初恋 18 「じゃあ外に行こうか。コースはさっき説明した通り。 馬が道草したがったらゆっくりして良いよ」 「分かりました」 柵を開けて貰い、前の二人に続いて林の方へポコポコと歩き始める。 「流河が馬に乗れるなんて、意外だな」 「まあ、勘で何とかなります」 「いやいや……」 どういうバランスなのか、流河が猫背のままでも馬は不承不承とは言え ちゃんと歩いていた。 「乗馬デートなんて、洒落てますね」 「ああ……」 そう言えば昨夜、今日は一日デートしろとか言っていたな。 僕にそのつもりは無いが。 流河が僕に並んだその時、流河の青鹿毛が、小さく嘶いて 僕の馬に向かって歯を剥き出した。 僕の馬も、耳を後ろに伏せて怒っている。 「どうやら本当に仲悪いみたいだね。僕はこちらから行くよ。 先輩!ちょっとこの馬、折り合いが悪いみたいなので、こちらから行って 後で合流します」 「了解〜」 丁度、林道があったのでそちらへ鼻先を向ける。 外乗コースからは外れるが、大体の方角は同じだからその内同じ道に戻るだろう。 「待って下さい」 「おまえはあっちへ行けよ。意味ないだろ」 「勝手に決めないで下さい。 この道、真っ直ぐ行ったら昨日の教会の裏手に出ますよね?」 「ああ、方角的にそうだな」 そう言えば上から見た時、教会の脇から乗馬クラブの方へ 続いていそうな道が見えていたな。 「夜神くん。一つレースをしませんか?」 「レース?駆け比べか?」 「はい」 流河は、僕の後ろに続く形になっている。 競馬で言えば一馬身差、とでも言う所か。 青鹿毛がまた、不機嫌に鼻を鳴らす。 「今の状態から、スタートします。 そしてあなたが私から逃げ切ったら……つまり、先に教会の祭壇に辿り着いたら 私は永久にあなたを諦めます」 「……マジ?」 「はい。その代わり私があなたを抜かし、先に辿り着いたら、 あなたは私の物です。どうですか?」 「……」 それは……怖い賭けだ。 流河の乗馬技術がどの程度か、見当も付かないし。 いや……この林道は広くはない。 加えて流河の青鹿毛は、まだ流河に従順ではない。 リードした状態からのスタートならば、抜かされる事は、ほぼ無い、か……。 「僕を諦めるというのは……キラ呼ばわりも止めるという事か?」 「それは。あなたはキラですし」 「確たる証拠が出るまで僕をキラ呼ばわりしない、 付き纏って尋問したりしない、それも出来るなら乗ってやる」 「……分かりました」 「絶対に負けるつもりはない、という事だな?」 「その通りです」 「僕だって負けるつもりはない。それで良いか?」 「はい。お互い持てる力を振り絞りましょう」 胸がどきどきする。 アドバンテージも貰っているし、負けて失う物も大きい。 だから絶対に負ける訳には行かない。 こんなに緊張する試合は、初めてだ。 テニスの試合よりもずっと、怖くて、興奮する。 「よし。いつスタートする?」 「この花が、地面に着いた時です」 流河は何気なく、傍らの大木に巻き付いた山藤の一番下の房を折取った。 葡萄のようにぶら下げて僕に示した後、空高く投げ上げる。 きらきらと木漏れ日に光って、やけにゆっくりと回転しながら、房花は落ちてくる。 僕は踵を下げ、鐙に体重を掛けて構える。 薄紫の光が、地面に着いたか着かないか。 という所で、僕は思いきり流星号の腹を蹴った。 横には黒い影は居ない。 どうやら先に飛び出せたようだ。 すぐ後ろで、馬の荒い息が聞こえる。 落馬したり、馬が足を踏み外しては元も子もない。 僕は前傾姿勢で前を見据えながら、何度も拍車を入れた。 まばらな木々が、背後に流れていく。 車に比べれば遙かに遅いのだろうが、高い視点の移動はまるで飛んでいるようで 迫力がある。 どどっ、どどどっ、どどっ、 流星号と青鹿毛が、柔らかい山道を踏む足音だけが響く。 馬の腹を、締め付けている脹ら脛が痛くなって来た。 それでも緩める訳には行かない。 それなのに。 視界に、黒い鼻先が入って来る。 折しも道幅の広くなった場所。 狙っていたのか? 「はっ、はっ、」 馬の鼻息以外に、流河の荒い息が聞こえる。 どっと汗が流れる。 近い……! 益々脛に力を入れ、手綱を何度も振るうが、黒い鼻先は筋骨隆々とした首になり、 やがて手綱を握る白い袖が見えたと思うと一気に抜かされた。 不味い! 艶やかな毛に覆われた馬の黒い尻と、その上に中腰のジーンズ、風に翻る白いシャツ。 極度に集中しているせいか、それらが妙に鮮やかに、ゆっくりと見える。 自然の緑を背景に、その黒と青と白は、悪くない取り合わせだと思った。 いや、そんな事より。 この先道がどうなっているか分からないが、狭い道に入れば挽回のチャンスはない。 僕の馬も意地になって青鹿毛を追ってくれるのは良いが、差は縮まらなかった。 と、その時。 前方に、倒木が見える。 障害……! を、飛ぶ時はどうするんだった? 何度か教わった事はあるが、あの時は鞭を使って…… いや、そうじゃない、 考えている内に、目の前の青鹿毛がつんのめるように立ち止まった。 チャンス! そうだ、障害物を見るな、と言われた……そして。 考えている内に、どん、と衝撃が走った後、僕の体ごとふわりと浮き上がる。 落ちる……!
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