初恋 9 到着したのは山村の駅で、そこからまた頼んであったレンタカーに分乗した。 東京では夏日だったが、こちらは昼でもフリースが要る程涼しい。 三十分ほど走って到着したのは、湖を臨む中々雰囲気のある建物だった。 大正か昭和初期、本郷キャンパスと同じくらいの年代に同じような ゴシック様式で建てられたらしい。 大学の合宿所と聞いていたので、コテージか国民宿舎のような物を想像していたが むしろ「洋館」と言って良い趣だった。 「私が育った場所に似ています」 「ええと。それは自慢?それとも冗談?」 「自慢でも冗談でもありません。夜神くんは意外と僻みっぽいんですね」 「……」 ぼそぼそとそんな掛け合いをしている間に、先輩達は慣れたように 鍵を開けて、警報装置を解除した。 「取り敢えず荷物はロビーに置いて。 部屋の割り当ては籤でいいね?」 「はい」 「同室者はランダムにするか……いや、丁度一年も二年も二人づつだから、 それは組になって貰おうか」 「お願いします」 最後の力強い要請は流河だ。 僕としては別室になった方が面白いのだが。 「なんで部屋を籤にするかと言うと、結構格差があるからなんだ。 ここだけの話、当時の学長の別宅として建てられたんじゃないか、っていう 噂があるくらい、主寝室だけゴージャスになってる」 「へえ」 「あとはゲストルームが七つあるから充分足りるけど、 東端の部屋は教授が宿泊するって決まってるし、」 「教授が主寝室じゃないんですか?」 「広すぎて落ち着かないって言って、毎年ゲストルームに 泊まってるよ」 「まあ、ハズレもないとおもろないから、使用人室も一つ入れとこか」 そんな事を言いながら、あみだ籤を作り、手早く回していく。 流河は作法を知らなそうなので、僕が一本線を足して縦線の先に「一年組」と 書き込んだ。 「何かの嫌がらせですかね」 「いや、あの籤は完全に公正だったと思うよ」 僕達が当たったのは、三階……というか屋根裏の、使用人室だった。 「狭いです。ベッドが小さいです」 「仕方ないだろ。そんな事より今日から三日間、同室だ。 よろしく頼むよ」 「そうですね……正直キラと同室だと思うと生きた心地がしませんので 今日から三日間は、キラの可能性ほぼ0の夜神くんだと思い込む事にします」 「おまえ本当に一言多いよね」 部屋の隅の木製ロッカーに入っていた箒で部屋を掃いて バケツに水を汲み、埃でざらざらした窓枠などを拭く。 「でも、景色は良いよ、ほら」 木枠の窓を覗き込むと、眼下には薔薇色に染まった湖と山が広がっていた。 何かと環境を整えている間に、もう夕暮れ近くなっているらしい。 「……確かに。あ、先輩達が下に居ます」 階段を下り、外に出ると先輩達が思い思いに寛いでいた。 「は〜、やっぱり空気が美味か」 「そうだな。あ、一年組も来た来た。 今後の予定、良い?」 「はい」 「例年一日目、つまり今日は夕食の後オリエンテーリング。 という名目の、肝試しだよ」 「いきなりですか?」 「昔は本当にオリエンテーリングをしていたらしいけど、準備も大変だし。 肝試しって言っても脅かし役とか居ないから、別に怖くもない」 「まぁ、いてはんのはほんまの幽霊さんだけやな」 「……」 「実はな……この洋館で昔不可解な事件があったんやて。 この洋館を建てはった初代学長が、親友を招かはった事があったらしいんやけど、」 不可解な事件、と聞いて少し胸が高鳴ってしまったのは不謹慎だろうか。 だが、聞いてみれば特に珍しい話でもないようだった。 「それが、ここへ来てから忽然と姿をくらました。 失踪や自殺をする動機も前触れも全くなかったが、結局なんの手掛かりも無く しかもその数年後、学長が親友の奥さんと結婚した……という噂があるんだよ」 「おまえ簡単に纏めなや。 でも下手にホラーな尾鰭が付いてへん所が、マジっぽいやろ? もしかしたら、この洋館の中か周囲のどこかに、今もその親友が 埋まってはるかも知れへん……」 「……」 「ていう話やねんけど」 どういう反応をして良いのか分からなかったが、 二年生の真面目そうな二人が、小さく手を挙げた。 「方向はどちらですか?明るい内に下見したいんですけど」 どうやら怪談話は全くスルーする事にしたらしい。 「湖の右側を回って、反対側にある小さな古い教会にお参りして 帰って来る」 「教会……」 二人は顔を見合わせた後、右手に向かって歩いて行った。 「でも、今年は女子がおらへんからつまらんよなぁ」 「まあ基本的にそれが目的だからね」 「かと言うて、今年だけせんかったら露骨やし。 夜神くんが来るってもっと早よ分かっとったら、ゼミで宣伝したのにな」 「したら全員参加じゃね」 「そやな。あ、それよか、夜神くんゼミ旅行に行くって宣伝しといてくれたら 一年生の女子がどーっと来たんちゃうのん」 「あ、それ良いね」 「夜神くん、冗談じゃからね? 君をダシにしたりせんから怖がらんでええっちゃよ」 この僕が弄られ役だ……今まで無かった事だ。 さすが、全員東大の余裕か。 その時、横で我関せずと指先を噛み続けていた流河が、口を開いた。 「晩ご飯、何時からですか?」 ああ、そうか。 流河はひたすら空気を読まない受け身なんだから、 僕がフォローしなくてはいけないのか。 「そうですね。要領を教えて貰えれば、一年生で準備しますよ」 「あ、いや、一応六時半だけど、今日は弁当買ってきたし。 後はつまみの袋を開けて、酒盛りするだけ。 このゼミは年功序列とか無いから、本当に気を使わなくていいよ」 「うん。僕料理好きやし、明日はカレー作るわ。 その代わり掃除は免除やねん。 自分らも何か得意な事があったら、やってもろたらええよ」 「いえ……掃除頑張ります。 あ、風呂掃除まだだったら、夕食までにやっておきます」 「ええ子ぉやなぁ。そうそう、そうやって自分で気がついて動くんな。 肝試しの下見はええのん?」 「ええ、当たって砕けろで」 笑顔で言って館に戻ると、当たり前のように流河もくっついて来た。 「当たって砕けろって。 さっき上から見て、もう大体の地形把握してるんですよね?」 「ああ。でもそんな事言ったら可愛げないだろ」 「夜神くんの人心掌握術、しかと見せて頂きました」 今時タイル張りの広い浴場は、何故か枯れ葉が入り込んでいたり 虫の死骸があったりで厳しかったが、きれいに磨くと気持ちが良い。 ボイラー室で少し試行錯誤した後、湯を張り始めると銭湯のようになった。 その間、流河は入り口付近にしゃがみ込み、我ながらまめまめしく動く僕を ぼんやりと眺めているだけだった。
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