Arabian Nights 1 夜神が、ニアを地下駐車場まで送って行って帰ってきた。 あとは、民間警備会社のSPが迎えに来る筈だ。 万に一つ、SPが直接にでも間接にでも夜神の顔を知っている可能性を考え、 直接引渡しは控える。 「どうでした?」 「とても不機嫌だったよ」 「でしょうね」 取引現場に、何故かニアが行く事になった。 寛げない環境で、たくさんの見知らぬ人間と過ごす一晩。 私自身、自分が行けたとしても絶対に行かない。 リラックスする事を何より優先するニアには、相当厳しいだろう。 とはいえ、夜神の言い分を聞いてみればニアに行かせるメリットもないではない。 まあ、後で何か埋め合わせをすれば良いだろう。 「そうですか……上手くシンジケートも教授も金髪も一網打尽、と 行けばいいですが、まあ無理でしょう」 「だろうね」 「……」 「……お茶、飲む?」 「いえ。もう良いです」 「そう」 「……」 夜神が座ると、部屋の中が静かになった。 この所、今回の取引に向けての対策や計画の話ばかりしていたので 人事を尽くして天命を待つ状態の今となると、途端に話す事がなくなる。 ……本当に、今回は夜神やニアとよく話し合った。 何年も探偵の仕事をしてきたが、これ程誰かと話し合った事はない。 今まで何でも一人で考え、決定してワタリに手配を頼むだけで事足りたからだ。 例外的にさる国の女王や某財閥のトップと話し合った事もあるが、 基本、私が方針を説明し、先方が了承するだけだった。 なのに今、夜神が私の方針に正面切って異を唱える。 唱えるだけでなく、代案を出して来る。 これがまた侮れない。 人と共に仕事をするというのは、こう言う事かと。 自分と違い、尚且つ自分と同等の思考力を持った者と 意見を摺り合わせていくというのは、こういう事かと新鮮に思う。 今まで、こんな体験をした事がなかった。 だが幸いにも、今まで重大な局面で意見が対立した事はない。 あのキラと、と思うと良い気はしないが価値観が似ている。 夜神も自分の事でなければ、私と同じくらい公正で冷静な視点を持っているのだろう。 総じて言えば、夜神との仕事は非常にやりやすかった。 夜神と関わるようになってから、以前は大概私に従っていたニアも どことなく自分の意思というものがはっきりしてきたように思う。 「……二人きりですね」 だから事件の内容で話す事もなく、ニアと夜神の掛け合いも聞けない 今の状況は久しぶりだった。 「え?」 「いえ、ニアのいない夜は数日振りだと思いまして」 「……」 夜神は何故か何も答えず眉を顰めていた。 やがて無言のまま立ち上がる。 何事かと思っていると、突然部屋の明かりを消した。 「月くん?」 何を企んでいるのかと訝しみながらも、出来るだけ早く瞳孔を開くべく 咄嗟に片目を閉じる。 その時聞こえた衣擦れの音で、夜神の勘違いに思い至った。 両目を開けて夜神に目をやると、仄かなフットライトの灯りの中、 シャツのボタンを全て外し終わった所だった。 腹の筋肉の陰影が美しい。 「月くん……」 「どうする?おまえのベッドに行く?僕としてはニアのベッドは遠慮したいけど おまえがそういう変態的な嗜好を持っているなら付き合うよ」 「……」 「それともいっそ」 夜神が、ベルトを外しながら目の前の長ソファに横たわる。 片足を床に下ろし、完全に脱力して、 わざとだろうがまるで壊れた人形のような姿だった。 ……なるほど。 「二人きり」というたった一つのキーワードで、私が誘っていると思ったわけだ。 面白い。 夜神の反応より、私がそんなつもりは全くなかった、という所が面白かった。 とは言え。 嫌悪感を隠し切れない表情のままにしどけなく横たわる夜神もそれなりに魅力的で。 そのつもりだった振りでこのまま抱いてしまうか、 珍しく失態を犯した夜神を揶揄って反応を楽しむか、 瞬時迷ったが、私も人間だ、天から振ってきたチャンスには弱い。 後者に決めた。 「……」 私が一秒動かなかっただけで、夜神は自分が賭けに負けた事に気づいたようだった。 偽悪的だった表情が、どんどん抜け落ちて能面のようになる。 私から夜神を誘った場合。 拒んでも最終的に強引にされるか、最初から尻尾を振って従うしかない。 恐らくそのどちらも、夜神のプライドからすれば許せないのだろう。 だから、私が少しでも誘いそうな素振りを見せたら、自分から脱いで 形だけでも主導権を握る事にした。 それが間違いだったらどれほど間抜けな事になるか、 考えなかった筈はないだろうが、私が夜神を抱こうとする方に賭けた訳だ。 「大した自信ですね」 「……」 「それとも、ニアを行かせたのはこの為だったのですか?」 「馬鹿な!」 狼狽えたように体を硬くして、片手でシャツを搔き合わせる。 「嬉しいですよ、月くんの方から誘ってくれるなんて」 「誘ってな……!」 「そんなセクシーな格好で言われてもね」 ソファの、夜神の足の間に腰を下ろし、ゆっくりと手を伸ばす。 夜神は逃げなかったが、人差し指で襟元を開くと、 狼藉を受けた貴婦人のように静かに目元に険を立てた。 「別にニアを気にしなくていいんですよ?子どもじゃないんですから」 「違うって分かってるだろ!結局おまえがヤりたかったんだろ?」 「いいえ。そのつもりはありませんでした」 「嘘つけ、あんな事を言って」 「余程過敏になっていなければ、勘違いするようなセリフではないと思いますが」 しばらく歯を食いしばったまま私を睨んでいた夜神は、 不意に立ち上がった。 「寝る」 「そうですか。私も寝ます」 「着いて来るなよ」 「いいじゃないですか。せっかく月くんがニアを追い払ってくれたのに」 「だからヤりたいならそう言えよ!」 「しません」 「あ、そう」 「でも、私も偶には寝物語を聞いてみたいです。 ニアばかりずるいです」 「……」 わざと親指を吸いながら言うと、夜神は気味悪そうな顔をしていたが 結局答えずに背を向け、私の寝室に向かって大股で歩き出した。
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