Go-parlor 2 遅めの朝食を済ませ、夜神は例の眼鏡を掛けて私は携帯用ゲーム機を用意した。 「何それ」 「ゲーム機風モニタです。あなたのカメラの映像が見られます。 また、私が喋らなくても文字を打ち込めばあなたのイヤホンに機械音声で指示が出せます」 「007ごっこも大概にしておけよ」 そこへ、眠そうなニアがやってきた。 「出かけます。ニア」 「はあ……冗談じゃなかったんですね」 「あなたもですよ?」 「は?」 もたもたと逃げようとするのを、夜神が捕まえる。 前もって言って置いたら絶対にどこかに閉じこもって出て来ないので、ぎりぎりまで言わなかったのだ。 「離せ!何故私が、」 「万が一私達が帰って来られなかったら、あなたは死ぬからです」 「……」 ニアが大きな目を更に見開く。 一瞬口も開きかけたが、すぐに引き結ばれた。 「震災の影響でまだ専用機の来日は制限されていますし、民間ジェットも金で何とか出来る状態ではありません」 「……」 「我々が戻らない事に気付いてロジャーに連絡し、彼が来日するまで下手したら三日以上。 あなた生きていられますか?」 「何か、その辺にある物を」 「缶詰も開けられないのに?」 「……」 「それに、未だに時折余震が来ますが、もう一度前回と同じ規模の地震が来たらあなた一人で耐えられます?」 ニアは俯いたまま長めの前髪を指で弄っていたが、やがて、 「いざと……、なったら」 「模木さんは入院中ですが?」 「……ヤマモトに、助けて貰います」 「このビルに入れる事は禁じます。 前のバス通りまで出て、山本に助けを求めますか?自分一人で女装して?」 ニアが黙り込んだので夜神に合図する。 夜神は今度は目立たない服を用意していた。 栗色のカツラは同じ物だが、茶色い帽子に白いパーカー、デニムの短いキュロットスカートに黒い長靴下だ。 「今回は敢えて野暮ったくしてみたから化粧もいらないよ。 それにしても女の子の服を選ぶのも中々楽しいな」 「変態ですね、ヤガミ。ところで胸が苦しいんですが」 「ブラジャーってこんなものだろ」 「女性に生まれなくて良かったです」 ニアは観念したのか、大人しく少女の衣装を身につけさせていた。 夜神にスポーツ用のブラジャーをつけて貰っている光景は、ロジャーに見せてやりたい物だ。 「よし、出来た。可愛いよ、ニア。特に絶対領域が」 「何ですかそれ」 「その、ニーハイソックスとスカートの間に覗いている太股部分」 「……あなた最悪です。本当に最悪です。 私に嫌がらせをする為に自分までド変態に貶めるんですか」 「いやその、日本ではそれなりに、認知度のある概念というか言葉というか……」 「なら日本そのものがド変態なんですね!」 口げんかを続ける夜神とニアと共に外へ出る。 この三人で外出するのは、移動以外では初めてだ。 「バスで行く?」 「いえ。出来るだけ顔を見られるリスクを減らす為に、車で行きます」 夜神に呼ばせたハイヤーで塔矢行洋の碁会所「紫水」の近くまで行き、雑居ビルに入ってエレベータに乗る。 あの塔矢行洋の経営する碁会所というのだからどんな場所かと思ったが、そこは思ったより狭く薄暗い空間だった。 熱帯魚の水槽が光っていて、今が夜ならクラブか広めのバーと言った趣だ。 「あら。初めてでいらっしゃいますか?」 受付の愛想の良い女性が尋ねてくる。 奥で誰かが立ち上がったと思うと、塔矢アキラが微笑みながら出て来た。 意外と背が高い。 隙のない身のこなしと目配りはカメラ越しと同じ印象だが、雰囲気は思ったより柔らかかった。 ある意味完璧、と言えなくもない。 ……キラであった頃の夜神のように。 「楊月さん、ご足労頂いてありがとうございます。 市河さん、こちら、さっき話した」 「ああ!凄く強いって言う中国の方ね?」 「台湾です」 「そちらはご友人ですか?」 「はい。ええと、同じ大学の」 夜神が自分で勝手にしろと言わんばかりに黙ったまま手で指し示したので、 「流河です。こちらは妹のサユです」 夜神が睨んできたが、どうせ呼ばれる事もないその場限りの名前なのだ、適当で問題ない。 「あらぁ、よく似てる……わね?」 市河と呼ばれた受付の女性が戸惑ったような声を出した。 私はともかくニアは完全に北欧系なので混乱しているのだろう。 しかし、ニアと私は似ているのか……。 「へえ、楊月さん大学生だったんだ」 「はい。留学生です。卒業後は国で就職する事になりますが」 すらすらと適当な事を言いながら、夜神は案内されるままに碁盤の置かれた席に向かう。 私は少し離れた壁際のソファに座ってゲーム機を開いた。 ニアが私の足下でべたりと座ると、夜神が眉を寄せてこちらにやってくる。 「何ですか」 「それはないだろ、“サユ”」 「はい?」 「いいから。僕の側に居ろ」 夜神はニアを引っぱって行くと、夜神の座る座席の隣の座敷席に上げた。 靴を脱げばニアが楽な姿勢になるという事だろうが、足を開いて座ろうとしたのを、膝を軽く叩いて阻止する。 ニアの機嫌がどんどん悪くなっていくのがこちらから見ていても分かった。 「早速ですが一局お相手願えますか」 アキラが答えより早く碁笥を夜神の方に押しやったが、その時パーテーション代わりの植木の向こうから聞き慣れた声がする。 「待て、アキラくん。もうすぐ終わる」 「酷いなぁ、緒方先生」 どうやら緒方とその対局者、恐らく指導碁を受けている客がいるらしい。 「早い者勝ちと言う事で」 アキラは笑い混じりに言うと、意にも介せず碁笥の蓋を開いた。 こちらに背を向けた夜神も、少し肩を竦めて対局の準備に入ったようだ。 身体を丸めて手元のゲーム機の画面を見る。 一般的な携帯端末では、あまりにもずっと見続けているのも不自然だ。 ゲームに夢中になっていると思って貰えれば、誰も構ってこないだろうという見込みでこの形にしたのだが。 意外にも一般客がこちらを見て驚いた様子を見せるのが鬱陶しい。 画面の中では夜神の3子置きで対局が始まっていた。
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