AKIRA 2 妙な沈黙が落ちる。 夜神はただただ碁の手を考えているように見えるが、頭の中では塔矢アキラの一言を何度も反芻しているのだろう。 言ったアキラは、涼しい顔で膝に手を置いていた。 『……何故、殺したんですか』 『本当かとか聞かないんだね。やっぱり賢い』 『無駄な会話は嫌いです』 ピシ。 夜神がまた高い音を立てて石を置く。 今度はアキラは、口元を手で覆って少し考え始めたようだ。 『ええっと。どこまで話したっけ?』 『動機を訊きました』 『ああ……それは、サユさんも言っていた通り、父を呼び戻されると困るから』 『自分より強い名人は、日本には必要ない、と?』 『……』 アキラが答えないのは、答えに詰まっているというよりは盤面に夢中になっているからに見える。 その証拠にパチ、と音をさせると、何事も無かったかのように顔を上げた。 『父に名人位を脅かされたくないから、という話だったよね。 その通りだよ』 『殺人手段は?』 『それは、言えない。悪用されると困るから』 『……』 その一言で夜神が小さく噴き出し、場の緊張が解ける。 私も肩の力を抜いて、手近にあったチョコレートを剥いた。 『悪用している人にそんな事を言われても』 『ああ、それもそうだね』 デスノートは。 当然ながら手元にないと使えない。 『でも、死の前の行動を操る事は出来るよ』 ……! 一瞬慌てたが、そう言えばその件は報道されていたか……。 夜神にはよく分かっているだろうから、彼は狼狽えてすらいないだろう。 『この意味、分かる?』 『要求は何ですか』 塔矢が、またくっくっ、と肩を震わせる。 『キミは本当に、素晴らしい』 『お褒めに与って光栄です』 楽しそうな塔矢と、仏頂面であろう夜神。 傍目に見れば、きっと対になった狛犬のようだろう。 『それだけ賢いキミならば、ボクの要求も聞かなくても分かるだろう?』 『はい』 夜神はピシッ、とまた高い音をさせて石を打つと、塔矢と同じように膝に手を置いて、真正面から見つめた。 『sai』 『……』 塔矢が目元を綻ばせてゆっくりと両手を上げ、ぱち、ぱち、ぱち、と手を打つ。 「全く、仕草がいちいち気に触る程嫌味な男ですね」 興味なさげにパズルを組んでいたニアが、いつの間にかすぐ後ろにいた。 「ここからが正念場です」 「塔矢アキラはキラで、今回の犯人でもある」 「はい」 「殺されたくなかったら、saiについて話せという事ですね?」 「みたいですね」 「話さなかったら、死の前の行動を操ってsaiの事を喋らせてから殺す事も出来る……。 と、脅している訳ですか」 「そういう事でしょう」 分かりきっている事だが、一つ一つ確認するように口にすると、ニアは前髪をくるくると指で弄ぶ。 『僕も死にたくないので正直に言いますが、本当にsaiの事は何も知らないんです』 『それが本当かどうか、行動を操れば分かるね』 『それはそうでしょうが』 そこで塔矢アキラは、すっと背筋を伸ばしてまた夜神の顔を凝視した。 『……楊月さん、落ち着いてるね?』 『はい』 『言っておくけれどボクは本気だよ。 死ぬほど、誰かを殺しても良いほど、saiの情報が知りたい。saiに会いたい』 『分かっています』 『……』 塔矢は夜神の目を見つめたままやや顔を伏せ、突然盤面に没頭し始める。 一分ほど沈黙が流れた後、少し首を捻り微笑を浮かべながらパチ、と石を置いた。 『……なるほど』 『勝てそうですか』 『ん?……ああ、対局じゃない方の話ね。 うん、少なくとも負ける気はないよ。楊月亮というのが偽名だとしても』 恐らく今度は夜神が微笑を浮かべているであろう。 顔は見えないが気配があった。 『塔矢先生も鋭い』 『だけれど本名なんて調べればすぐに分かるよ』 『……』 もう、潮時だろう。 私はマイクのスイッチを入れた。 「月くん。こちらは全てオッケーです。 全部まとめて片付くよう設定して下さい」 夜神は石を挟んだ指を一瞬「O.K.」の形にした後、パチ、と静かに打つ。 『確かに本名くらいは分かるかも知れませんが。 僕は、塔矢先生は僕を殺さないと信じています』 『殺させないで欲しい』 『……僕は本当に、saiを知らない』 口を開きかけた塔矢を、夜神が手で制する。 『けれどあなた方がsaiだと疑っている僕の師匠と、対局したり話をする機会は作ります。 それで手打ちにしませんか?』 『……』 台詞を聞くと大した事もないが。 これ以上一歩も譲歩をしない、という決意を滲ませた口調に塔矢が少したじろぐ。 何とも言えない表情で少し考えた後、俯いて静かに石を置いた。 『……分かった』 『ありません』 頭を下げた夜神に、塔矢は一瞬困惑の表情を浮かべたがすぐに投了に気付いて頭を下げる。 まっすぐな黒髪がさらさらと顔の横に滑り落ちた。 『その師匠に、会えるのか?』 『それは無理です。ネット対局になります』 『……進藤と同だな』 塔矢が、冗談のように恨みがましい顔をする。 『進藤先生に、僕の師匠とネットで打った件聞かれたんですね?』 『社だよ』 『ああ』 『進藤が負けたと。社は相手はプロだろうと言っていたけれど』 『違います』 『だろうね』 塔矢は少し沈んだ声を出した。 『でも、話をする機会は貰えるんだよね?』 『はい。モニタ越しになりますが』 『その時にいくつか質問しても良いかな』 『お好きにどうぞ』 また勝手な事を……と思ったが、「全てオッケー」と言ってしまったのだから仕方がない。 それから形ばかり対局ついて話したが、お互い散々だったらしく、深い話はしなかった。 『今日はせっかく指導碁を打って頂いたのに、不甲斐なくて申し訳ありませんでした』 夜神が頭を下げると、塔矢も慌てて首を振る。 『謝る必要ないよ。僕もいつもの調子が出なかったし。 ……でも、楊月さんが子どもの頃から本気で碁をしていたら、』 塔矢は少し言葉を切った後、薄く微笑んだ。 『進藤や僕の、良いライバルになったかも知れない』 『そんな事ありません』 『ライバルって良いよ。そう言う人、いる?』 夜神は少し言葉に詰まった後、不敵に笑う。 『ええ。僕も先生方のように、生涯最大のライバルに十代の頃に出会いました』 『それは良いね。……前にここに来てくれた流河って人?』 『……!』 夜神は答えを濁し、日程を後で連絡し合うとだけ言って別れた。
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