基督と満月 7 「それでどうして今も月が捜査本部にいるんだ?」 「それが……月はいつの間にかキラであった記憶を再び失っていたんですよ」 「いつの間にかって?」 「他の捜査員の前では以前通り振る舞うのは当たり前だったので 気づきませんでしたが、恐らくノートから手を離した辺りですね」 「演技じゃないのか?」 「そうかも知れません……が、私にはそう見えません」 確かに、そうかも知れない……。 だが記憶があってもなくても、彼がキラである事には違いない。 「いくらでもやりようはあるでしょう?」 「そうだよ。ノートを燃やしたって言っても、この切れ端がある。 今俺達にしたように、これに触らせれば死神が見えるし記憶も戻る」 「ええ……恐らくそうでしょうね……」 Lにしては、歯切れが悪く不自然な答えだった。 「そうじゃなくても、ノートの記載に嘘が混じっている事が分かったんだ。 月は十三日の制約で容疑を外れたんだから、振り出しに戻っている筈だろ?」 「はい。しかし他の捜査員がそれを思いつかないように、 私がさりげなく阻止しています」 「何がしたいんだよ!L!」 メロが、耐えかねたように癇癪を起こす。 「さあ……分からないんです」 「「は??」」 ……あの、Lの口から。 世界一の頭脳と言われた、Lの口から。 「分からない」という間抜けな言葉が出て来るとは。 「誤解しないで下さい。Lとして為すべき事は決まっています。 月の記憶を蘇らせて月と死神から調書を取って司法に引き渡す」 考えるまでもない、当然の流れだと思う。 だがLは、実行していない。 しない理由があるのだ。 「問題なのは、私がそうしたくない、という事です」 「「は??」」 またメロと声を合わせて、間抜けな声を出してしまった……。 「何言ってるんですか?」 「大丈夫か?L」 「……今までこんな事はありませんでした。 どんなに心優しい容疑者でも、同情の余地のある動機でも、 犯人の告発を躊躇った事はありませんでした」 「……」 「全てを加味して彼等の罪の重さを決めるのは、裁判官の役割だ。 私はただ機械的に彼等の手に犯罪者を手渡すだけ。 そう思っていたのですが」 「ですが」じゃないだろう。 一切私情を挟まず、常に躊躇いなく真実を暴いてこそのLなのだから。 「それがどうして、月だけはそうしたくないんだ?」 「それが分からないから困っているんです」 そう言ってLは、困っているとも思えない様子で卓上に手を伸ばし 凝った細工の蓋物の中から飴を取り出して、口に放り込んだ。 何とも言えない気まずい沈黙が続いたが、(気まずい思いをしているのは メロと私だけのようだが)私は何とか口を開いた。 「……ええっと。それは、Lが月に特別な感情を持っている、 という事でいいでしょうか?」 「どうでしょう。彼は特別な人間ですから、それなりに評価しています。 それを『特別』と言うのなら、そうかも知れません」 「……」 「特別な人間」と、当たり前のように断じてしまうのだから、 それは特別なのだろうな。 「どう、特別なのですか?」 「そうですね……例えばこんなに私を手こずらせた犯罪者は初めてです」 「そりゃ、デスノートがあれば誰だって手こずるだろう」 「それでも、です。 例え超能力者であろうが、彼でなければもっと早く捕縛出来ました」 「……」 普通なら何と自信過剰な男かと思うが、Lに限って言えば そうも思えなかった。 Lの実力を以てすれば当然かも知れない。 「それに、月や死神達の話から類推すると、月は火口を殺した後、 死神に私を殺させるつもりだったようです」 「そんな事、可能なのか?」 「普通は死神は人間の言う事など聞きません。 ただ、彼にはそれが出来た」 「危なかったんだな……この紙切れを発見出来ていなかったら、 今頃Lは、」 「死んでいたでしょうね」 そう言うとLは、何故か嬉しそうに笑った。 「私をそこまで追い詰めた犯人も、初めてです」 「それが、特別?」 「そうです」 ころころと、口の中で飴玉を転がしながらなので。 言葉の変な所に「r」が入る。 Lは幼児のように「r」を交えながらも気にする様子もなく話を続けた。 「私は今まで、自分は支配者だと思っていました」 「……支配者ですよ。世界の頭脳、世界の切り札。 全世界の警察がその頭脳を認めざるを得ない程、 あなたは特別です」 本当は、「神」だと言いたかった。 私はあなたを崇拝している。信仰している。 「思っていました」だなんて、簡単に言って欲しくない……。 目や鼻の辺りが、じんわりと充血したような 覚えのない感覚がこみ上げた。 「そうですね。 でもこの数ヶ月で、私は私より年若い月が、自分と同等の頭脳、 そして自分より優れた社会性を持っている事を認めざるを得なかった」 「……負けた、という事ですか?」 知らず、声が擦れる。 だがLは、口の両端を上げると 「そうではありません。 私にも彼に負けない知識、財力、経験、という武器があります」 と、否定してくれた。 しかし。 「でも……彼は、恐らくこの世で唯一、私を支配出来る力量を持った人物なんです」 ……。 「そういう人物が貴重過ぎて……彼を失う事に、私が耐えられそうにないんです」 Lは、真顔だった。 メロの頬がさっと紅潮する。 「でも……でも、毎日何千種類もの貴重な生物が絶滅してるぜ?」 「いくら貴重でも私に直接関係有りませんから」 「す、好きな女でも出来れば、変わるよ。 結婚したら、いくらLが優秀でも嫁さんの尻に敷かれるんじゃない?」 「さあ……自分が自分より劣った人間の下で大人しく支配されている、 そんな未来が想像出来ません」 「……」 混乱したメロの的外れな例えにも、丁寧に答える。 Lもまた、恐らく正気ではないのだろう。 「でも最近までは、月を捕まえて死刑にするつもりだったんですよね?」 「はい」 Lはゆらりと立ち上がり、冷蔵庫から自分の分だけ洋菓子を持ってきた。 机の上に置き、私達に何の断りもなく銀の匙を突っ込む。 「……月がノートに触れて、記憶を取り戻した時。 私、すごく嬉しかったんです。 その時は遂にキラを捕縛出来る喜びかと思いましたが」 「……」 「ノートを燃やした後、キラの記憶を……月の一部を失ったと知った時。 胸が苦しかった。これ以上失いたくないと思った」 「……」 「初めて、『辛い』という感情を味わいました。 ワタリにお菓子を止められた時の比じゃない」 話しながらも器用に一定の速度で菓子を口に運び続ける。 「……」 「……」 メロも私も、言うべき言葉が見当たらなかった。 聞くも愚かしいLの告白。 本人が微塵も恥を感じていなさそうなのがまた腹立たしい。 無言の部屋に、微かな空調の音と、しゃくしゃくと果物の欠片を 咀嚼する音だけが響く。 やがて。 「……まるで、恋だな」 囁くようなメロの声が、やけに大きく響いて、ぴくりと震えてしまった。 「恋、ですか」 「誰かを失いたくない、そんな事を想像したら胸が苦しい、 もっと近づきたい、支配されたい、それって殆ど恋だよ」 「……」 Lは一旦スプーンを置き、蓋物の中から再び飴を取り出して 何を思ったか崩れた洋菓子の上にぽとりと落とした。 「……そうですね。私の思う『恋』の印象とは異なりますが、 確かに特徴は当てはまります」 「なら、探偵Lは大犯罪者キラに恋をした、 だから逮捕できるしその義務もあるのにしない、それでいいか?」 「はい」 「公人として世界を守る事によって現在の地位を築いたのに、 今になって全世界の人々と、正義を、裏切ると?」 「……」 また一つ、二つ、ぽとり。ぽとり。 「裏切る、というつもりはありませんが。 その辺りがワタリとも意見が折り合わず、中々連絡しづらくて…… それも困っています」 それでLの動きがロジャーにも伝わらないのか……。 メロの声は泣きそうな、少し震えた声だったが。 Lは後ろめたそうでもなく、恥ずかしそうでもなく、つまり非常に 平常通りの無表情だった。
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