初恋 16
初恋 16








「ここでどれだけ騒いでも、皆が飲んでいる一階の部屋には聞こえません。
 実験済みです」


胃を、殴られたのか。
と、信じれない思いで、しかしどこか冷静な頭で考える。
口の中に残った吐瀉物、少し迷ったが飲むわけにも行かないので
舌で押し出した。


「パジャマの替えが要らないという件、聞いておいて良かったです」


流河は静かな声で言いながら、シーツを捲って顔や胸を拭いてくれる。
しかし当然ながら、とてつもなく不快だ。

暫く呆然としていたが、次に出て来た声はひどく嗄れていて
自分の声とも思えなかった。


「うがい……したい……」

「駄目です。二階にしか洗面所はありませんし、
 もうあなたは信用出来ませんし」

「頼む……」


シーツや枕カバーも洗いたい……。
このままは、嫌だ。


「私に抱かれる事より嫌なんですか?」

「……だから。抱いて良いって」

「……ああ、今抱けと言われても、私も嫌ですね」


流河は少し考えた後、立ち上がって僕の手首の辺りの結び目を解いた。
どうやら、肝試しの時の日本手拭いだったようだ。


「では。素っ裸で行きますか?」

「え?」

「声を上げて、人に来られたらあなたが困る、という状態でなら
 行っても良いです」

「……分かった……」


とにかく、嗽をしたい。顔を洗いたい。
今流河を愛せと言われたら、頷いてしまいそうだった。

久しぶりに腕を下げる事が出来て、横たわったまま手首をさする。
それから、汚れていないパンツと下着を脱いでから、体を起こした。


「流河?」


僕の体を凝視しているであろう、と思った流河はドアの方を向いていた。
誰か来たのかと思って耳を澄ませたが、その気配はない。


「?」

「早く済ませて下さい」


どうやら彼は、僕が服を脱ぐのを見ないようにしているようだ。
どういう気の使い方だ……。


「気にしなくて良いよ、男同士だし」

「いえ。そういうのは、本当に結ばれる時の為に取っておきます」

「……」


僕を締め上げて、拘束して殴って。
そこまでしておいて、今更そんな事を言われても気持ち悪いだけなんだけど。

と、心の中でツッコミながら黙ってパジャマのシャツを脱ぎ、顔を拭う。
枕カバーとシーツを剥いで一緒に丸め、僕は立ち上がった。


「……」


流河は顔を逸らしたまま僕の後ろに回り、逮捕者にするように
腰に手拭いを回した。


「では、行きましょうか」


夜中にこんな格好で公共の場所に出るのには勿論抵抗があるが。
もし誰かに見つかったら、酔っ払った流河に付き合っているんだ、とでも
言うしかないな。

狭い階段を下り、二階の廊下に出る。
そこから下の階段は広く、耳を澄ませなくても階下のざわめきや笑い声が
聞こえていた。

これでは、僕の声は全く聞こえていなかっただろうな……と溜め息を吐き、
バスルームに向かう。
さすがに震える程寒い。
吐いた固形物をトイレに流した後、洗面所で全て洗った。

初めて来た古い洋館の、薄暗いタイル張りの洗面所で。
夜中に全裸で寒さに震えながら洗濯をしているなんて、現実とは思えない。

流河は手拭いの端を握ったまま、律儀に僕の裸を見ないように顔を逸らしていた。
僕は悠々と洗濯を済ませ、顔と口の中を洗った。




上手い具合にと言うべきか生憎と言うべきか、僕達は誰にも見つからず
屋根裏部屋に戻る事が出来た。

下着とパジャマのパンツを身に着けると、流河が上も着るように促す。
Tシャツを着ると、やっとまともにこちらを向いた。

それでもやはり手首を縛られるのにうんざりしたが、今度はベッドヘッドに縛らず、
自分のベッドに優しい手つきで座らせてくれる。


「流河」

「はい」

「僕を殴ったのを、後悔しているか?」

「いいえ」


そうだろうな。
おまえはきっと、いつ如何なる時も後悔という物をしないのだろう。


「今夜中に僕を落とすと言ってたな」

「はい」

「僕が『愛している』と言うまで、殴るのか?」

「……」

「それで僕が愛していると言ったとして、おまえは信じる事が出来るのか?」


流河は親指を噛みながら宙を見つめて考え続けていた。
そして。


「……暴力は取り敢えず止めます」


止めても同じだけどね……。
とは、思っても言わない。


「ちょっと言葉で口説いてみる事にします。
 どうしたら良いでしょう?」

「そんなの自分で考えろよ」

「あなたは私の頭脳が好きだと言ってくれたので、
 何か難しい問題でも出して下さい。それに答えます」

「そうだな……同性愛者じゃない人間を同性愛者にするには、とかどうだ?」

「……」


流河は口を尖らせて、子供っぽい表情を見せた。


「……分かりました。今夜中に、というのは撤回します。
 明日の予定はゼミ討論以外フリーでしたね、一日私とデートして下さい」

「って、今までもずっとくっついて来てただろ」

「私を恋人と意識して、付き合って下さい。
 もし逃げたら……」

「逃げたら?」

「あなたにとって、良い結果には絶対にならない。
 とだけ言っておきます」


そんなの、怖くないよ。
だって僕達は、ずっと敵同士だっただろう?
出会う、遙か前から。


「分かったよ」


流河はニッと笑って日本手拭いの拘束を外し、今度は左手だけ結んだ。
その後、反対の端を自分の右手首に器用に結ぶ。
どうやら隣に寝るつもりのようだ。

僕のベッドが湿っているからと言って、こんな狭いベッドで男二人って。

だが、吐く程殴られた事を思えば、静かに寝られるだけで恩の字か。


「良い匂いです。夜神くん」

「そんな訳ないだろ」


さっきまで吐いていたのに。


「あなたの体臭、私好きです」

「……」


耳元に囁きかけながら、縛っていない方の手で僕の体を緩く抱きしめる。
腰の辺りに、固い物が当たった。

気持ち悪い……。

このまま、僕を抱くつもりだろうか。
一度抱いたら、忘れてくれるだろうか。

そんな事を考えながら流河の次のアクションを待ちながらも
体温の暖かさに、僕は眠ってしまった。

明日は絶対に、こいつと別室にして貰おう。






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