安楽椅子探偵の一日 1
安楽椅子探偵の一日 1








“大学構内で変死”


朝のエスプレッソを煎れていると、ニュースを流していたタブレット端末から気になる単語が聞こえてきた。
裸のまま身体を丸めてベッドに転がっている探偵を気にしながら少し音量を上げる。


“女性は一人で……22時頃……
 発見された時は何故か冷房が……”

「いい匂いですね、夜神くん。
 マスカルポーネに蜂蜜を掛けて下さい。たっぷりと」


……相変わらず突然起きる奴だな。
ドイツ語は未熟なので集中していないと聞き取れない、少し静かにして欲しい。


「分かった。フォカッチャも焼くから一切れくらい食べろよ」


朝の挨拶も省いて最低限答える。


“……さんには自殺の動機などは現在の所全く……”


なるほど。
確かに自殺だとすれば状況が奇妙すぎる。


「エスプレッソに砂糖を入れるの、手伝いましょうか?」

「いやいや。自分で飲む分なんだから普通に自分で入れろよ。
 っていうか向かいのバールで飲んできたら?」

「キラが煎れてくれるのが、美味しいんですよ」


……全く。
ミラノのアパートメントに連れて来られて半月。
Lは僕に生活の全てを任せっぱなしで全く外に出ようとしていなかった。
僕はニュースを諦めてマスカルポーネを冷蔵庫から出し、珈琲に砂糖を山ほど入れる。


「基本私はアームチェア・ディテクティブですから」

「なら現地に来る必要もないんじゃないの」

「勿論。ほぼ物見遊山です」

「そんな事を言って。
 結局来てるんだから、部屋から出ずに推理する事なんか出来ないんだろ?」

「そんな訳ありません。
 実際、レオナルド・プロヴェンツァーノは部屋から一歩も出ずに逮捕しましたし」


それが、僕達が……というよりLが、この国に居る理由だった。
四十三年間、イタリア警察が逮捕出来なかったマフィアの大物。
去年、そのプロヴェンツァーノの居場所を探し出し、作戦を立て、全ての人員に指示を出して大逮捕劇を演じた影の立役者は、確かにLだ。


「結構前から計画練ってたんで、逮捕する前にあなたに殺されたらどうしようかと思っていましたが」

「……キラが活動を始めた頃には凶悪犯罪には荷担していなかったからな。
 結構迷った覚えはあるけれど、今殺しても見せしめにはならないと思った」

「なるほど。キラの裁きにはそういう基準もあったんですか」

「人聞き悪いな」


今回の件はその後継者のサルヴァトーレ・ロ・ピッコリーノが、キラが消えたのを受けて組織を立て直し始めたのに端を発する。
活動が本格化する前に、その麻薬取引経路を潰して欲しいという依頼を受けて動いていた。


「はいはい。おまえが移動するのは、飛行機が好きなだけなんだよな」

「そんな、人を子どもみたいに」

「だって飛行機に乗る時以外は本当に移動しないしね。
 僕は今日はメルカートの日だから買い物に行くけど。
 おまえはどうする?」

「行きません」


即答に、僕は溜め息を吐く。
やっぱり子どもだ。


「だろうな。何かリクエストは?」

「前買ってきてくれた店のジャンドゥーヤ。
 美味しかったのでまたお願いします」

「お菓子以外で」

「ありません」


僕は再び溜め息を吐いて玄関に向かい、金庫のようなドアを開ける。
イタリアに最初に来た時は驚いたが、こちらのちょっと良い住宅はこんなもののようだ。

エレベータはポルティーレの居る二階までしか下りないし、そこからは鍵を開けないと下に下りられない。
更に一階のエントランスにも頑丈な鉄格子の門があって、これも暗証番号を押しさないと開かない。

さすがにやりすぎに思えたが、少しでも油断をすれば家ごと盗られる土地柄だと言う。
他の住民は一般人のようだし、これで普通なのだろう。




毎週木曜日に開かれるメルカートには徒歩で行った。
一応国際免許は持っているし車もあるが、イタリアのバカみたいに車間距離のない縦列駐車には慣れない。
それに、玩具屋や靴屋、アンティークショップの並んでいるこの通りを歩くのは好きだ。

目的の通りに着くと、いつも通り沢山の露天が出て他の曜日にはない賑わいを見せている。
少し歩いてチーズや野菜を買い、1ユーロショップを冷やかした。

帰りはさすがにトラムを使ったが、アパートメントに戻る前に向かいのバールに寄り、エスプレッソを頼む。
イタリア人は少しでも暇が開けばエスプレッソを飲むと言うが、住んでみるとその気持ちが分かるような気がして来た。
さりげなく持ち出して来た小型ノートPCを取り出し、先程録画しておいたニュースを確認する。

それは、お隣の国オーストリアの大学で起こった事件だった。
環境学科の美人院生が、化学実験室で死んでいたらしい。
一人で何かの実験をしていたそうだ。
不思議な事に、やや肌寒いこの時期に何故か冷房が入っていて冷蔵庫並みに寒い部屋になっていたとの事。

しかしもっと異様なのは、右手とその自慢の美しい顔が見事に吹き飛んでいた事だ。
つまり、発見された時には頭部は右耳と後ろ半分しか残っていなかったという、猟奇的な現場だった訳だ。
ただ、他に被害や類焼はない。

環境学科という事は、強酸化性物質の取り扱いでも間違えたか……もし事故なら、だが。



Lは世界的な名探偵と言われているが、実はその活躍の場は限られている。
ヨーロッパでは、イギリス、フランス、ベルギー、ドイツ、イタリア、スペイン……十数ヶ国の警察と協力した事があるらしいが、オーストリアとは何故か縁がない。
この事件……事故かどうかもはっきりしない案件がLに持ち込まれる可能性は限りなくゼロに近いと言って良いだろう。

ならば僕が少し遊んでも問題はない。
部屋に戻ったらPCを借りて、もう少し調べてみよう。






  • 安楽椅子探偵の一日 2
  • 戻る
  • SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送