64.職権乱用
64.職権乱用








塔矢が女だったら、どんなに良かったかって時々想像する。



女だったら、もうちょっと優しかったんじゃないかとか、そんなんはない。

愛想良く笑う塔矢とか。

胸を強調した服を着て男の視線を釘付けにする塔矢とか、
逆に性別を感じさせないボーイッシュな格好をして
それもいいなぁって思わせる塔矢とか。

普段は男勝りでキツいけど、実は料理上手で家庭的な塔矢とか。

何かの拍子にオレが上半身裸になった時に、困ったように目を逸らす塔矢とか。

エレベーターの中で二人きりになちゃって、オレが迫ると怒るけど
どこか怯えた目をする塔矢とか。

メディアに、碁の腕より「美人棋士」として書き立てられる塔矢とか。


想像すると自分でも「お、いいじゃん」って展開にしかならないのが我ながら
恋に目がくらんでると思う。……けど。

そんなの、そんな可愛いの、全然塔矢じゃない。
そんな塔矢に、オレはきっと恋はしない。


でも、やっぱり塔矢が女だったらどんなに良かったか、って思わずにいられない。




好きな女に、嫌われるのが怖くて告白できないとか。
ぐだぐだと悩んでる和谷に、言ったことがある。

本当に好きなら、奪える筈と。
どんな手段を使っても、絶対手に入れるべきだと。

和谷は


「他人事だからそんな事言えるんだ」

「オマエに好きな女が出来た時が見ものだな」


そんな事を言っていた。

でもオレ、塔矢が女だったら、絶対逃がさないと思う。

訴えられても逮捕されても、「うん」と言ってくれるまでストーキングし続ける。

何なら、一回でもデキる機会があったら、絶対妊娠させる自信ある。
勿論責任取りまくって結婚する。

塔矢の子ども、可愛いだろうなぁ……。

そんなオレに言わせれば、好きな相手が女ってだけで贅沢な事だ。
自分の努力次第で叶う可能性が十分あるからな。





「よぉ!」

「おおー。和谷か。最近調子いいな」

「まあな。オマエこそ昨日の一柳先生との対局見たぜ」

「さんきゅー。久々にあんな長考したけど、その甲斐あったわ」


最近、ちょっと調子が上がってる。
てゆうか元に戻ったんだけど。
塔矢に告白して見事に玉砕してから、しばらく立ち直れなかったけど
やっとこのごろ気持ちが吹っ切れた。

っつっても、どうやったって諦められねーよなぁ、って方向に、なんだけど。


「……進藤さ、もしかして、好きな女が出来たんじゃね?」

「はぁ?なんでだよ」

「いやー、オレが急に調子が上がる時が、そうだからさ」

「オマエと一緒にすんなよ。そんな女いねーよ。
 つか、和谷好きな子出来たの?それって前言ってた子?」


和谷には、今のところ嘘を吐かずに済んでいる。
「好きな女」は確かにいないからな。





「ほう。和谷はまた発情期か」


その時、廊下の角を曲がって緒方先生が現れた。


「うわっ!立ち聞きっすか!」

「失礼な。挨拶より先にそれはどうなんだ」

「あ、いや、すみません。こんにちは」

「進藤」

「はい!こ、こんにちは」

「アキラくんは元気か?」


嫌な笑い方をしながら言う。
時々こんな事があるけど、もしかして何か気付いてるのかなぁ。


「……今度の土曜日、何カ月ぶりかに会って打ちます」




そう。
あれ以来、初めて塔矢と二人で会う。
オレが塔矢の目が見られなくて、何となく避けてたら
哀れんだのか、塔矢の方から声を掛けてきてくれたんだ。


『あ、あの……ありがと。オレ、あんな事、』

『もうその話はするな。……分かってると思うけど、次は、ないからな』


勿論。
たった一度のキスの代償にしては、辛すぎたこの数ヶ月。
二度と繰り返そうなんて思わない。

告白なんて、しなきゃよかった、強引にキスなんかしちゃいけなかった。

塔矢が以前と変わらないことが、何も無かったように流されたことが
一番辛い。
なんて弱すぎるオレ。


『ボクは、ずっとキミと打ちたかったんだ』


……好きだよ。
そのまっすぐな目が。
オレを、碁打ちとしてライバルとして認めてくれているオマエが。

それ以上はないと、はっきりと口にするオマエが。





「それはマズいな」

「へ?」


塔矢を思い出して一瞬ぼんやりしていたオレは、緒方先生の言葉に
間抜けな返事をしてしまった。


「今度の土曜日だろう?聞いてないのか?」

「何がですか?」

「オマエ、座間先生に呼び出されてるだろう」

「は?いや、知らないっす」

「誰も教えてくれなかったのか?
 なんかえらい怒ってるらしいが。オマエ一体何をやらかしたんだ?」


座間先生、か。
一度タイトル戦で負かした事がある。
負けた事もあるけど。
プライベートで打つことも会うこともない、あまり関わりのない人だよなぁ。


「座間先生は、派閥があるし根に持つことで有名な人だからな」

「うん、そんな感じの打ち方ですね。なあ、進藤?
 あの人に睨まれたら、プロとしてやっていきづらくなるんじゃねーか?」


怒ってるって……何だろ?

全然覚えがないから、何か誤解されているのか本当に無意識に失礼な事したのか。
オレとの対局内容……って、怒られるような事じゃないしもうだいぶ前の話だしな。

やだなぁ。

何で怒られてるか全然分からないって、怖いな。
反省のしようもなければ謝りようもないし。
分かってないって事が分かったらよけい怒られそうだし。


「行かない訳には、いかないですよね」

「それはそうだろう。立場をわきまえろ」


強さが全てだと、強くさえあれば相手が年上だろうが有力者だろうが
媚びる必要なんてない、そう思ってた頃があった。

でも今は、そうは思わない。
相手のプライドを傷つけたばっかりに受ける詰まらない仕返しや
嫌がらせの類。
そんなものに対応する時間が惜しい。

どっちが正しいかなんて関係ない。
碁以外の下らないせめぎ合いに時間を費やせるほど、人生は長くない。
そう思うようになっただけだ。


「塔矢に……連絡した方がいいよな」

「それは断っておけよ。アキラくんをすっぽかすなんてオレが許さない」






「てわけで、今度の土曜日、ごめん」

『そういう事情なら勿論構わないが』


翌晩、オレは塔矢に電話をしていた。

これも随分久しぶりだ。
元々そんなに電話する用事もなかったけれど、例の件以来
番号変えられてたり着信拒否されてたら辛すぎるんで、確認も出来てなかった。
普通に繋がって、何故か電話したオレの方がどぎまぎする。


『座間先生とは、結局まだ話さずか』

「うん。何か怖いし」

『しかし、確認しなくていいのか?』

「そう、なんだよなぁ。予め窺いますって電話しといた方がいいのか、
 呼び出されたんだから、何も言わずに行った方がいいのか」

『緒方さんに、聞いたんだよな』

「そう。でも、また緒方先生に仲介頼むのも変な感じだし」


座間先生、本当にしゃべった事ないからよく分からないんだよなぁ。
どっちの方が怒られないだろう。
どっちに賭けるべきだろう。

そもそも、日時の指定が間違ってる可能性もあるよなぁ。
じゃあやっぱり電話した方がいいか。
電話するなら早めだよな。

う〜ん……でもなぁ……。


「……まぁ、その件は考えとくわ。すまないな、塔矢」

『いや……』

「また連絡、していい?」

『ああ』

「んじゃ」

『……進藤』


いつも、こっちが驚くくらいあっさり切る塔矢が、オレを引き留める。
オレの名前を呼ぶ声に、どきどきしてしまうほどまだ塔矢が好きだ。

でも塔矢が続けた言葉には、どきどきじゃ済まない程驚かされた。


『行くな、進藤』

「へ?」


……いやいやいや、行くか行かないかじゃなくて、
事前に電話するかどうかで迷ってるんだって。


『行かなくて、いいと思う。電話もしなくていい』

「いや、無理だって」

『そもそも人を呼び出すのに人づてにする方が悪い』

「それもそうだけど、もう聞いちゃったし」

『聞いてないって言えばいい』


行かないなんて選択肢、オレは全然思いつかなかった。
塔矢が妙に男らしく思える。
かっこよすぎる。
かっこよすぎて、非現実的だけど。


『とにかく、行くな。ボクと打とう』

「ええー」

『ボクを選べ』

「……え?」


今、何て?
ボクを選べって。
いや、勿論最初から塔矢を選んではいるけど。
あんなおっちゃんと塔矢じゃ、比較になんないよ。

いや、そういう意味じゃないって分かってるけど。


『迷う賭けじゃないだろう。ボクを選べばいい』

「あの、でも、座間先生って怖いらしいし、その、機嫌損ねたらプロとして、」

『もし本当に座間先生のせいでキミの立場が悪くなったら、ボクが取り持つよ』

「そんな事、出来るの?」

『ボクがプロをやめる代わりに進藤を許してやってくれと言ったら、喜んで許してくれるだろう』

「何言ってんだよ!」


本当に、何言ってんだよ。
座間先生に、一本電話するか、何時間か怒られるか、
それだけで済む話に、てか何オレなんかの為に、棋士生命賭けてるんだよ!


『気に入らないんだ』

「はあ」

『プロ棋士界が、本当にそんな、一棋士の機嫌で
 他の棋士が住みづらくなるような世界なら、いらない』


そんな……。
全然珍しいことじゃないと思うんだけど。
棋界以外でも、そういう事がない世界の方が断然少ないと思うぜ?


『とにかく、行くなよ』


オマエのポリシーに、オレの運命を巻き込むわけ?
と言いたいけれど、塔矢が自身の棋士生命を賭けて言っているからには
そんな事は言えない。

座間先生は陰険な追い詰め方をする人だとも聞いている。
その人をすっぽかしたら、場合によっては、オマエもオレも、終わるぜ?


『どうする?』

「うん……」

『やはり座間先生の所へ行くか。それともボクと打つか』


「……分かった。じゃ、予定通りに十三時に碁会所で」






電話を切っても、まだどきどきする。

今からでも、座間先生に連絡をした方がいいんじゃないか……。

なんて、通り一遍には考えてみるけど、自分は絶対しないだろうと思う。
だってあの塔矢が。


     ボクを選べ     -


心臓が、胸が痛い。
嬉しすぎて、心が追いつけない。

愛の告白でも何でもない。
ただの、塔矢からしたら何気ないただの一言で、こんなになってしまう、
自分はやはり恋に溺れていると思う。




携帯を握りしめたままベッドに仰向けに横たわると、
掛けっぱなしの都々逸カレンダーが目に入った。


……今日の一節……

  丁と張らんせもし半 出たら わしを売らんせ吉原へ



そうだ。
塔矢がもし女だったら、こんな女だ。

賭場で男が全財産を注ぎ込んでも、悩みもせずに「丁」と言う女。
スッたら自分を売春宿に売った金で払えば良いと、涼しい顔で言えてしまう女。

烈しくて、冷たくて、度胸があって。
惚れた男の為になら、自分の人生すら差し出す女。

別に塔矢はオレに惚れてはいないけど。
自分の信念の為に、棋士生命を賭けてしまえる人には違いない。

長い物には巻かれておけばいいのに、とも思うし
純粋すぎるガキだとも思うけど。

やっぱり格好いいと思う。
そんな所が好きだと思う。

諦めるなんて、忘れるなんて、

無理、だよなぁ。





後日塔矢に聞いた所、座間先生の呼び出しは緒方先生のたちの悪い嘘だった。

塔矢はどうもそこまで見通してああ言ったらしい……。

本当にプロをやめるつもりはなかったという事だろうけど、でも
オレの心を燃え上がらせた恋の炎は、そんな事じゃ消えないね。





-了-





※職権乱用ではなくて、ただのパワーハラスメントだと後で気付きました。
 緒方さんの場合は何ハラスメントなんでしょう。オガハラ。
 さすがの座間先生も、いきなり家に呼び出すような事はしません。
 「54.吐き気がするほど愛していて」に続きます。





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