 「はい。今日はちょっと疲れてしまって」 「そうなん?あ、じゃあ今の内に部屋交換しとこか」 「はい?」 聞いてみると、屋根裏の使用人部屋と、豪華な主寝室に泊まったメンバーは 翌日は部屋を取り替えると最初から決まっていたらしい。 「そやないと不公平過ぎるしね」 「いえそんな。籤ですし」 「いやいや、これも恒例やし。気にせんと部屋移ってな。 あ、シーツ持って行くん忘れんといてや」 面倒な事になったようだが、仕方ない。 僕は洗い物を終わった後、(濡れた食器は関西弁先輩が拭いてくれた) 流河に声を掛けて、屋根裏部屋に戻った。 「これは凄いですね」 主寝室は、昨夜寝た屋根裏部屋に比べると、十倍くらいの広さがありそうな ゴージャスな部屋だった。 そこに、天蓋付きベッドが二台。 ベッドとベッドの間にはバルコニーへの出口があり、そこからは 湖が一望出来る。 どうやら昨夜の部屋のほぼ真下らしかった。 「流河の育った部屋に似てる?」 「いえ。さすがにここまでは」 言いながらも、物珍しげにあちこち見回している。 僕は、早速シーツを替えて、片方のベッドに潜り込んだ。 本当に早めに寝るつもりだが、気が気では無い。 流河がもし……、 「これだけの部屋なら、我々の初夜に相応しいですよね?」 ……やっぱり言い出したか。 「流河。さっきも言ったけど、僕は疲れていて」 「嫌なんですか?」 「……」 絶対にしてはいけないと、敵とそんな関係になるなんて有り得ないと、 基本的には思う。 だが。 もう体を許したも同然だろ、今更拒んでも怪しまれるだけだ、と 囁く声もある。 「夜神くん」 「……うん」 「あなたがお皿を洗っている間に、私お風呂に入りました」 「……」 「恥ずかしいんですか?」 「……というか、怖い」 何とか……何とか、この場を逃れる方法は無いのか。 無理なく、怪しまれず、肉体関係を先延ばしにする魔法の言葉は。 流河はゆっくりと僕のベッドに近付き、覆い被さって来て顔に触れた。 拒めない。拒めば関係が崩れる。 それから、冷たい手は僕の首を撫で下ろし、肩に至って そのまま自然に僕を押し倒して上に乗り、抱きしめた。 流河の癖に、まるで映画の中のような事をする。 「夜神くん、Freundschaft ist eine Seele in zwei Korpern……」 突然耳元で、ドイツ語を囁かれてぞくっと身震いした。 「……何、急に……」 「今日ドイツ語を話した時、あなたの反応が良かったので。 die Freundschaftは『友情』です」 「ああ、Friendship」 先延ばしにする為なら、拒む台詞を考える時間を稼ぐ為なら どんなつまらない会話でもする。 「eine、zwei は知っていますね?」 「ああ」 「Seeleは精神、Korperは肉体です」 抱きしめられたまま、耳に流河の息が掛かる。 自分の鬢の毛が、さわさわと耳朶に触れる。 「なるほど……格言か何か?」 「いえ。アリストテレスの言葉ですよ。 まるで、私達のようではありませんか?」 「僕達の間に流れるのは、Friendshipか?」 「簡単に言葉に出来る精神、感情ではありません。 友情、恋情、劣情、その辺りの境界線は恐らく曖昧です。 何せアリストテレスはあのプラトンの弟子ですから」 流河は意味ありげに、含み笑いを漏らした。 「おまえは僕に、」 何を求めているんだ? 何が言いたいんだ?
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