基督と満月 2 物音に目覚めたのは、恐らく真夜中頃だった。 隣のベッドでは既に、寝息が止んで緊張した気配が漂っている。 「……」 部屋の中を、誰かが歩いている。 だが足音を殺さずに普通に歩いているという点で、少し警戒感が薄れた。 どうやら外部から忍び入った賊ではない。 可能性として一番高いのは、ロジャー。 すぐに電気が点いて、あのいつものしゃがれ声で言うだろう。 『起きなさい、メロ、ニア。 夜中に申し訳ないが二人に話しておきたい事がある』 だが侵入者は無言のまま、私の寝台に近づいてきた。 また動悸が激しくなる。 「……誰ですか?」 よし、声は震えていない。 侵入者は男の声で逆に質問してきた。 「ニアですか?」 「はい」 「私が誰かは聞かない方が良いでしょう」 ……どくん。 ロジャーではない、声。 だが聞き覚えのある……あの、神父だ。 名前は確か、 「……レオナルディ神父ですね?」 「違う、とお答えしておきましょう」 男はとぼけた事を言って、私の寝台の掛布を持ち上げた。 「ふざけるな!」 その時、向こうの寝台から、メロが怒鳴った。 「おまえレオナルディ神父だろう!何しに来た!」 「違うと言っています。いずれにしても偽名ですから」 「……!」 Lが……Lだと、認めたも同然だ。 だが「Lなのか」と訊いても決して答えはしないだろう。 顔を見るのが手っ取り早い。 「メロ、明かりを点けて下さい」 「分かった」 メロが寝台を降りる気配よりも早く、男が「Stop!」と鋭く声を掛けた。 「私の顔を見たら、あなた方は後悔します」 「礼拝で見ただろ。普通の顔だったぞ」 「そういう意味ではなく。顔を見られたら、私は即この部屋から去ります」 「……」 男は、メロも私も彼がLだと気づいている、と気づいている。 生身のLと対話出来る機会を絶対に逃したくないだろう、というのも 読まれている。 私たちが黙ると、Lは私の寝台に座って静かに話し始めた。 「明日、私はICPO本部に向かいます」 「ICPO?どうして?」 「正体不明の連続殺人についての世界会議が開催されます。 現場には行きませんが、近くから中継で参加します」 ……後で思えば、それはキラ事件の始まりだった。 「Lでも、警察と協力したりするんだ?」 「私がLだとは認めませんが、もしLだとしても今回は 組織力に頼らざるを得ません」 「そんな、大がかりな犯罪なんですか?」 「それすらまだ分かっていません」 どういう事だ? 犯罪が起こっている事は確かなのに、その実体が掴めない? 僅かな間にLの話に引き込まれていた私は、そのLの顔が すぐ側まで来ている事に気づかなかった。 「え……?」 気がついたら、寝台の上に押し倒されていた。 「え?」 そして寝間着をたくし上げる、冷たい指。 「おい、何してるんだ?ニア?」 闇の向こうから、メロの声が聞こえる。 「メロにも後から同じ事をしますんでそこで黙っていて下さい」 「は?」 「ニアは少しの間耐えていて下さい」 正直、何が何だか分からなかった。 意図せず頭が回転を止めるという経験は、恐らく生まれて初めてだ。 闇の中、寝間着を下着ごと脱がされて。 健康診断以外で他人に触らせた事のない肌を遠慮無く撫で回される。 冷たい指は冷たいままに私の性器にまで至り…… 更に足を開かせて、その奥の肛門に触れた。 「……っ!」 私は不躾すぎる手に翻弄されている間、何も言えず何も抵抗できず ただ震えていた。 自分の無力さに更に脱力したが、涙は出ない。 我々の荒い息づかいと衣擦れを、メロはどう聞いたか 一切の気配を殺している。 やがて、信じられない程太い物が……排泄器官からじわじわと入り込んできて。 殺される……! そう思ったが、やはり息を呑むばかりで悲鳴一つ上げる事が出来ない。 自分の顔から血の気が引いていくのだけがはっきりと認識できた。 ……だが、ずる、と「それ」が奥まで入ってきても、私は死ななかった。 それがLの陰茎らしいと気づいたのは、尻に陰毛らしき物が当たり、 重なってきたLに抱きしめられた時。 しばらく止まって痛みがマシになって来た頃、Lが動き始める。 ぐちゃぐちゃと、何か卑猥な音がして、自分の事よりもメロの耳が 気になって仕方が無い。 やがて「うっ、」というような低い呻き声を上げて、Lの動きが止まった。 私はただただ、これでこの理不尽な状況から解放されるのだ、と 安堵していた。 「……おい」 メロが、低い声を出す。 さすがに状況は掴めただろう。 私が尻に入れられた事までは分かっていないかも知れないが。 「何のつもりだ」 氷のように冷たい声にも頓着せず、Lは悠々と私から離れ、 立ち上がった。 「……私、今回は英国に帰って来られない予感がするんです」 「は?何の話だ!」 「この事件、あらゆる可能性を考慮しても超常現象が絡んでいるとしか 思えません」 「……」 何なんだ……。 こんな時に、何だ、この推理小説の大円団の導入みたいな台詞。 「それがどうした」 「どうしたという事はありませんが。 今更、自分の遺伝子を残したいと思い始めました」 「……」 死が近づいている事を自覚した男は、性欲が高まると聞いた事があるが。 それは女性の腹の中に自分の精子を入れ、子孫が増える可能性を 残したいからだろう? 「そんなの、意味ない」 「はい。 あなた方の中に私の遺伝子を残しても、私の子を孕む事は絶対にない。 つまり意味なんかありません」 「なら、」 「ただこれも信仰と同じで、placebo effect は期待出来るんですよ。 もし私が死んでも、あなた方の中に私の血は残っている、 それだけで私は心強くこの難事件に立ち向かう事が出来る」 「……」 「これはその為の儀式です」 「……」 あまりに前衛的な物言いに、メロも私も言葉もない。 だが、夢のような事が起こった日の夜で、月もない真夜中で、 別の非現実的な事が起こった直後で。 宣教師のようなゆっくりと落ち着いた話し方に、思考力を何%か奪われて。 妙に納得してしまったのも事実だ。 「さて。ニアには既に私の遺伝子を受け取って貰いましたが、 メロはどうしますか?」 「……」 「嫌なら断って下さい」 その言葉。私にも事前に言って欲しかったが。 「メロ?」 「……欲しい」 ……負けず嫌いのメロが、ここで断る筈もない。 私を先にしたのも、全て計算の上なのだろう。 「僕も、Lの血が、欲しい」 「分かりました」 それから足音はメロのベッドに向かい、軋む音と衣擦れが続いた。 さっきメロは、これを聞いていたのかと客観的になると、 何ともいたたまれない物音と気配。 だが「その瞬間」、メロは「 Ouch! 」と、小さな声を上げた。 息も出来なかった私に比べたら、随分な余裕だ。 それから荒い息づかいと、寝台の軋む音が随分大きく響いて。 ……私の時より短く感じたが、男性の生理からして二回目の方が短い という事はないだろう。 Lの動きが止まり、数秒息を整えた後、何事もなかったかのように また床に降り立つ音がした。 迂闊だが、ここまで来て私は彼が裸足なのだと気づく。 ロジャーであろう筈がないじゃないか。 「……あなた方のどちらが私の血を継ぐのか、あるいは両方とも継ぐのか、 あるいは二人とも継がないのか、結果が出るまでには 少し時間が掛かるでしょう」 「「L」」 思わずメロと同時に呼び、気まずくて黙ってしまったが、 その間にLは扉を開けた。 廊下の常夜灯に、その細い影が浮かび上がる。 そして何か言う隙を与えずに、するりと扉を抜けて 何の挨拶もなく出て行ってしまった。 ……突然許された、PC画面越しとは言えLとの対話。 それが、Lの後継者を探る目的だったとすれば…… 今夜の相手を選ぶ意味合いでもあったのだろう。 メロや私より、女の子にすれば良かったのに。 とも思うが、そこはきっとLの「公正」なのだ。 自分の好み、遺伝子を残せる可能性よりも、「真にLを継ぐ者」を選ぶ事を 優先したのだろう。 誇りや理不尽や喪失感や興奮や、色々な感情がない交ぜになって、 その夜は眠る事が出来なかった。 きっとメロも同じだろうと思った。
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