人形の家「私があんな邊鄙な處に居たゝまらなくなつたのもそのためです」3 それにしても、寒い。 というか感覚がない。 冷たい、とも思わないが、体中が痛くてただがたがたと震えていた。 震えるのも体力を使うので何とか収めたいが、どうしても止まらない。 逆に、止まった時は本当にヤバいんじゃないかという気がしてきた。 自分の限界。 あと三十分なら、今のままでいられるだろう。 ……だが、それ以上は分からない。 本当に。 朝までどのくらいだ? 果てしなく時間が経った気はするが、実際は二時間経っていないだろう。 もしかしたら一時間そこそこかも知れない。 明かりがあれば、一晩中歩き回って体温を維持するんだが。 岩の上で足踏みをして、足を踏み外して骨を折ったりしたら本当に命取りだ。 ……というか。 このまま居ても。 だってさっきからやたらと眠い。 腹が減っているからだとは思うが、時間的にはまだ宵の口だ。 寒さを感じなくなって来ているのも怖い。 これは、あれだ。 「眠ったら駄目だ、寝たら死ぬぞ」という、あれだ。 朝まで起きていられるだろうか? あと、十時間程? 無理だ。 ……死。 何度も、側をかすめる「死」の印象が。 周回ごとに、近付いて来ている気がする。 ……L。 馬鹿だった、僕が。 何故、おまえの側から逃げようとしたんだろう。 逃げようとしたんじゃない、本当に、少しだけ、 数時間だけ離れる事が出来れば良かったんだ。 ……って、伝えたいな。 月(つき)が自分から逃げようとして、挙げ句の果てに死んだなんて事になったら あいつはどうするんだろう。 狂いそうな気も、後を追ってきそうな気もするけど。 あっさり諦めて、月に似た別の女を捜したりもしそうだ。 というか、最初からそうすれば良かったものを。 全く。 この世で一番論理的な頭脳を持っていながら、非合理的な奴だ。 ああ、それにしても寒い。 というか感覚が無い。 冷たいとも思わないが……ってさっきも同じ事を考えなかったか。 不味いんじゃないか?これ。 ……ばさ……ばさ。 森のどこかで梟が羽ばたいている。 いや、もう少し大きいものか。 ばさ、ばさ、 梟が、羽ばたいて。 ……不味い。 ばさ、ばささ、 いや。本当に……近付いて来る……? 野生動物は、僕が気配を殺しているつもりでも一定以上は絶対に 距離を詰めて来ない。 その辺りはさすが野性だと感心していたが。 存外鈍い奴もいるのか……。 あるいは、僕を恐れる必要のない者。 捕食者、……か? ばさっ。 突然目の前に降り立った、黒い影。 人間、自分より大きな生き物には本能的に恐怖するように出来ているようだ。 瞬間的に、寒さとは別の理由で身が竦む。 だが。 「……リューク?」 『あいよ』 それは……本来夜の森で出会ったら、絶望してしまう容姿と存在。 だが僕にとっては非常に見知った、死神だった。 安堵感に、一気に体の力が抜けて崩れてしまう。 いや、僕を助けに来たとは限らないのだが。 それでももう誰とも会話する事なく孤独に死んでいくだろうと覚悟していた身には 本当に救いの神に見えた。 「どうして……」 『ライトを助けに来た』 「どうして……!」 死神が、ぐるりと縦に顔を回転させた……ようだ。 『Lが、泣くんだ』 「え?」 『ライトが徒歩で森に入ったとしたら、夜は越えられないって。 ぼろぼろと涙を零して、何でもするからライトを助けてくれって』 「えーっと」 それは、色々とあり得ない気がする。 Lが泣くという事も、死神が人間の頼みを聞くという事も。 『人間の命令を聞くという事はないが、取引はするぞ。 これからLが死ぬまで、好きなだけ好きなリンゴを用意すると約束してくれた』 死神はどこからかリンゴを取り出したのか、かしゃり、と リンゴを囓る良い音をさせて。 『しっかり掴まってろよ』 僕の返事を待たず、おもむろに僕の胴を抱えたと思うと、ふわりと浮き上がった。 「うわっ」 寒いし死神の体は冷たかったが、今までの終わりの見えない忍耐に比べたら どうという事はない。 僕は最後の力を振り絞って、死神の腕にしがみついた。 死神は、木の枝の間をふわりと抜けて、森の上空へ出る。 足が、木のてっぺんの枝をかすめた。 『Lがさ〜、泣きながら、他に人手がないんだ、って。 二人で森へライトを探しに行こう、って何度も頼むんだ』 「そう……なんだ」 『オレがライトの居場所なら分かるって言ったら、私も行くからライトくんを見つけたら 私の所へ連れてきてくれって』 「……ライトくん、って言ったんだ?」 『ああ。んで、オレはLの場所は分からないって言ったら』 「そんな事言ったのか!」 馬鹿か! ……いや、仕方ないと言えば仕方ない、か。 『だ、駄目だった?』 「駄目に決まってるだろう!そんな事を言ったら、おまえがノートではなく 僕に憑いている事がバレてしまう」 死神から見て僕とLの違いと言えば、ノートを先に持っていたかどうかしかない。 Lならすぐに所有権の類いに思い至るだろう。 『ああ。バレてた』 「死神はつくづく馬鹿なんだな」 『落とすぞライト』 「冗談だ」 迂闊だった。 身から出た錆ではあるが。 Lとリュークを二人きりにしたのは、やはり不味かった。 その上お陰で死にかけたし。 森の上には真円の月が驚くほど近くに出ていた。 森の向こうには、平原。 果てしなく続いているように見える。 背後は、森がどこまでも続いていた。 富士の樹海を彷彿とさせられて、ゾッとする。 ここに来るヘリコプターの中では目隠しをされていたが、 目隠しを外されていた方が、脱出する気力を削がれたのではないかと思った。
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