Hikaru 3
Hikaru 3








『……殺人鬼は論外ですが、強姦魔だったとしたら……まあ相手との関係次第ですね』

『関係?』


進藤は急に間抜けな声を出して、夜神の手首から手を離した。


『はい。相手に逆らえない理由、何か恩か義理があれば受け入れると思います』

『マジか』

『ええ。僕にとって肉体とはその程度の物です』


……これは。私への当てつけだろうな。
可愛くない男だ。
いや、可愛い男と言うべきなのかも知れないが。


『恩か義理、ね……』


進藤は考え込むように呟きながら夜神の上からどいた。
夜神も手首をさすりながら起き上がる。


『すごい、新鮮な反応』

『そうですか。僕が日本人じゃないからかな?』

『どうだろ……逆に言えば、相手を好きになるって事は有り得ないんだな?』

『あくまでも義理ですから。
 回数を重ねれば、慣れたり多少の情は沸くかも知れませんが』

『へぇ……そういうもんかな。
 っつか、楊月ってやっぱりそういう誘い受けた事あるんだ?』

『……』


影になって見えないが、夜神はきっと苦笑いしているのだろう。


『ご想像にお任せします』

『イケメンだもんな、女だけじゃなくて男にもモテそうだ』

『進藤先生も』


言いながら夜神は立ち上がり、眼鏡に向かってきた。
黒い髪、やや女性的な顔立ち。
こうして見ると夜神は塔矢アキラと少し似ているかも知れない。

やがて眼鏡は取り上げられ、景色がぐるりと回って再び進藤が視界の真ん中に来る。
夜神が装着したのだろう。


『おモテになるでしょう』

『そうでもないよ』

『でも、愛しているなら愛していると、嫌なら嫌だと、はっきり言った方が良いですよ』

『……何の話』

『見当違いでしたらすみません』

『……っ』


進藤が下を向いて小さな声で吐き捨てた言葉はマイクでは拾えなかったが、夜神は少し尖った声を出した。


『聞き捨てなりませんね』

『え……あ、れ?耳悪かったんじゃないの?』

『何故ですか?』

『いや、それ、補聴器じゃないの?』


進藤は、自分の右耳を指差す。
夜神も咄嗟にイヤフォンのついた耳を覆ったのか、ばさ、という雑音と共に音が籠もった。
さっき、押し倒された時見られたか……。


『あ、あの、ごめん』

『いえ。気にしないで下さい。
 でも用事を思い出したのでやっぱり今からタクシーで帰ります』


そう言って夜神は玄関に向かった。


『待てよ。謝ってるだろ!』

『ああ、怒ってなんかいませんよ。本当に、用事を思い出したんです』

『……』


もう一度玄関を向いた夜神に、ふらつきながら立ち上がった進藤が追いすがる。


『また会える?』


彼は、幼児のように不安げな目で夜神を見つめた。


『あー……。はい』

『携帯教えてよ』

『あの、進藤先生のファンなので、また進藤先生がいらっしゃるイベントに行きます』

『でも、このまま連絡先も聞かずに返したらオレが緒方先生に怒られる』

『ああ……』


私は溜め息を吐いてマイクに向かった。


「いいですよ、月くん。その携帯の番号とアドレスを進藤プロに伝えて下さい」

『分かりました。では……また何かあったら連絡して下さい』


二人はアドレスを交換して、玄関で別れた。






『GPSと眼鏡で場所は分かるだろ。イヤホン外すぞ』


大通りに向かって歩きながら、夜神がマイクに向かって吐き捨てる様に言う。


「何故ですか?」

『ちょっと、一人で考えたい』

「分かりました。私はしゃべりませんから」

『しゃべらなくても、嫌なんだよ、おまえと繋がってるのが』


夜神は苛々したように言うと、空車のタクシーを見つけて手を挙げ、同時に乱暴にイヤホンを外す音がした。
仕方なく、私もマイクのスイッチを切る。

進藤ヒカル……。
彼が連続死事件の犯人であるかどうかはともかく、行洋にも緒方にも注目されているというのは捨ておけない。
しかも、見た目よりも観察眼もあるし頭の回転も速いようだ。

しかし、死んだ人間が行洋の中国棋院所属に反感を持つ者ばかりというのは収穫だな。
親行洋派の中にも、派閥があるという事か……。

緒方とアキラは、どうなのだろう?

二人ともプロ棋士なのだから、自分より強い棋士の不在は喜ばしいと、普通は思うのだが。
行洋も含め、saiへの執着を考えると、ああいった人種は無意識に強者を求めるのかも知れない。

そんな事を考えていると眼鏡の映像はタクシーを下り、夜の道を歩き始める。
さすがの大都会もこの時間のオフィス街となると、人通りはほとんどない。
やがて地階のエントランスに到着したので、無言でロックを外した。





「お早いですね」


仏頂面で帰ってきた夜神に声を掛けると、軽く眉を顰める。


「ああ。ちょっと変な雰囲気になったから。
 何も起こる筈もないが、おまえが嫉妬すると面倒だからな」

「嫉妬?何の事です?」

「進藤ヒカルの家に行く前、何か言ってただろう?」

「冗談を真に受けないで下さい」


怒るかと思ったが、夜神は流し目で私を見てニッと口の端を上げただけだった。
……彼は私を苛立たせる名人だ。


「そうか。なら進藤センセーの冗談も真に受けない方が良かったかな?」

「さて。しかし煙草臭いですね」

「久し振りだ。煙草を吸う人の側に行ったの」

「ですね。シャワーを浴びて来て下さい」


夜神は真顔に戻ってまた眉を顰めた。


「『浴びて寝て』じゃなくて『浴びて来て』なのか」

「嫌なんですか」

「そうだな」

「まあ、実は煙草の匂い、嫌いじゃないんでこのままでも」

「だから嫌なんだよ、そういう……」


夜神は珍しく中途半端なしゃべり方をして、顔を逸らす。


「何故ですか?私達、身体の相性だけは良いんですよね?」

「……気分じゃない」

「ほう。あの進藤ヒカルに当てられましたか?」

「……」

「彼、美形という訳ではないですし賢くもないですが、どこか魅力的な人ですよね。
 それこそ男にも女にもモテそうです」

「本っ当に面倒臭い奴だなおまえ」

「そうですか?」

「妬けるなら妬けると言えばまだ可愛げがあるものを」


私は思わず噴き出し、くっくっと笑い声を漏らすと、夜神がまた睨んできた。


「すみません、あなたの反応が、あまりにも予想通りだったので。
 それはもう、一言一句、そのままでした」


夜神は目尻を吊り上げるが、構わずにその手首を掴む。


「だから、気分じゃないんだ……」


不思議だ。
タイで薬に酔ってお互い醜態を曝して以来、開き直ったように快楽に素直になっていた夜神が。
半ば無理矢理犯していた頃に戻ったように鈍い反応を見せる。


「生理ですか?」


どうせ殴りかかって来るか、氷のような蔑んだ目をするだろうと思ったのに、夜神はいつになく目を伏せた。


「その反応、洒落にならないんですけど」

「……いや。生理ではないけど今日は危険日だから止めてくれ」


真顔で冗談を言う男だっただろうか。
と首を傾げた途端、夜神は上目遣いでニヤリと笑った。
私も笑って見せる。


「ならば今日はゴムなしでしましょう」

「はははっ。……最っ低」


夜神は真顔になって、怒った振りをしたまま寝室に逃げて行った。
私は、追って無理矢理引き倒さない自分を……訝しく思った。






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