Black and White 1
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囲碁イベントは、日本棋院ではなくイベント会場を借り切っての中々大規模なものだった。
自粛ムードの中、大した人出だ。
とは言え、開会式は今回の地震で死んだ者達と、ついでにその前に他界した囲碁関係者への黙祷から始まったが。

イベントが始まると、夜神はカメラを見る私を気遣ってか、ゆっくりと辺りを見回しながら会場の中を進んでいく。
節電のため、辺りは恐らく普段よりも相当薄暗く、人の顔が見えにくい。
それもこちらにとっては僥倖だ。

少し伸び、地毛より黒く染めた髪が彼が夜神月だと分かり難くはしてくれているし、イヤホンも隠れているが。
万に一つにもバレる訳には行かないのだから恐ろしい事には違いない。


『取り敢えず外国人は見当たらないな』

「あなたも一応外国人なんですからね?」

『分かってる。台湾からの留学生、楊の出番だ』


小声で独り言を言いながら歩いても目立たない程、周囲は活気に溢れているようだ。
老人ばかりかと思ったが、若者や子どもの姿も少なくない。


『ところで塔矢アキラのブース、凄い人で近づけないんだけど』

「困りましたね」

『他に容疑者はいないの』


そう。
今回、我々が一番調査したいのは、模木とは違って塔矢行洋の一人息子、塔矢アキラだった。
勿論緒方も十二分に容疑者圏内だが。
「息子」というフィルターを外せば、「現名人」を認めない輩を一番許せないのは、その本人だろう。
アリバイのある犯行もあるが、デスノートを使っているとしたら関係無い。


「他に、塔矢門下の人はいませんか?」

『と言っても、その辺りは固まってるからな』

「他の門下では……」

『あ』

「何ですか」

『いつの間にか進藤ヒカルのブースに並んでいた』


進藤ヒカル……森下門下で若くして本因坊。
森下門下と塔矢門下はあまり交流がないようだが、進藤ヒカルは塔矢アキラと同じ年齢だ。
それに。
彼に関しては、ネットでも色々と面白い噂を拾っている。


「進藤本因坊に、指導碁をして貰って下さい」

『何を聞き出せばいい?』

「何も。碁と関係無い話をしたら不自然ですし。
 いつも通り打てば良いと思います」

『よく考えたら、この眼鏡とイヤホンがあるんだからおまえが盤を見ておまえの指示を受けて打てば良かったんじゃないのか』

「いずれはそうなるかも知れませんが。
 変なタイムラグがあればバレますよ。特に本因坊には」

『え?何だって?』

「いえ。せいぜい、驚かせてあげて下さい」


進藤ヒカルプロは、前髪だけ金色の奇妙な髪型をした若者だった。
自らの周囲にぐるりと十四面並べて、同時に相手をしているようだ。
観客は、夜神のように相手をして貰う為に並んでいる者と、観戦している者に分かれている。
並んでいる方は、今相手をして貰っている客の盤を見る事はほとんど出来ない。

本因坊はゆっくりとした速度で反時計回りに歩きながら、しかし足を止めずにぴしり、ぴしりと次々に打っていっている。
一瞬で局面を判断し、指導碁として最適手を導き出しているという事だろう。
若いのに大したものだ。
確か、塔矢アキラも進藤ヒカルも、夜神と同じ二十五歳だったが。

三十分ほど待って、ようやく夜神も盤の前に座ることが出来た。


『お願いします』

『お!若い人じゃん。初心者?置き石って分かる?』

『初心者という程でもないです。2子でお願いします』

『……へえ。自信あるんだ?凄いね』


進藤ヒカルは少し揶揄うように笑う。
どうやら、タイトル保持者にしては子どもっぽいキャラクターの人物のようだ。
彼は短い会話の間にも歩を進め、隣の盤、その隣の隣の盤と石を置いていく。

それを見送った後、夜神は斜めの二つの星に白い石を置いた。

それから何周か、進藤棋士は無言で歩を緩めずに石を置き続けたが、やがて……夜神の前で立ち止まる。


『……院生だった事、ある?』

『ありません』

『だよな。今までこういう囲碁イベントも来たこともないよな?』

『はい』


進藤棋士は腕を組んで「ん〜」と唸った後、ぴしりと高い音を立てて黒石を置き、歩いて行った。


『すみませーん!今の対局が終わったら休憩に入りたいんで、整理券配って貰えます?』


通りかかったスタッフに進藤プロが声を掛けると、スタッフが整理券を持って来て並んでいる客に配り始める。
人が散り、対局者の内半分くらいが頭を下げて石を片付けて去った所で、夜神も投了した。


『……負けました』

『お。諦めが早いな。粘らないの?』

『さすがに、ここから挽回するのは無理だと分かります』

『まだそんなに差はついてないのに』

『無理です』


夜神が目を上げると、進藤プロは楽しそうに笑っている。


『ありがとうございました』

『ありがとうございました。良い読みしてるね。ちょっと待っててくれる?』


夜神がゆっくりと石を片付けていると、進藤プロは残り数人の盤に今まで以上の速さで石を置いていった。
進藤プロが休みたがっている事を察したせいか、次々と投了して、あっという間に全ての対局が終わる。


『な、あんた、名前なんて言うの』

『僕は……楊です。楊月亮と言います』

『中国人だったんだ!日本語上手いね。なるほどなぁ』

『何がですか?』

『日本人であんた程強かったら、これまで噂になってない筈がないからだよ。
 中国棋院?ヤンユエって、ヤンハイさんの血縁の人?』

『あー……』


馴れ馴れしい立て続けの質問に、夜神が本気で戸惑っている。
私は思わず小さく吹き出してしまった。


『すみません、日本語まだそこまで得意じゃないんで……』

『あ、ごめん!』

『それに、僕は台湾出身です。楊という名前は中国には多いですよ』

『そっかー。台湾棋院?台湾棋院に誰か知り合いいたっけ』


……外国の棋院と、そこまで交流があるというのは計算外だ。
夜神もさぞや焦っているだろう。


『いえ……僕は台湾でも棋院には、』

『まあ、ちょっとこっち来てよ』


思ったよりもがっつりと食いついてくれたようだ。
ここまで狙い通りの展開になるとは。
これが塔矢アキラだったらもっと良かったのだが……。

進藤プロは、困って無言になった夜神の手首を引くと、混雑する会場内を歩き出した。


『あれー?さっきまでこの辺でうろうろしてたんだけどな。
 あ、倉田さん!三番ブースで十分後から指導碁よろしく。整理券配ってっから。
 あと、緒方先生知らない?』


少し遠い所にいる人物に呼びかけたのか、返事はざわめきに紛れて聞こえない。
緒方……緒方碁聖の事か?それでは話が上手すぎるか。


『ちっ、喫煙所にでも行ってみるか』

『あの、進藤プロ、』

『あ。悪い。ツレとかいた?』

『いえ。一人で来ましたが……』


進藤はようやく、自らの非常識さ、異常な強引さに気付いたかのように足を止めた。


『ごめん、素人さんでもさ、面白い奴に会ったらつい紹介したくなるんだ。
 それにヤンユエさんは……』

『何ですか?』

『んー、いや、何でもない』


手を離し、少し足を緩めながら。
しかし夜神がちゃんと着いて来ているかどうか、確かめながら進んでいく。


『あの、喫煙所あちらって書いてありますよ』

『それお客さん用ね。プロがそっち行くと面倒くさいから、多分こっちに……』


進藤は人気の無い隅に進み、防火扉を開ける。
暗い廊下を少し歩くと、そこは階段下が小さなロビーのようになっていて、灰皿が置いてあった。


『あー、緒方先生、やっぱりここに、』


言いかけた進藤の、背中が止まった。
夜神のカメラはその後ろ頭にぶつかりそうになって避け、進藤の見ている光景を見る。

灰皿の前の簡素なベンチには明るい色のスーツを着た眼鏡の男が座っていた。
正に写真で見た、緒方碁聖だ。
そしてその向こうで立ったまま、煙草を口に咥えているのは。


『……塔矢先生も、ここでしたか』


?……進藤の声が、少し沈む。
人差し指と中指の間に煙草を挟んだ人物は、無言で灰皿の上に手を運び、優雅な仕草で灰を落とした。






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