安楽椅子探偵の一日 2
安楽椅子探偵の一日 2








「ただいま」

「ジャンドゥーヤ……」

「買ってきたって。ほら」

「ありがとうございます」

「それより、サルヴァトーレ・ロ・ピッコリーノの動きは掴めたのか」

「の、弟のヴェッキオの所在は分かりました」

「ならもう解決したも同然だな」

「ええ。アームチェア・ティテクティブですから」


朝の言い争いの続きか。
根に持つ男だな……。
Lと暮らし初めてもう二年になるが、こいつは時々本当に幼児のようだ。
少し揶揄ってみたくなる。


「へえ……なら、この事件の真相は分かる?」


僕がノートPCを差し出すと、Lは興味なさげにちらりと目を遣っただけだった。


「下らない。興味ありません」

「やっぱり、さすがのLも現地調査出来ないと無理なんだ?」

「興味がないと言っただけです」

「オーストリア警察に頭を下げて資料を貰ってやろうか?」

「だから必要ありません。
 あなたが必要なら貰えば良いですがLの名前は使わないで下さいね?」

「ああ、そう。詰まらない奴だな」


Lがゲームに乗ってこなかった事に、少し失望しながら僕はPCに向かう。


現地警察のPCをハッキングするには少し時間が掛かりそうだったので、各新聞社の公式ページに行って見た。
TVニュースよりは少しだけ詳しく報道されている。

女子院生が美人だったのは、三流誌の惹句だった訳ではなく、本当にそれで有名だったようだ。
ただ本人は極めて真面目な学生だった。
アルバイトは図書館の書庫整理のみ。

家族関係は悪くない、だが妹は特に美貌ではなく学業成績も振るわなかった。
大学の研究室で、しかも顔を破壊されたという事は……。
もしかしてこの姉妹間の格差に何かトラブルの種があったかも知れない。

友人関係は平凡。
同じ学部の友人、同じアルバイトの学生、行きつけのレストランのウェイトレス。
去年一緒にイベントを開催した仲間達……。
現在の所、特に大きな諍いなどは認められていない。

恋人は、高校生時代から数年間付き合った男がいたが、今年の初めに別れている。
この一ヶ月ほど何度かデートをした年下の男子学生が居て、付き合っているという噂もあるが本人は口を濁しているようだ。

少し掘り下げてみたいのは妹との関係と二人の男だが、こればかりは続報を待つしかない。


「腕時計は左にしてますね。食べ物の好みは?」


気付けば、首のすぐ後ろからLが顔を出してPC画面を覗き込んでいた。


「何だよ。興味出て来たのか?」

「まあ、今は暇なんで」

「美人だから気になった?」

「それもありますね」


Lは画面の右上に表示した、金髪美女の生前の顔に視線を移す。


「ほっそりした美人ですね。
 健康にもプロポーションにもかなり気を使っているんでしょう」

「ああ、それは……」


彼女の名前でSNSを検索する。
すぐに大手のサービスでヒットした。


「交流関係は、警察が調べた通りのようです」

「まあ、警察もこれを元に調べたんだろうし」


少し記事を辿ってみると、口惜しいがLの言う通りかなり食事に気を使っているらしい。
誕生日に友人がくれたケーキが、とても美味しかったが罪悪感に苛まれたと書いてあった。
普段は菜食主義という程ではないが、時折お薦めの野菜ドリンクやサプリを紹介している。


「この野菜ドリンクとサプリ、同じのを買ってきて下さい」

「この辺では見た事ないな。ドイツ語圏でしか売ってないんじゃないか?
 やっぱり現地に行かないと……」

「やっぱりいいです」


意固地な。
だが、自分で言って置いて自分で取り下げざるを得ない、口惜しそうなLは正直見物だった。




コイツが僕に多少なりとも素の顔を見せるようになったのはいつからだろう。
一年ほど前、か?
その頃僕はまだ「L」の仕事の手伝いは任されていなかった。

まあ……ただの「囚人」だったわけだ。
もしくは「愛人」。
性欲を満たす為だけに飼われている人間に「愛」という文字を使うのには疑問が残るが。


それでも当時は、彼に連れ出される事もあった。
(僕が一人で外出する事は当然のように認められていなかった)

ラスベガスにいた頃、二人でマジックショーを見に行った事もある。
質の高い手品には、最新の科学技術と心理トリックが詰まっている。
それを学ばせる為だったとすれば、その時既に、僕の頭脳を利用する事は彼の中で決まっていたのだろう。


『どう思います?このマジック』

『つり下げ式ではないね。
 あの美人アシスタントがそんなに力持ちの筈はないから……』

『それが先入観では?』

『先入観じゃない。ミスディレクションだ。
 後ろが暗いのは、恐らくマッチョな黒子が影のようにぴったりくっついているんだろう』

『どうでしょうね?
 私にはあの人は一人で立っているように見えますが』


二人で小声で競うように手品の種明かしをする。
小手先の技術だけで見せる内容はただただ感心するしかないが、種がある物は大概見破れる自信があった。


『ああ、あれはアラミド繊維で吊してあるな』

『この距離で見えないんですよ?』

『でもアラミド繊維より細くて強い繊維なんかない』

『知らないんですか?
 まだ実用化はされてませんが、人工的に蜘蛛の巣を作る事に成功した企業があるんです。
 確か日本の会社ですよ?』

『……なんか面倒くさい奴だな、おまえ』


本当に苛々したのはショーの終演後だ。
Lがコネを使ってマジシャンの楽屋に入り込むのに同行した時なのだが……。


『私が種を当てたら、答えてくれますね?』

『勿論!』


マジシャンに向かって豪語すると次々と種を明かすL。
相手は感心したように耳を傾けていた。
僕も負けじと種を見破ると、こちらも大概頷いてくれたのだが……。


『三番目の、美女が片手で小柄な男性を持ち上げる手品は……。
 後ろに黒子がいたんですよね?』


マジシャンは、ただ薄く微笑む。


『違いますよ、夜神くん。
 彼女は……いや、彼女と言って良いのかどうか分かりませんが、女装した男性ですよね?』


相手は目を見開いて指を鳴らした。


『シャル!』


呼ばれて楽屋の奥から現れたのは、先程の美女……だったが、近くに来ると背は僕と同じ位ある。
マジシャン自身が大柄なので気付かなかった.。
細く見えていた首は髪型で隠されたもので、そして舞台衣装の袖の膨らんだドレスの下の腕は、ノースリーブになると相当マッチョで……。
思い出したくもない。


『なるほど。参りました。
 ところで、最後の飛ばしたカードが全て手元に戻って来るマジックはアラミド繊維ですか?』

『だから違いますよ夜神くん。
 蜘蛛の巣、ですよね?』

『ああ……物知りだなんだね。
 まだ特許申請中らしいけど、特にお願いして譲って貰ったんだ』

『!』

『商品名は?』

『まだないらしいよ。“蜘蛛の巣”が良いとでも言っておこうか?』


その時の、Lの勝ち誇った顔……!

その夜は忘れられない晩になった。
あんなに激しい行為を……しかも男としたのは初めてだったし、次の日はベッドから起き上がれなくて……Lを恨んだ。



思えばその頃までLは、あまりにも訳の分からない奴だった。
日本にキラ事件の捜査に来た頃と変わらず、ほぼ無表情で、幼児のように身体を丸めて爪を囓って。

まるで全てが「作られた変人」だった。
だが今となっては分かる。
本当の彼は時に調子に乗り、時に鬱ぎ込み、澄ました顔をして人並みかそれ以上に性欲に忠実で。
……とても苛々する男だ。






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