初恋 19 足の裏がぞわりとして、総毛立つ感覚の後、ずしん、と馬らしくない音を立てて 地面に降り立った。 思わずバランスを崩しそうになり、慌てて踵に力を入れて馬の首にしがみつく。 そうだ。 馬に任せて、とにかく下手に手綱を引かない事……だった。 ともかくどうやら無事、倒木を飛び越えたらしい。 これは馬も得意不得意があるから、運だったな。 僕は、振り向かずに拍車を入れた。 もしかしたら、流河は落馬したかも知れない。 振り向いてそれを確認してしまえば、僕も馬を下りて助けなければならない。 そうすれば、この勝負は無しになる。 絶対に負ける訳に行かない、そしてこのまま行けば勝てるであろう勝負が。 手を抜かずに全力で走ったが、背後に蹄の音はなく、 僕は教会に到着した。 膝を緩めて手綱を引き、馬を止める。 昼間見ると一層古びていたが、蔦が絡みついて花が咲き、 思ったより雰囲気の良い場所だった。 もう負ける事はないが、急いで鐙から降りて繋ぐ場所を探す。 教会の入り口の木の下枝に紐を通していると、どどどどっ、と蹄の音が 近付いて来た。 小道から黒い塊が飛び出して来てつんのめった後、ナポレオン像のように 馬が立ち上がる。 「流河」 遅かったね。 と言おうとした瞬間。 「え?」 流河が、馬の背を蹴ってひらりと飛び降りた。 まだ勝負は続いていると? だが、馬を繋ぐ時間を考えれば、僕に敵うはずは……。 「!」 流河は馬を放置して、教会の中に駆け込んでいく。 蹴られた青鹿毛は、昨日の肝試しの道の方へ並足で進んで行った。 「ちょっ、」 僕は慌てて適当に綱を掛け、流河の後を追う。 今にも祭壇に触れそうなその体に、思い切りタックルをしていた。 「……!」 「おい!」 怒りに任せて腰を絞め、叶う事ならそのままバックドロップしてやろうと思ったが 流河は身を捩って僕の手を外す。 何か、寝技の心得があるようだ。 本気だ……こいつ。 どこかで、必死ですね夜神くんなどと言って笑い出さないかと思っていたが、 その可能性は無さそうだ。 「あっ」 そしてあっさりと、祭壇に手を掛けて。 縋るように立ち上がったと思うと、肩で息をしながら僕に向かって 無表情でピースサイン……いや、ヴィクトリーサインを出した。 「私の、勝ちです夜神くん」 「おまえ、馬、」 「ああ、彼、どうしてました?」 「湖の方へ行ったけど!」 流河はさっきの異常に機敏だった動きが嘘のように踵を引きずりながら 入り口に戻り、手を目の上に翳す。 「ああ、その辺に居ました」 そして舌を鳴らして呼んだが、青鹿毛は来なかった。 僕も隣に行って見たが、教会のすぐ横の湖でのんびり水を飲んでいる。 「おまえ……馬繋がないで、居なくなったり怪我したらどうするつもりだったんだよ」 「勿論、彼と同等かそれ以上の馬を弁償しますよ?」 「……マジでか」 「はい。私の資産から言えば些末な金額です」 「……」 コイツ……まさか最初から、そのつもりで。 僕には出来ない、荒っぽい手段で勝つつもりだったのか? 「言ったじゃないですか。お互い持てる力を振り絞りましょう、と。 だから騎馬力以外に、財力も計算に入れたまでです」 「……」 僕は、もう歯噛みをする気力もなかった。 そうだな……おまえは、どんな手段を使ってでも、勝とうとする奴だった。 僕だって落馬したかも知れない流河を見捨てたんだから、 「卑怯」だなんて言わないけれど。 僕と同じかそれ以上に、限度を知らない男。 ……ならば、「愛している」という言葉くらいくれてやるよ。 そしておまえを取り込み、僕はおまえの本名を手に入れる。 「夜神くん、聞いてました?私の、勝ちです」 「ああ……ああ、そうだな」 「約束、覚えてますね?」 「分かってる。僕は今からおまえの物だ。 おまえを愛す。おまえの要求も可能な限り聞く」 まあ……裸でレスリングをする気はないが。 流河は教会の壊れていない方の扉に凭れ、そのままずるずると しゃがみこんだ。 「どうした?」 「いえ……長かった、と思いまして」 「告白されてからまだ数日だよ。 そもそも出会ってからまだ一ヶ月だし」 僕も流河の前に膝を突き、無理矢理微笑みながらその目を覗き込むと 流河も不慣れに口の端を引き攣らせた。 どうやら笑っているのか。 「ああ……おかしくなってしまいそうな程、嬉しいです」 「うん」 「勿論あなたを手に入れると決めていたのですが……実際叶ってみると、 想像以上の……その、感情の動きですね。 自分で自分が不思議です」 「うん」 流河は立ち上がり、僕の手首を掴んで祭壇に戻った。 「折角ですから、ここで愛を誓い合いましょう」 「え?教会で?」 「はい。神様が証人です」 「いや、神様なんか信じていないって言ってなかった?」 「そこは臨機応変と言う奴です」
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