Go-parlor 5 「おい!」 「大丈夫でしょう、男とバレた所で困る事は何も、」 「そういう事じゃないだろう!」 夜神は滑稽な程焦っていたが、当のニアは落ち着いたものだ。 『何ですか?私を殴りますか?』 『……っ!』 『私に乱暴すればユエはそのsaiとやらの秘密を喋ると思いますか? それならば私にするより手っ取り早く進藤ヒカルにしてみては?』 アキラは無言で、だが端正な顔に似合わぬ犬歯を剥き出した横顔を見せてニアを睨む。 『おい、アキラ。もうやめろ』 さすがに緒方がアキラの肩に手を置いたが、アキラの視線はニアに当てられたままだった。 『……それで口を割るような男なら、苦労はしない』 『はっ!saiの正体を知るためならば、犯罪行為も出来ますか』 『……』 『あなた方はおかしい。狂っています』 またアキラの肩が上がりかけたのを、緒方が押さえる。 ニアはゆっくりと身体を起こした。 『碁打ちは変人ばかりなんですか? 塔矢行洋が中国で活躍するのが気に入らないと言ったから殺すとか?』 『……!口が、過ぎるぞ。流河サユ』 夜神が伝票を持って立ち上がったので、仕方なく追従する。 雑居ビルから出た夜神は、速歩で碁会所に向かって歩き出した。 私はゲーム機の画面を見ながら、片手で夜神のシャツを掴んで引きずられて行く。 『ぶっちゃけ、日本棋院のどこかにキラがいるんじゃないですか?』 『何を……言っているんだ』 ……? 何か、緒方の動揺の仕方が。 『もしかして、キラに心当たりでもあるんですか?』 『そんな訳、ないだろう』 『それとも棋院関係者の連続死が、偶然だと本気で思っているとでも』 『……キラなんて、我々まっとうに暮らしている人間にとっては絵空事に等しい。 報道もなくなって久しいし、もういないという話じゃないか』 『どうでしょう。 公の殺人は引退して、今回のようにひっそりと趣味の殺人に勤しんでいるのかも? ねえ?ア“キラ”先生?』 『……!』 「キラ」にアクセントを置いた発音に、時ならぬ緊張が走る……なんだ? 確かにキラ事件が世間を騒がせた頃に名前で揶揄われた事もあるかも知れないが。 だとしても、今更その程度で動揺してしまうような脆弱な精神ではプロ棋士などやっていられないだろうに。 冗談では流せないバックグラウンドでもあるのか? 例えば、偶然デスノートを手に入れた……。 それを使うに当たって、この二人が共犯関係にある……。 やがて、塔矢アキラはバン!と机を叩いた。 すぐに我に返ったように自分の手を見つめるのを、緒方が視線で軽くたしなめたようだ。 背中しか見えないが、煙草を取り出して咥えたのは分かる。 『本当に、君は口が過ぎるな。 アキラがキラの筈がない』 『そんな事は言っていません』 『そうか?だとしても、何年も、事によったら何十年も一緒に働いてきた棋院の仲間がキラだと言われて、良い気持ちになる筈がないだろう』 『仲間、ね。なるほど。やっぱりキラは極悪犯罪者ですか』 『そうとも言い切れないが……第一、人間かどうかすら分かっていないじゃないか』 カチ、とライターの蓋を開け、二、三度火を点けそこなってから漸く着火した。 昨日の段階では緒方は感情的で口が軽く、アキラは冷静にそれを抑える役回りに見えたが。 どうやら本当は逆らしい。 『そうですね。 その人か人にあらざる悪魔が、日本棋院に巣くっているという事です』 『馬鹿馬鹿しい』 『おや。さっきの反応は、身に覚えがあるように見えましたけどね』 ニアが、意地の悪い笑顔を浮かべる。 アキラは固まっていたが、緒方は冷静な声を出した。 『なんだ……それを調べていたのか』 『はい?』 『ああ。“友人の妹”とやらが何の為に着いて来たのかと思っていたんだ。 昨夜も楊月も何か言っていたようだし、似た者カップルだな』 『……』 『だが探偵ごっこはやめておけ。無駄足だ』 『そちらこそ、saiを探して右往左往ではないですか』 緒方は虚を突かれたように息を呑むと、煙を吐きながら吹き出した。 『はっ、はは!そうだな。君がキラマニアであるように、我々はsaiマニアといった所だ。 確かに、もうこの世にはないのだろうと一旦は諦めたが』 煙草をぎゅっと灰皿に押しつけて、 『微かな気配でも感じると、まだこの辺りに居ると信じたくなってしまうんだ』 『私は別に、キラに生きていて欲しい訳ではありませんが』 『執着という意味では同じ事だ』 夜神と私は、碁会所のあるビルの一階エレベータホールまで到着していた。 「もう危機は脱しています。 中々面白い話になっているようですから、もう少し様子を見ませんか?」 「しかし、」 「月くんはニアを可愛がり過ぎ、甘やかし過ぎです」 「……そんなつもりはない。僕を殺せる位のタマだという事は知っているし」 私はエレベータホールの隅に夜神を引っぱって行ってしゃがみ、二人でゲーム機の画面を覗き込んだ。 「傍から見れば、かなり駄目な若者だな、僕達は」 「傍から見なくても駄目ですけどね」 画面の中では冷静さを取り戻した塔矢アキラが話している。 『先日、楊月さんにも言ったんですが』 『聞いてます。あなたから遠い人ばかり殺されているんですよね?』 『そうです。だから僕達には話せることは何も』 『もう一つも聞いていますよ』 『……』 『つまり、トーヤコーヨーの中国での活躍を快く思わない人間達が、殺されていると』 『……』 『これは、動機によって、正反対の人達が疑われます。 即ち、非常にコーヨーに心酔した近しい者達、そして反コーヨー派』 緒方がふうっ、とニアに煙を吐きかけた。 他人にそんな無礼を振る舞われた経験の無いニアが、目を剥いた後げほげほと咳き込む。 『反行洋派?何故だ?』 『……けほ、けほ、それは、中国のコーヨーを、呼び戻されると困るからですよ……』 『……』 黙りこんだ緒方とアキラを尻目に、ひとしきり噎せた後ニアはゆっくりと立ち上がった。 『とにかく覚えて置いて下さい。 キラは、居る。あなた方のすぐ側に』 『どこに行くんだ?』 『……外へ。ここは空気が悪い。外で待ちます』 私達は顔を見合わせて慌ててビルの裏口に走った。 ニアが一人で出て来る可能性もあったが、もしアキラか緒方が一緒に下りてきたら不味い。 大回りをして表通りを歩いて行くと、ニアはビルの表玄関の石段にぺたりと座り、塔矢アキラがそれを監視するように反対側に凭れて煙草を吸っていた。 先程あんなに言い争った相手なのに、律儀に送るとは中々紳士な男だ。 そして頭の切り替えが早い。 「おや、ここでしたか。サユをありがとうございました」 「楊月さん、流河さん、お帰りなさい」 「サユ、良い子にしてましたか?」 一応世間的な「兄」らしく頭を撫でようとしたが、ニアは猫のようにするりと逃げた。 「ええ、まあ。塔矢先生にはとってもお世話になりましたよ」 「全く。何か失礼を働きませんでしたか?」 「いえ……」 「この子が機嫌が悪かったとしたら、あなたに碁で負けたからだと思います」 「……は?」 アキラが煙草を取り落としそうになる。 私は何か妙な事を言っただろうか? 「軽く指導碁はしましたが、まだ勝負がつく前に席を立たれて」 「でも、圧倒的にあなたの方が強いという事が、サユには分かってしまったんでしょう」 「……本当に、流河さんは面白い事をおっしゃる。 ボク達はプロ棋士ですよ?一般の方より強いのは当たり前です」 「まあ、そうなんですが」 夜神は塔矢アキラに迫る勢いだった。 そのアキラに自分は全く勝てそうな気配がない事がニアは口惜しいのだろう。 「また、遊びに来て良いですか?」 「勿論。良かったら電話下さい。 是非、流河さんも。次回は一局お願いします」 真っ直ぐに私を見つめて言うが、何か気付いたのか? 勝負師の勘は侮れないと言うが……。
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