Arabian Nights 5 「……ここにいたのか」 「はい」 事後、夜神は気を失うように眠り込んでしまったので 私はシャワーを浴びた後モニタルームに来た。 緑色LEDがついていた録画済映像を選択し、メインモニタで再生する。 この建物の監視カメラの映像だ。 そして椅子を引いて大写しになった夜神を延々と眺めていた所で、 背後から当の夜神に声を掛けられたのだ。 振り向くと、シャワーを浴びたらしくタオルを肩に掛けていて髪が濡れている。 日本人の地毛には有り得ない、明るい灰色がかったブラウンになっていた。 「正解でした」 「……何が。盗撮した事が?エロ動画として売るの?」 静かな声だが、下品な言葉の選び方からして、怒っているのだろう。 画面では丁度、夜神が喘ぎながら私の背に爪を立てた所だ。 「いえ。栗色の髪をしたあなたを、映像に残しておいて良かった」 「何の証拠に使うんだ?」 「別に何にも使いません。私個人の思い出として、です」 夜神は心底驚いたように眉を上げた。 「おまえがそんな事を言うとはね。すぐに髪は伸びるし、 前の髪色の方が良かったならロンドンに戻った時に染め直すよ」 「本当でしょうか?」 ……夜神は、私の元から離れるかも知れない。 それを無理矢理留める術はない。 また、戻ってきたとしても受け入れられるかどうか……つまり、 デスノートを手にしていないか、スパイ化していないか判断するのは難しい。 最悪、今晩の事が文字通り「最後の情事」になる可能性も十分にある。 そう思いながら、事に臨んだ。 そして思った通りに髪を染めてきたので、録画しておいて良かった、と思ったのだ。 生きている夜神の映像は、夜神が裏切った場合私の手札になる。 ニアが帰ってきて以降だから、丸半日分の、生きて動くキラ。 夜神は誤解しているようだが、ベッドルームだけを録画したわけではない。 「それで、ベッドの中であまり口を開かなかったのか」 「まあ、そうです」 『ああ……あっ、そこ、いやだ、』 『たのむから!たのむから、もう、じゃないと、僕は、』 広くて暗い部屋の中、モニタだけが光っている。 無言で腕を組んでそれを眺める、夜神の瞳の中にも夜神が四角く光っていた。 その顔にはいかなる表情も浮かんでいない。 「……どうですか?月くん」 「どうって、別に。我ながら間抜けな顔だな、と思うだけだ。 リュークの目に、僕はこう映っていたんだと」 「ああ、あなたは何年も常に死神の目に曝されながら生活していたんですね。 セックスも排泄も、全て見られている生活というのはどうでしたか?」 「バスやトイレの中には流石に入って来なかったよ。 そういう意味ではおまえの方が不躾だった」 「まあ……手錠をしたのは、一瞬も目を離さない為でしたから」 あんな超常的な殺人手段を使われたら、普通は手錠でも生温い。 私自身は一瞬も夜神に対する疑いを解いていないのに、 解放させられたのは屈辱だった。 「でもあなたは、高田との事も捜査本部の人間に聞かれて平気だった……」 「僕がキラに繋がる訳じゃないから、聞かれて困るような事はなかったしね」 「その、自分に危険が迫る事でなければ、プライベートを全て公開してしまえるという 異常な羞恥心のなさが、あなたの特性でしょうか」 夜神は、特殊な人間だ。 稀有な頭脳だけでなく、稀有な精神力、稀有な人心操作術をも併せ持つ。 あらゆる犯罪者を見てきた私からしても、興味が尽きない。 「いや、普通に恥ずかしいよ。でも排泄だってセックスだって、誰でもしてる事だろう?」 「そうなんですけどね。それでも隠すのが人の常という物ではないのですか?」 「おまえは?」 突然切り返されて、思わず口を噤んでしまった。 「おまえがもし『L』じゃなくても、プライベートは全く公開出来ない? 誰にも見られたくない?」 「……公開はしませんが、絶対に見られたくない、という感情はありませんね」 「だと思った」 夜神が、冷たく笑う。 対照的に、モニタの中では額に汗した夜神が、頬を赤らめて息を荒げていた。 「僕は、自分の信じる道を真っ直ぐに歩いている。 僕の中に矛盾などない。 この生活のどこを切り取っても、誰に見られても恥じる所はない」 なるほど。 例えば、目的の為には手段を選ばない、その事を恥とも思わない、 そういう人種はいるが、その中でも極端な類なのだ、夜神は。 ……そして私も。 「恥」の概念を突き詰めれば、その正体は「自己矛盾」に過ぎない。 そこに「嘘」があるから恥ずかしい。 排泄を汚らわしい物とし、「私は動物とは違います、排泄なんかしません」という 顔をするから、恥ずかしいのだ。 私からすれば、排泄行為がそれ程恥ずかしいのなら、セックスも流血も落涙も、 体内から何かを出すという意味で同じくらい恥ずかしいのではないかと思う。 その点、夜神は自己を完全に肯定している。 理想の自分と現実に、全くギャップがない。 毛一筋程の矛盾もない。 どんな美人も、外出する時はマナーとして化粧をするだろうが、 本物の美女なら、もし人前で化粧を落とすハメになっても慌てない。 それに似て、常識的に慎ましい夜神も、理由があれば自分の生活を全て曝せる。 見られて不都合な事はあっても、見られて恥ずかしい事は何もないのだろう。 自室に仕掛けられた64個の監視カメラにも、全く動じなかった訳だ。 「じゃなければ、24時間監視し合う生活が上手く行く筈が無い」 「そんなものでしょうか?」 「そんなものだよ、お互い。相手が僕で良かったな」 夜神と手錠で繋がれていた頃、私は特に不満を感じなかった。 彼も同じ調子で、その事に疑問を抱いた事はなかったが、 確かに相沢などは「月くん、よく保つな」と嘆息していた。 『う……もう、あっ、そこ、来る、から……だめ……』 画面の中では相変わらず、もう一人の夜神が髪を振り乱して快感を訴えている。 まるで別の男のようだった。 「男に挿れられて、こんな風に乱れる事も自己肯定出来ますか?」 もう一度訊いてみると、夜神は初めて眉を顰めた。 しばらく考えて、やがて腕組みを解く。 「……肛門性交には女性相手とは違う種類の快感があるんだろうな、 というのは予想していた。だから感じる事は嫌でもないよ」 「さすが、許容範囲が広いですね」 「ただ……相手がおまえ、というのは正直、受け入れがたい。 自分という器から逃げ出したくなったのは久しぶりだ」 気づけば、夜神は遂にモニタから目を逸らしている。 丁度私の動きが早くなり、夜神の開いた口の端から涎が糸を引いている所だった。 「……でも、受容しなければならないと思っているし、そうするつもりだ」 「……」 夜神の精神の、最も特異な箇所。 それは、大多数の人間が一生掛かっても受け容れられないような事を、 僅かな日数で受け容れてしまえるという点だ。 人をその手で殺した苦悩を、僅か数日で乗り越えたというだけの事はある。 キラの精神は、神の域に達している…… 当時私が抱いた印象は、あながち間違っていない。 だがそのキラに、「自分という器から逃げ出したくなった」と言わしめたのが 私だという事に、少し満足した。 「だけど今は、この映像は消してくれないか?」 夜神が、真正面からこちらを向いて、珍しく下手に頼んでくる。 その顔は相変わらず平然としていたが、よく見ればモニタの光に照らされて 耳だけが赤く染まっているのが見て取れた。 ……。 「気がついてました?」 「?」 「あなたの中、凄く感度が良くなっています。 指を少し入れただけでもっともっとと伝えて来ます」 「……」 「あなたの体はこんなに早く私を受け容れたのですから、あなたも早く、」 少し言い過ぎたか、と思った時には、夜神の拳が私の頬にめり込んでいた。 椅子ごと倒れたが、転倒の前に床に手を突いて下半身を回転させる。 踵が上手く夜神のどこかに当たった衝撃があった。 昼間ニアが止めてくれたにも関わらず、結局私たちは殴り合いをする事になった。
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