安楽椅子探偵の一日 3 「被害者の彼女、環境学科でしたよね?何の研究をしていたんですか?」 「何だよ。もういいんじゃなかったのか」 「暇だと言ったでしょう?」 「オーストリア警察に問い合わせるまでもないとか」 「はい。だから、一般人が知り得る情報のみで。ただのお遊びですよ」 僕は肩を竦め、クローネン・ツァイトゥンク(オーストリアの新聞)のデジタル版を指し示す。 「なるほど…… 警察は、やはり今付き合いのある男子学生に事情聴取しているようですね」 「だね」 「夜神くんは、この事件のポイントはどこに置きますか?」 どこから推理を始めるか、という事か。 「ミステリ小説風に言うなら、Why done it(ホワイダニット)だね。おまえは?」 「How done itです」 「Whodunit(フーダニット)は気にならない?」 「Howが分かれば絞れて来ますから」 面白くなってきた。 「そう。現実ならもっと細かい人間関係があるだろうけれど、遊びなら……。 容疑者は二人の男と妹に絞って良いと思う」 「事故や自殺の可能性を捨てたのは?」 「まず、彼女は大学院生ながら優秀な研究者だ。 爆発する可能性のある薬品を取り扱うのにそこまで大幅な間違いを犯すとは思えない。 それ以前にセキュリティも何重にも組まれているだろう」 「なるほど」 Lは嫌な笑い方をしながら頷いたが、経験上これは意味のある事ではない。 単純に僕が嫌がるような表情を選択しているだけだろう。 「自殺は論外。特に動機も見当たらないだけじゃない。 容姿にも頭脳にも自信のある女性が、こんな死に方を自ら選ぶと思うか?」 「そうですね。 実際はどうか分かりませんが、彼女の闇に触れる報道がない限りその方向で良いでしょう」 まるで教師のように、上から物を言いながらも大きな目玉をぎょろりと動かして天井を見つめる。 余人には何気ない仕草に見えるだろうが、僕には分かった。 彼は、珍しく困っている……。 「何。足りない?オーストリア警察の回線に侵入しようか?」 「はあ……今後その必要があれば」 「なら何なんだよ。言いたい事があれば言えよ」 「……」 Lは無い眉を顰めるような表情を見せた後、マウスに手を置いた。 「……実は、オーストリアは今、このセンセーショナルな事件の話題で持ちきりです」 「だろうね」 「ドイツでもフランスでも、このイタリアでも少しは報道されています」 「うん」 「それで……これがそのニュースの録画です」 Lは職業上、全世界のほぼ全てのニュース番組を録画し続けているという。 と言ってもそれは本拠地(どこかは知らない)の膨大なHDの中に記録され、Lは必要な時にそれを取り出すだけらしい。 PC画面でクリックしたフォルダの中には、報道の、今回の事件に関係した部分だけを切り取ったらしいファイルが沢山入っていた。 どうやら僕が買い物に行っている間に依頼し、入手したようだ。 「何だよ。気のない振りをして、僕がこの事件の話をする前から興味津々だったんじゃないか」 「……」 さすがに気不味そうに無言でそっぽを向く。 本当に、子どもみたいだ。 「見ていいんだろ?じゃないと公平なゲームにならないからな」 「……はい」 顔を背けたままマウスを寄越す。 「おまえは見たの」 「いいえまだ」 なるほど。 ゲームに於いて、少しでも自分に有利に働く動きはしたくないのだろう。 「なら一緒に見よう」 顔を寄せると、Lはニヤつきながらマウスを持った僕の手の上に、自分の手を置いた。 気持ち悪いな。 ……なるほど。 国営放送から下世話なワイドショーまで、色々な報道を総合すると、彼女はどうやら植物から一般的に「石油製品」と呼ばれる物を作る研究をしていたようだ。 世の中には同じような研究をしている機関は少なくないが……。 警察は何故かあまり重要視していないが、この時期に何故か付けられていた冷房の謎にクローズアップした記事もいくつかあった。 「……何故彼女は、夜明けの実験室で一人で実験していたのでしょう?」 そう。研究室には他に誰もおらず、他の学生が来るまで発見が遅れている。 とは言え、発見が早かったら何とかなったという死に様ではないが。 「それは、前の晩から徹夜をしたか泊まり込んだんだろう。 理系の実験棟には時々ある事だよ」 「冷房の謎は?」 「さあ。極度な暑がりだったんじゃないの」 「はぐらかさないで下さい」 「……死亡推定時刻をずらす為」 「その辺は警察も計算して死亡推定時刻を出していると思いますけどね」 「現在ある手掛かりだけではその辺は分からないな。 もしかしたらずらしたと思わせる為に発見者が付けたのかも知れないし」 とは言え、死体の状態から算出する死亡推定時刻という物にはかなり幅がある。 多少ずらしたからと言って犯人が完全に容疑者圏外に出られるとは考えにくい。 ……犯人は、そんな知識すら持っていない? 「一緒に実験する同僚や研究者仲間はいなかったんでしょうか?」 「同じ研究グループの人にインタビューしたりしているから、いたんだろうけど」 それでも何らかの事情で一人で泊まり込んで実験をしなければならなかった……。 この好機を、事前に知る事の出来た人物。 ……いや、犯人がそのように誘導した……? 「やはり二人の男と妹に訊問したいな……」 「反則ですよ」 Lが人差し指を咥えたまま唇の端を歪める。 「ちょっと言ってみただけだろう!」 吐き捨てて、現地の新聞に改めて視線を落とした。 「夜神くん、お昼ご飯……」 「買ってきたパニーニでも食ってろ」
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