54.吐き気がするほど愛していて
54.吐き気がするほど愛していて








……今日の一節……

  切れてくれなら切れてもやろう 逢わぬ昔にして返せ




枯れ葉が舞う明治通り。
平日なら人も少ないかと思ったけど、いつも通りの人出だった。

その中に、人目を引く金色の巻き髪。

盛りまくった髪の主は、死ぬほど化粧が濃いけれど、
その下の素顔も意外と端正なんじゃないかと思われる。

とにかく一見した感じ、テレビの中にいてもおかしくない美人。
実際アイドルとか見た事あるけど、引けを取らないくらい可愛い。

女の子が何人も歩いてる中の一人を、思わずじっと目で追う。
バレたらどうしようかと思ったけど、あの子を目で追ってる男は多そうだから
別に大丈夫か。



この所、こんな事がよくある。

きれいな女の子に目が行く。
可愛いなぁって感心する。

前は塔矢一筋で、他の人間の容姿に全く目が行かなかったのに。

自分が、ちょっと人並みになったみたいで、嬉しい。





「……塔矢」

「やあ」


ふと何かを感じて頭を回すと、少し離れた所に塔矢が立っていた。
まだ約束の時間まで五分あるのに。


「いつ、来たの?」

「少し前」

「声掛けてくれれば良かったのに」

「何となく、キミを見ていた」


え。オレ、を?
うわ、なんつーか、すんげー嬉しい。
そういう事って普通、好きな女にしか言わなくね?
そうでもないか。

……つか。
見ていたって、オレ、何してたっけ?
巻き髪の……女の子ガン見してた……。

オレの表情は、端から見て面白い程変わっただろう。
塔矢が「何か言いたいことがあるのか」と言いたげに、少し首を傾けた。


「えと、いや……あの、」

「きれいな人だったね」

「うん……いや、そう、かな?」

「女が、欲しいのか」


機嫌が悪そうでもない、いつもの穏やかな表情のまま言う。

でも塔矢が、冗談でもなくこんな雑な物言いをするのを聞いたのは初めてだ。





塔矢とオレの間では、オレはきっぱり塔矢を諦めたことになっている。
というかもう半ば無かった事になっている。

でも、オレが塔矢を好きだったという過去は消せないし。
(……オレの中では、今も恋心を消す事なんて出来ない訳だけど)
オレが女の子に目を奪わる事があるなんて。
塔矢に言うのは、失礼かなぁ。

そうでもないか。
逆に、本当にもう自分に気持ちがないんだって、安心するだろうか。


「あの、オマエは?」

「ボク?」

「好きな女の子とか。いないの?」


塔矢が、切れ長の目の端でオレを見る。
口の端だけで、微かに笑う。


『キミは、都合が悪い時は同じ質問を返す癖があるんだな』

『頭が悪そうな切り返しだから、止めた方が良い』


少し前に言われたのを思い出して、顔が赤くなる。
今の笑いは、「もう指摘しないぞ」という意味だろう。


「いないよ。今はタイトル戦で手一杯だ」

「そっか!そうだよな」


それが正解かーー!
だよな。
ボク達は碁打ちなんだから、碁が本分、だよな。





「オレは……」


さっきの子を、可愛いと思った。
付き合えたら友だちに自慢できる、そんな子だと思った。

細くて柔らかくてオシャレで、きっと甘くて可愛いお菓子が大好き。

あんな子と一緒にいたら、楽しいだろう。
ストレスもないだろう。

それは、夢の中のように幸せな毎日だろう。


「オレは、さっきの女の子は、」


もし塔矢と出会っていなければ、あんな女の子と付き合いたかった。
もしこの世にオマエがいなければ、オレはもっと平和なんだ。

好きな女の子にアタックして、失恋して友だちに慰めて貰ったり。
バレンタインデーにどきどきしたり、
誰かの彼女の友だちとかって紹介して貰ったり。
ディズニーランドにデートに行ったり、クリスマスイブには……。

そんな平凡な暮らしが出来るんだ。

オマエのせいで、そんな幸せがオレから遠ざかる。


『女が、欲しいのか』


でもオレは、


「どうした?進藤」


……オマエが欲しい。


女なんかより、オマエが欲しい。

すぐにすり切れて、お互いダメになるかも知れない。
オマエの烈しい炎でオレは焼き尽くされるかも知れない。

それでも、オレは今でもオマエが好きなんだと。
オマエを手に入れたくて、気が狂いそうなんだと。

言ってしまいたい。



「さっきの女の子と……」

「?」

「碁を打つより、オマエと打つ方が楽しいと思う」



女が欲しいのか、という質問には答えていないかも知れない。
でも思い切り正直な気持ちだ。

どうだろ。ギリギリセーフな答えじゃない?

あの女の子より、オマエを選ぶ。
オマエの方に、欲望を感じる。

そんな事を含んでの答えだけれど、それは塔矢に伝わらなくて良い事で。
むしろ、伝わっちゃ困るし。

でも、これなら自分にもオマエにも誠実な答えだと思う。
人の嘘を見抜くのが上手なオマエでも、これには騙されるだろう?





「それは、そうだろうな」

「……」


自信たっぷりな返事に、何だか笑ってしまいそうになった。
オレが彼女より塔矢を上としたことに、どこか満足そうに見えるのは
オレの願望が混じっているんだろうか。

でも。
オマエも、碁を打つだけなら、
どんなに可愛い女の子よりオレを選んでくれるだろ?


オマエと出会っていなければ、オレはさっきの子に声を掛けてた。


オマエと出会っていなければ、オレは碁を続けていない。
オマエと出会っていなければ、オレは佐為を失っていない。

オマエと出会っていなければ、……オレは今、こんなに苦しんでいない。

吐き気がする程に。

いっそオマエをこの世から消してしまえたら、
楽になるんじゃないかと思うほどに。



「行くぞ、進藤」

「ああ」



それでも今、オマエがオレの隣にいる幸せを、
オレは全力で感謝する。





-了-





※どうでしょう、現実で「吐くほど好き」とかってあるんでしょうか。
 「41.蕀姫(いばらひめ)」に続きます。




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