Massive attack 1 「……13の一」 「11の十二」 「………………えーっと、9の七?」 「そこ、もう石あります」 「じゃあ……9の、八……」 「9の一」 「……もしかして、もう終わってる?」 「終わってますね」 夜神は目を閉じたまま眉を大きく顰めた後、瞼を上げた。 「……ありがとうございました」 「はい。何目負けか知りたいですか?」 「いらない」 夜神は珍しく苛立たしげに椅子を蹴って立ち上がる。 「どうしたんですか?子供みたいですね」 「いや……やっぱり無理だと思って」 「目隠し碁ですか? まあ無理でしょうね。プロの碁打ちでも中々出来ないそうですから」 「!」 十九路の碁盤も碁石も使用しない、音声だけのハードな囲碁。 それでも一応勝負が付く所まで行ったのだから、大した物だ。 本人に言いはしないが。 今まで何度も命を落としかけた。 何度も修羅場をくぐってきた。 それでも「無理だ」などと口にした事はほとんどない夜神だ。 目隠し碁が出来ないのも、私に碁で勝てないのも、相当なストレスなのだろう。 「でも、だからこそ多少でも出来るとかなり碁が強い人みたいな印象を与えられるんですよ」 「指導碁を受けるんだから、別に強くなくても構わないだろう」 「いえ。ある程度は先方の印象に残って貰わないと」 始まりは、先のホテル爆破崩壊事件で未だ入院中の模木から珍しく来た控えめなメールだった。 タイで事件を解決し、軽い薬物中毒で這々の体で日本に戻り、ニアにも会わずに丸二日程寝室で過ごした。 (薬の後遺症を“処理”する為でもあったし、後半は文字通りただ寝ていた) 三日目に、ニアが挨拶より前に見せて来たのがその依頼メールだったという訳だ。 曰わく、 『自分は趣味で囲碁を習っています。 今回メールしたのは、完全に自分の杞憂かと思われるのですが 囲碁の師匠筋に命の危険が及んでいる可能性が否めないからです』 ……東京で顕在する殺人事件は、キラが居なくなってから、以前の水準・年間約120件に戻った。 実際にはその十倍近い殺人が行われていると個人的には睨んでいるが。 とにかく、その内の一件が囲碁ジャーナリストだったらしい。 その事自体は全くおかしくない。 しかし、その前の三ヶ月に、囲碁関係者が次々と不自然な病死、事故死を続けているというのだ。 プロ棋士、 日本棋院という囲碁の総本部のような場所の従業員、 院生というプロ棋士の卵、 碁会所という、囲碁専用ゲームセンターのオーナ−。 今回で五人目だ。 偶然。と言ってしまえばギリギリ通る数。 しかし、そのギリギリ加減が不自然な気もする。 模木も、連続殺人事件だと言い切れる根拠もデータもない。 だから相沢に軽く相談してみても、当然のようにスルーされたそうだ。 『殺された五人には、囲碁以外にも共通点があります。 そして、私は師匠の師匠である緒方碁聖の命も危ないと考えています』 「緒方精次」という、プロ棋士について少し検索してみる。 塔矢行洋という元名人に師事し、若くして頭角を現した。 しかし、その後の若手の追い上げもあり、一冠に留まっている……。 写真を見ると、眼鏡を掛けた目つきの悪い男だった。 『私の推理をお話する事は、おこがましくて出来ません。 申し訳ありません。 それ以前に日本警察が事件性を見出さない以上、私が考える事は許されないのでしょう』 あの模木が、こんなに長々と繰り言を書くという事は、余程悩んだのだろう。 それを想像すると少し微笑ましくなってしまうが。 『これが犯罪だと仮定するならば、まるでデスノートを入手した誰かが、私怨でそれを使っているように思われます。 何卒、Lの意見を、一言で良いのでお聞かせ願えませんでしょうか』 模木のメールは、そんな結びで終わっていた。 恐らく、「考えすぎだ」と一言だけ言って欲しい、そんな願望が見て取れる。 世界一の頭脳である「L」がそう言えば、模木はもうそれ以上何も考えず、自分は出来るだけの事をしたと納得して眠れるのだろう。 「で?」 ソファに埋もれたまま、床にぺたりと座り込んだニアを睨む。 しかし彼は意にも介さず、というかこちらを見もせず、プラモデルで遊んでいた。 「あなたがたがタイで遊んでいる間に、少し調べて私なりに推理してみたのですが」 「遊んでいた訳ではありませんが」 ニアが言うには、キーワードは「塔矢行洋」らしい。 日本囲碁界のトップに上り詰めながら、中国棋院に移籍した元名人には、今も熱狂的に心酔するファンが多いという。 死んだ五人はそれぞれ、親塔矢行洋派だった。 囲碁界の大物だ、そんな人間は数多いだろうが、それにしても偶然が過ぎる。 「恐らく、モギの推理もこれだと思います」 「なるほど、塔矢行洋の弟子である緒方精次は最も行洋に近しく、傾倒している人間という事ですね?」 「それが微妙で。死んだコーヨーのファン達は、確かにコーヨーに傾倒していた。 しかしそれは、コーヨー以降を認めない、つまりオガタやトウヤアキラ達も支持しないという事です」 ニアはニヤリと暗い笑いを浮かべた。 「つまり、オガタやアキラにとって都合の良い人物が死んでいる」 「はい。モギは、オガタが次に殺されるのではと危惧すると同時に、犯人ではないかと疑っているのではないでしょうか。 被害者と共通点がある、ではなく、単に『命が危ない』というのは死刑になりかねないという意味では?」 「なるほど」 それなら、模木の奥歯に物の挟まったようなメールも納得が行く。 その時、ずっと黙っていた夜神が、腕組みを解いて口を開いた。 「それで、ニアはどうしたいわけ?」 そう。それが問題だ。 Lへの依頼は引きも切らず、中にはもっと明らかに凶悪で難解な事件も沢山ある。 「私は」 ニアは、呟いた後、黙り込んだ。 あとは黙々と、プラモデルを弄っている。 まるで、本当の幼児のようだ。 「調べたいんだな?この事件」 「冗談は止めて下さい、月くん」 「そうだろ?ニア」 ニアは少し顔を上げて、その丸い指先に自分の髪を絡ませた。 「……事件性があるとは、言い切れないと思います。 私だって、これがアイザワからのメールだったら黙殺します。 でも」 まあ……気持ちは分かる。 常に、非常に私達の役に立ってくれた、模木。 自分の事など何一つ考えていなさそうな、日本でも今時珍しい「滅私奉公」という言葉が似合う無骨な男が、初めて我々を頼ったのだ。 「……分かりました。で、具体的にはどうやって調べるんですか?」 ニアの頬に、赤みが差した。 「まずは、被害者と塔矢行洋周辺の聞き込みですね」 「誰がするんです?」 「え。それは……」 目を上げて、当たり前のように夜神を見つめる。 だから、彼は、日本国内では外に出せないと知っているだろう。 「では、模木さんにお願いしましょう」 気付かぬ振りで言うと、今度は夜神が私を見つめた。 「いや、爆破事件に巻き込まれたんだぞ? まだ入院中だし。それに模木さんの事だから、碁会所でも素性隠してないだろ。 刑事が調べているとなれば、相手がデスノートを持っていたら不味いんじゃないか?」 そんな事は分かっている。 冗談に真面目に反論されると、その頭の悪さ、あるいは性格の悪さに苛々する。 しかし、本名が知られていなくて捜査もできる人間となると。 山本に頼むか?また「ジェーン・スミス」の出番か。 「僕が行くよ」 「冗談ですよね?」 即答すると、夜神は俯いてクックッ、と笑った。 「いや、マジ。どうせ髪も染め直すつもりだったし。 タイで使ったあの中継カメラ眼鏡があれば、おまえも様子が見られるだろう?」 それは、縁の太い眼鏡に見えて、前面と側面に超小型カメラが埋め込んであるスパイ装置だ。 ワイヤレスのイヤホンとセットで使えば、まるで私が夜神になったかのように見られるし指示が出せる。 が。 「あなたが誰かに見つかり、破滅するのは全く構いません。 しかしニアや私が巻き添えになるのはごめんです」 「見つからないと思う。僕は死んだ事になっているし。 似ていると思っても、まさか本人とは思わないだろ」 「長丁場になりますし、金髪も日本から出たという確証はありません」 「それこそ、絶対会わないだろう? 万が一囲碁関係の場所に居ても、あんなド白人、絶対こちらが先に気付く」 「変装していたら?少なくとも髪は黒く染めてると思いますよ?」 「本気であいつが碁会所に来ると思っている訳じゃないだろう?」 夜神も、言い出したら聞かない男だ。 私は黙っているニアに顔を向けた。 「夜神はやはり信用なりません。 ニア、あなたが行けば良い。変装用の装束、まだありますよね?」 「捨てました」 「……」 「二度と使う可能性はないと判断しました。 荷物は増やしたくありません」 「ならば、もう一度注文して、届いてからで良いでしょう」 「L……」 「夜神が日本にデスノートを隠している可能性はほぼゼロだと思います。 しかし、0%ではないんです」 夜神がキラであった頃、彼が碁会所やその他囲碁関係の場所に近付いていないという確証はない。 現在の状況を予想し、色々な意外な場所にデスノートの切片を隠して……。 「今回の事件が本当にデスノートによる物ならば、そのデスノートは正に夜神が隠した……」 その時。 チチチ、とテーブルに置いていたカップが鳴った。
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