安楽椅子探偵の一日 7
安楽椅子探偵の一日 7








シャワーを浴びた後、ソファの上で丸まってジェラートを舐めるLの斜め前に腰を下ろす。
一応ノートPCは目の前に置いたが、恐らくもう使わないだろう。


「何ですか?オーストリアの事件の真相でも分かったんですか?」

「さあ。真相かどうかは分からないけれど、一番整合性のある解には辿り着いたよ」

「そうですか。それが私と同じなら正解です」


もう、溜め息を吐くしかない。
僕は諦めて口を開いた。


「確かにおまえの言う通り、彼女が何の実験をしようとしたかが重要だったんだな」

「はい」


彼女は、天然素材から石油製品のように強くしなやかな繊維を作ろうとしていた。
そう、ラスベガスで見た「蜘蛛の巣」のような。
あるいはそれ以上の。

もしそれが発見されれば、企業が放っておかない。
また、個人の、しかも美しく若い女性が一人で発見したとなれば上手く立ち回れば社会現象にもなるだろう。

彼女は自分の能力を十分に知っていた。
その頭脳と美しさを社会に売り込み、終わらない栄光を手にする時に備えて慎ましすぎる程慎ましい生活を送っていた。

彼女がただの研究バカではなく、野心家だと判断したのは……男を利用したから。
そして、ニトログリセリンという危険な薬品に手を出したからだ。


「ラベルの貼り替えじゃなかったんですか?」

「ああ……彼女は、自分でニトログリセリンを調達したんだ。
 化学が専門の男子学生を落としてまで、狭心症の薬を精製して」


そう。
祖父の薬をくすねたのは、彼女の妹ではなく、彼女自身。
その頃からニトログリセリンを使って実験をするつもりだったかどうかは分からないが。
明確な目的もなく盗んだのなら……やはり、危険な女だ。


「そして、実験時間に早朝を選んだのも彼女。
 ニトログリセリンは8度で凍結し、14度で融解するから温度管理は相当シビアだ。
 他に人がいて、この時期に冷房を付けたら怪しすぎるだろう」

「実験内容を言わないのなら、ですよね」


普通に考えれば、院生の単独実験にニトログリセリンを使う事など許可される筈がない。
しかも彼女は手柄を独り占めにしたかった。

それが、「天然素材だけを使って」石油製品以上の強度を持つ繊維を作り出す、という主旨に反する事だとしても。

僕は化学は専門ではないので詳しいことは勉強しなければ分からないが。
彼女がニトログリセリンだのニトロセルロースだのを使って繊維を作る手法を思いついたとしても、それが反則だというのはよく分かる。

だから彼女は、まず誰も来ない早朝の実験室で実験する必要があった。
一人で冷房をつけて……。
そして。

僕は立ち上がり、キッチンに行く。
そして、小さなボトルに入った野菜ドリンクを持って来た。


「どうぞ。欲しがってただろ。
 メーカーは違うが、多分同タイプだ」

「はい。ありがとうございます。
 でもまあ、一般的に野菜ドリンクは朝飲むのが効果的らしいですね。
 ……つまりあなたも同じ結論に達したんですよね?」


そう。
バカバカしい事だが。

彼女は、実験が終わったら朝食に食べようと、恐らく簡単な食事と野菜ドリンクを持ち込んでいた。

有り得ない。
有り得ない事だが、僕の脳裏に蘇った光景。


……あれは小学五年生の時。
友人の家に遊びに行ったが、野球好きだった彼は家の中でも軟球を手放さなかった。
リビングで喋りながら、ゴムのボールを放り投げて受けたり、壁にぶつけたりして。


『剥いて夜神くんにお出ししなさい』


そんな時に彼のお母さんが渡した林檎。


『ボールと間違えて投げるなよ?』

『投げるかよ』


友人は笑って、次の瞬間。
林檎を壁に向かって投げた。

砕けて床に落ちた林檎。
べったりと果汁のついた壁。

僕も驚いたが友人はそれ以上に驚いていて、お母さんに滅茶苦茶叱られていた。


『……林檎は自分でも投げたくなる形だと思った。
 だから林檎だけは投げちゃダメだと思った』

『でも……気が付いたら投げてた。
 無意識で。なんか自分でもよく分かんない』


後で友人はそう話していた。


彼女は普段はしっかりした人間だったようだが。
早朝で覚醒しきっていない頭。
極度の緊張。

絶対に衝撃を与えてはいけない、危険な薬品。

を、運んでいる時に、彼女の視線は野菜ドリンクを捉えてしまったのだろう。
そして無意識に蘇った、いつものルーティーン。

……それを、僕の目の前でLが再現している。
僕の目を真っ直ぐ見つめながら、蓋をしたままのドリンクを激しく上下に振って。
沈殿した半固形の野菜繊維をボトル全体に行き渡らせてから徐に蓋を外す。

勿論それは爆発などせず、Lはどろりとした液体を口の中に流し込んだ。

と思うと、突然無言で僕を引き寄せて唇を押しつけてくる。
口の中に、微かな塩味のひんやりした飲み物が流れ込んで来る。
ゴクリと喉を鳴らして飲み干すと、顔を離したLが申し訳なさそうに頭を掻いた。


「すみません。やっぱり無理でした」

「美味しいのに」

「では美味しいと思える人が飲んで下さい」


ボトルを受け取ってやや乱暴に呷ると、口の端からトマトの赤い色を残した汁が垂れるのが感じられた。


「夜神くん、吸血鬼みたいです」

「ああ。そうかもね」


僕は立ち上がり、ソファに乱暴にLを押し倒す。
我ながら突然の暴挙に、彼は驚いたように目を見張った。
が、その黒い瞳の中には怒りも恐怖も一切無く、その事にやたら苛つく。


「おまえの血を、吸うよ」


頸動脈に舌を這わせると、口の中に残っていたドリンクの赤が少し移った。


「爪の垢を煎じて飲むのではなく?」


可愛くない物言いに、思わず本気で肩口に歯を立ててしまう。


「Ouch!」

「自業自得だ」

「ちょっと待って下さい、そんな急に、私、」

「待たない」


手荒くTシャツをたくし上げ、頭を抜いた所で袖を結んで両手を拘束する。
それからジーンズと下着を一緒に掴んで膝下まで下ろすと。
Lのそこは痛々しい程に張っていた。


「はははっ。嫌がってみせても、もうこんなじゃないか」

「それは」


僕は乱暴に一擦り二擦り扱いた後、Lの胸の上に跨がった。


「しゃぶれよ」

「……」

「じゃないと痛いのはおまえだ」


いつになく凶暴な、自分自身が訝しい。
Lの半開きの口の中に押し込みながら、初めてLに跨がられた時の事を思い出していた。






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