安楽椅子探偵の一日 4
安楽椅子探偵の一日 4








記事の隅々まで目を通したが、三人のアリバイが分かる記述はなかった。
次に、元恋人と年下の男子学生、妹のSNSを見てみる。

元恋人と妹は彼女の死にショックを受け、悼む記事を書いたりメッセージを送ったりしているが。
男子学生は……彼女の死の前日辺りから、ぱたりとネット上から消えていた。

警察からマークされているからか。
だからと言って彼が怪しいと言い切れる材料がこちらにないのは辛いが。

男子学生は同じ大学の理系だが、化学が専門だった。
化学……植物から石油製品を作ろうとしていた被害者……。

有機化合物。爆発。
強酸化合物……。


「……まぜるな危険、か」

「そんな間違いを冒す筈がないと言うんでしょう?」

「そうだな……1液と2液を混ぜるというのは、うっかりやらかしてしまう事ではないからね」

「掃除に夢中になって、塩素系の洗剤と酸性の洗剤を一緒に使ってしまう、という事故例はあります」

「爆発はしないだろ。
 それよりありそうなのが……」


ラベルの貼り替え。


「塩素酸化合物か強酸化合物、どちらかのラベルを貼り替えておいたら」

「それなら作用するのは混ぜた瞬間ですよね?
 顔が薬物に正対していなかったのはおかしくないです?」


右の耳は残り、左の耳は吹き飛んでいた……。
つまり、普通に考えれば彼女は薬物に対してやや右を向いていた、という事になる、か。

 
「それに、彼女を狙った訳ではなく、無差別攻撃だったとでも言うのですか?」

「その可能性も視野に入れて、」


PCで検索して確認をする。
例えば1液を塩素酸塩類と仮定すれば、強酸化合物だけでなく、硫黄や赤リンを混ぜても僅かな刺激で爆発する。


「夜神くん、マッチ擦った事あります?」

「は?バカにするなよ」

「いえ。煙草を吸う人でも大概ライターを使うでしょう。
 今時マッチを擦った事があるなんて、珍しいんじゃないですか?」

「……小学校の飯盒炊爨で、使った」

「一度で火が点きました?」

「ああ。先生が目の前で擦ってくれたからね。
 その通りの力加減、角度で擦ったら点火したよ」

「……あなたに聞いたのが間違いでした。
 大概の子どもは、一度目でいきなりマッチで火を点けるなんて芸当出来ないんですよ」

「一体何が言いた……」


ああそうか……マッチ箱の横の側薬は、赤リンだったな。
危険物ではあるが、そんなに簡単に爆発しない、そして頭半分を吹き飛ばすほどの威力はない、か。


「無機過酸、」

「化合物なら大量の水が要りますね。
 スプリンクラー程度では無理だと思いますよ」


いちいち人の思考を読みやがって。
とことん苛つかせる奴だ。


「まあ、どちらにせよ彼女は右利きだから二液を混ぜるなら吹き飛ぶのは左手か。
 どういう薬品を扱っていたかの記事はないのか」

「まあ、ある程度の爆発威力があると分かっている薬を報道はしないでしょうね。
 ちょっとネットで検索すれば分かる時代ではありますが」

「なら取り敢えず……爆発物、だけで進めるか」

「そうですね。取り敢えず、今三時ですが」

「おまえは何時でもおやつ時だろう」

「でも、用意してくれてますよね?」


僕は溜め息を吐いて、冷凍庫を開ける。
ジェラートのカップを出すと、Lは無表情で喜んだ。


「Un gusto? 」

「いや、底にもう一色入ってる」

「fantastico!」

「おまえ、イタリアに来ても外に出ないんだからイタリア語覚えるだけ無駄じゃないの」

「ラテン語圏の言語なら覚えるという程の事でもありません」


舌鼓を打っているLは放って置いて、彼女の妹のSNSを漁る。
古い記事に「姉の彼氏」というのも出て来た。
どうやら、彼女とは別の大学の、医学部に進学したらしい。
薬品との関係は少なくないが、爆発とは縁がなさそうだ。

いや……一つある、か。
狭心症治療薬のニトログリセリン。
当然医薬品としてはそれなりの処理をして絶対爆発しないようになっている。
だが確か、ちょっとした加工で添加物を取り除けば爆発物に戻せた筈。

僕は、頭の中でもう一度各種爆発物をリストアップしてその効力を浚う。

……やはり、これだな。
ニトログリセリン。
僅かな衝撃で爆発する有機化合物。

それに、医学部なら死亡推定時刻の算定にも詳しい可能性もある。
どれだけ冷やせばぎりぎりアリバイが成立するか、分かっていたとしたら。

しかし問題は、ニトログリセリンなら化学系の現在の彼氏(?)の男子学生にでも手に入りそうだという事か。
確率としては、オーストリア警察に疑われている通り、男子学生の方が高いだろうが。


「夜神くん。素晴らしいです」

「何が」

「下に隠れていたマンゴーフレーバーですよ。
 私好みの味が、分かってきたんですね」

「別に、」


それは毎日おまえの為に買い物をして、文句をつけられたり喜ばれたりしたらその気がなくとも覚えてしまうけれど。

……そんな事よりも。下に隠れていた……フレーバー。

僕はまたPCに向かい、妹のSNSをどんどん遡る。
すると二年程前に、ブログを書いていたとちらりと書いてあった。
当然のように消されていたが、この僕の手に掛かればキャッシュから辿って簡単に復元できる。


「竜崎。こっち来いよ」

「何ですか昼間から」

「気持ち悪い冗談を言うな。
 オーストリアの彼女の妹のブログを発掘したんだ、今から一緒に見よう」

「あー。私は興味ないです」

「何だよ。犯人捜しは諦めたのか?」

「いえ。私なりにもう結論が出たので」

「……」


まあ……僕も出たと言えば、出たが。
いや、途中までだな。
分かったのはニトログリセリンと、恐らくラベルの貼り替えであろう事くらい。

仕方なく、一人で延々と他人のプライヴァシーに踏み込んでいく。

……ビンゴ。

妹は、薬学部を受験している。不合格だったが。
それに、高校時代は化学部に所属していた。

高校の化学部の部室にニトログリセリンがあるとは思えないが……。
彼女には、それなりの知識があった。

後は。

妹のブログとSNS、被害者のSNSを高速でスクロールする。
誰かではないが、「観る」のは、不得意じゃない。

あった……!

三年前、狭心症であった彼女たちの祖父が交通事故死している。

常備していたであろうニトロは、どこへ行った?
突然の死、混乱の中、そんな小さな物が無くなっても誰も気付かない。


三人全員に、ニトログリセリンを入手する機会があった。
だが一番足が着きにくいのは妹だろう。


「あ」

「何だ」

「オーストリアの爆死事件の続報が入りました」


思わず椅子を蹴って立ち上がり、LのPCを覗き込む。
マンゴーフレーバーのジェラートが乗ったスプーンに指された先では……男子学生が釈放されたニュースが流れていた。
男子学生には危険物に触れる機会は全くなかった事、事件前日のアリバイがはっきりしている事が理由らしい。


「これは、オーストリア警察大失敗だな」

「ですね」


という事は。
僕は、男子学生の通っている大学を含め、大学の化学実験室の危険物取り扱い等を調べる。
確かにこれは、協力者がいないと持ち出せないな……。

ならば、医学部。
だがこちらも、医学生はおろか医者にも持ち出せない程出入庫管理が厳しい。
この辺りは日本ならまだしも、外国なら何とかなるだろうと思ったが、AKHはその限りではなさそうだ。

また、二人とその周辺のSNSを洗ってみたが、ダイナマイトと縁がありそうな人間も、心筋梗塞を患っている人間も身近にいない。


「……竜崎」

「何ですか?」

「犯人が、分かった」






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