釣月記 4
釣月記 4








ポケットの内布越しに、夜神の指先が私の性器に触れる。
確かにそれは、勃起しかけていた。


「あなたが私に抱きついて来るからです」

「抱きついてない。というか男だし」


その瞬間夜神は、例えるならケーキを前にした子どものように
目を輝かせた。


「……何か良からぬ事を思いつきましたか」

「いわゆる先進国と言われる国々で、一番メジャーな宗教は?」

「私、ゲイではありませんよ?」

「そうかな?」


キリスト教で許されない、同性愛者に私を仕立て上げて、
何か自分に有利に事を運べまいか考えたのか。
馬鹿馬鹿しい。


「いずれにせよそんな事は国際警察は全く問題にしません。
 それこそ私の証言一つでどうにでもなる事でもありますし」

「冗談だよ」


夜神は苦笑したまま、まず鉄格子の扉の鍵を開いた。


「夜神くん、手錠を取って下さい」

「分かってるよ。とにかくこの牢屋の中でじっとしていては未来がない事は
 分かったから……」

「本気で逃げる気ですか?」

「良い手ではないけれど、他に方法がないからね」

「逃げ切れる物ではないのは、分かってますよね?」

「おまえが着いて来てくれたら、確率は上がる」

「だから付き合いませんって」

「竜崎」


夜神はまたあの綺麗な笑顔を見せて私の左手の手錠の鍵を外し、
すぐさま自分の左手にがちゃりと填めた。

それからペンを、私の首に突きつける。


「そうは言っても、付き合って貰う。僕は警察官志望なんだ」

「それを言うなら『だったんだ』ですね」

「小さい頃から柔道を習っていたし、ボクシングも囓ったからこう見えて結構強いよ」

「そうですか。私も強いんですけど」

「おまえを殺したくない。友だちだろ?」

「私はそろそろあなたを殺しても良いかも知れないと思い始めて」


います、と言いながら瞬間的に体を屈める。
夜神には一瞬私が消えたように見えただろう。

受け身を取られる前に足を払う。
だが夜神が手を振ったので私も引かれ、バランスを崩した。
手錠で繋がった相手と戦うというのも骨が折れる物だ。

上を向くと夜神がペンを逆手に構えてそれを振り下ろそうとしていた。
その、殺気に血走った目。

これが、夜神月だ。

今まで私が監視映像で見て来た彼は、虚構だ。

万分の一秒そんな事を考え、腕を突き出す。
夜神の手首と手首同士がぶつかり、ペン先は私の眼球の数センチ上空で停止した。


「どうしてだ、何故だ!」

「何がですか」

「何故、僕を理解しない?」

「何の話ですか?」

「おまえには、おまえだけには、僕の思想が理解できる筈だ!」

「……それは、買い被」

「僕はただ、善良な人々が安心して暮らせる、正常で清潔な新世界を
 作りたいだけなんだ!」


殆ど泣き出しそうな、叫び。

……良い感じに壊れてきたな。

こんなに追い詰められた彼を見る事ができた事に、私は内心満悦する。
腕を払うと、夜神は後ろに飛んで私と距離を取ろうとした。

が、手錠に引っぱられて前のつんのめる。
思わず吹き出してしまうと、睨まれた。


「あなた一人が独断で罪人を裁く?
 そんな物、異常でこの上なく混沌とした世界に決まってるじゃないですか」

「違う!一般人ならそうだろう。でも僕は、違う」

「違いません。あなた、自分が一般人じゃないとでも思ってるんですか?」

「ああ。僕は誰よりも公正に刑を執行出来る自信がある」


夜神の左手と私の右手と。
一番距離が短い所で3センチメートル程。
遠い所で……逆の手同士が、3メートル程。
笑える程に近い距離だ。


「そんな事が出来る者が居るとしたら、神だけです」


夜神は一瞬目を見開いた後、何故か柔らかい笑顔を浮かべ
背筋を伸ばして何かを抱きしめるように両手を開いた。


「だから……その神が、僕なんだよ」

「……」

「僕が、新世界の神だ」


私は、大笑いした。
心の中で。
顔は、一ミリも笑う事が出来なかった。


「そうですか。……その神様ごっこも、もうすぐ終わりですね」


夜神の笑顔が凍り付く。
本当に今日は、新しい顔を沢山見せてくれる日だ。


「竜崎……いや、L」

「はい」

「僕は……間違った事は、何もしていない」

「FBIの捜査官を殺した事は?」

「僕が捕まれば、もっと沢山の罪の無い人が死ぬ。
 考えてみろ、僕が死ねば、FBIの彼等も犬死にという事になるんだぞ?」

「……」

「僕が彼等を殺したのは確かだ。
 だが、彼等の死を無意味な物するのは、おまえだ」


全く。
口が減らないと言うか、往生際が悪い。


「『死』自体は、あらゆる死が、無意味ですよ」


言い様に、受け身を取られないよう思い切り腕を引く。
バランスを崩して倒れ込んできたのを抱き留め、タンゴを踊るように
夜神の体を反転させた。

何が起こったのか、彼が把握する前に夜神自身の左腕で首を絞め、
その時漸く夜神が暴れ始めた。


「くっ……」

「痛いですか?助けて欲しいですか?」

「……」

「何故抵抗するのですか?あなたの負けは確定している。
 ここで私に喧嘩で勝っても、意味ないと思いませんか?」

「っ!」



……え?






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