美しい名前 1 「しっかしまぁ、よく保つね、月くん」 捜査本部で、突然話し掛けられてモニタから目を上げる。 そこには目をこすりこすり、半分寝ぼけたような松田さんが居た。 「はい?」 「竜崎と。……もうすぐ三ヶ月になるじゃない?疲れない?」 「はい……」 松田さんは疲れると、眠気覚ましにどうでも良い事を話し掛けてくる事がある。 だがこうして、「思っていても誰も言えない事」をさらりと口にする所はさすがだった。 「眠いなら寝て下さい松田さん」 「ぅわっ!竜崎、居たの?」 「居ますよねそりゃ。月くんと手錠で繋がってもうすぐ三ヶ月ですから」 「ああ……!その、1メートルも離れると、いないような、っていうか、 いつももっとくっついてるから、」 言いながら、更に墓穴を掘った事に気付いたのか汗が噴き出す。 確かに……竜崎は外国人のせいかボディタッチが多いような気もするし、 対人距離がおかしかったりもするが。 「はあ。月くんの背後霊みたいですみません。 それより明日はいよいよ『キラ特番』出演ですよ。 心して下さい。今日はもうゆっくり休んで下さい」 「え……」 竜崎の静かな言葉に、捜査本部の空気も静まり返った。 ……彼は、火口に「顔だけで殺す能力」があれば松田さんは死ぬと宣言している。 いつも松田さんに対して手厳しい竜崎が、彼の失言を殆ど咎めなかった事によって 死という物が突然現実味を帯びた気がした。 松田さんはショックを受けたようにふらふらと立ち上がる。 それから無言で捜査本部を出て行った。 「魂が抜けたみたいになってましたね」 「あれで真面目な人なんだ。あまりからかうな」 「私は何も言っていません。 それに、明日松田さんが本当に死ぬ可能性も5%ほどはあります」 竜崎は。 見た目のインパクトからしてコミュニケーション能力に難があるタイプかと思ったが 意外と冗談も言うし切り返しもする。 こんな時は本気かどうか分からなくて少し戸惑うが、父も模木さんも松田さんも 突っ込まない所を見れば、竜崎の言葉に重きを置いているのだろう。 つまり、それなりに常識人だと認識している、という事だ。 だが。 二人きりの時の竜崎は、最初の印象よりも更に常人離れしていた。 「胃薬、要る?」 「要りません」 竜崎は、野菜を一切食べない。 肉類も卵も(カスタードクリーム以外)食べない。 よく生きていけるなと、感心する程甘い物ばかり食べている。 しかも週に一、二回は、こうやってトイレで盛大に吐く。 「健康に良くないよ」 「あなたは私のママですか?それとも奥さんですか?」 「違うけど」 トイレを流し、洗面所でじゃぶじゃぶと口と顔を洗う。 袖をまくりもしなければ水が飛ばないように気をつける事さえしないので、 Tシャツがすぐに水浸しになる。 それを脱がせ、きれいに畳んで棚に積んである替えのTシャツを被せてやるのは いつの間にか僕の役目になっていた。 (竜崎に任せておくといつまでも着替え終わらない) 正直、母親や妻以上の世話をしていると思う。 というか実際、三歳児の母親にでもなった気分だ。 その他にも。 竜崎は部屋では壊れたラジオのように一人で延々としゃべり続ける事がある。 逆に、こちらが話し掛けても一切無視して、丸一日ほども言葉を発しない事も。 聞き取れない外国語の独り言を一晩中ぶつぶつと呟いている事もあれば、 度を超した貧乏揺すりが止まらない事もある。 総じて言えば、精神的に健康な成人男性だとはとても思えなかった。 けれど、捜査本部では一応、変な座り方でも座っているし まともな会話も出来るので、僕の前でだけは気を使わない事にしているか、 それとも逆に、頭のおかしい演技をしているのだろう。 「どうして僕の前ではそうなんだ」 「はい?」 「捜査本部ではある程度だけど普通にしてるから、自分の行動がおかしいって 分かってるんだろ?」 「……」 竜崎はこれまた常人離れした、猫のように大きな目で 気持ち悪い程に僕を見つめた。 「……ずっと手錠で繋がれた相手に、気を使っていてはやっていられません」 「ああ、やっぱり」 「それに、夜神くんは私が何をしても殆ど引きませんよね? それは、私にとってとても楽なことです。 キラが夜神くんであって良かったと、心から思います」 「……」 また、その話か……。 竜崎は、僕がキラだと思っている。 僕にその自覚がないのはある程度信じてくれているようだが、 それも記憶がないだけだと。 まあ、竜崎の中の事だし気にしても仕方が無いが、 偶にこうやってちくりと刺されるのは、良い気分ではなかった。 「僕は我ながら思考力が高い方だと思うんだけれど、そういう人間の特性として、 意識的に『気にしない』事が得意なんだ」 「なるほど」 「マーチングバンドが演奏しているど真ん中でも、必要とあれば 最高の集中力で勉強出来るよ」 「や、やっぱり夜神くんは、私と似ています。 私も月くんの前でなら、完全に普段通りに振る舞えます」 褒められているのか馬鹿にされているのか。 竜崎は変な所でどもりながら、いつもの気味悪い笑顔を浮かべた。
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