41.蕀姫(いばらひめ)
41.蕀姫(いばらひめ)








くしゅん!


自分のくしゃみで目が覚めた。
肌寒くてぶるっと震え、やべ、風邪ひく!と反射的に目が開く。

今風邪ひくわけには行かない。
来週には大事な対局が入ってる。

肘枕をしていたらしく、肩が痛い。というか体全体の節々が痛い。

目の前には、椅子……木の椅子、と木の学習机の、足?


どこだこれ!


今更ながらに跳ね起きる。





すると。
真っ白いカバーの掛かったふわふわの布団に、手を突いた。


「……?」


掛布団の端から、目を閉じたマネキンのような首が出ている。
黒い髪は布団と同じく真っ白の枕に扇形に流れ、所々乱れている。

……塔矢アキラが、寝ている。

あり得ない。

どういう事だ……?





そうだ。
碁会所で塔矢と打ち足りなくて、家まで押し掛けたんだ。
途中のコンビニで弁当買って。

塔矢も、迷惑そうじゃなかった。
どうせ塔矢先生も奥さんもいないし。

……でも。


『夕飯を食べたら、帰れよ』

『この一局が終わったら、帰れよ』

『終電までには帰れ』


泊めてくれるとは、言わなかった。




とは言え、オレが何か不埒な事をしようとしていると、疑われた訳じゃない。
と思う。


『ふざけるな!』

『らって……』

『車を呼んで帰れ』

『もうちょっと……もうちょっとらけ、横になってから……』

『何故弁当と一緒にビールなんか買ったんだ!』


塔矢と二人きりでいて、のぼせていたのもある。
動揺している事に気付かれまいと、早いペースで飲んでしまった。

勿論、塔矢に何かしようなんて思いも寄らなかった。
力尽くでなんて無理だし。
無理矢理な事をしたら、今度こそもう二度と顔も見て貰えなさそうだし。

だからその場で寝てしまったのは、不覚としか言いようがない。


『ボクはもう知らないからな』

『ん〜……』

『目が覚めたら、勝手に車を呼んで帰れ』

『ん……』

『何度も言っているが、明日の早朝、両親が帰ってくるからな!』


……そうだーー!!

オレがどうとかじゃなくて、明日塔矢先生たちが帰ってくるから
今日中に帰れって話だったんだ。
と言っても、零時過ぎてるから、もう今日だけど。


電話電話……ケータイ……
あった。

タクシー会社は、と。


……。

…………。


もう一度、塔矢に目をやる。

生きていないかのような、白い頬。

オレが、半年前に押し倒して無理矢理キスしたオレが、側にいるのに
何の警戒心もなく、すやすやと眠っている。

その顔は、作り物みたいに端正で。

ため息を吐きながら、見惚れてしまう。

塔矢って、寝てる時も行儀がいいんだな。
口開けたり涎垂らしたりしないんだろうか。

魔女に眠らされた、白雪姫やいばら姫。
見つけた王子は、こんな気持ちだったんじゃないかな。


……帰る前に……少しだけ……


いや、ダメだ。
万が一塔矢が目覚めたりしたら、全部お終いだ。


……でも……


塔矢のためとか、約束を破っちゃダメだからとか、
そんな考えが浮かばないのが我ながら情けない。


……バレなければ、少しだけ不埒な事をしたい。


少し、だけ。
指で触るだけなら、いい、かな?


『死んでるみたいに寝てたから、怖くなって寝息を確かめた』


そんな言い訳なら何とか通る、んじゃね?


思いついたら、もう躊躇いはなかった。
塔矢の顔をもう一度じっと見て起きそうな気配がない事を確認して
そっと指を立てる。

舌を出して指先を少し舐めて、

じりじりと塔矢の顔に近づける。
唇の前でどうしても指が止まったけど、息を吸って思い切ってくっつけた。

塔矢の唇は柔らかくて、息は暖かくて、指を離したくなくなる。


「、……」


塔矢が、微かに何か言いたげに唇を震わせた。
弾かれたように指を離す。


……塔矢って、眠りが深いんだ……。
多分、もうちょっと触れても周りで音がしても、目が覚めない。


「塔、矢?」


やっぱり。
ぴくりとも動かない。



……お姫様は。


おとぎ話のお姫様は、キスで目覚めるのが定番だけれど。

どうか。

どうか、目覚めないでいばら姫。


全力で願いながら、オレは塔矢に顔を近づけた。
息が掛からないように呼吸を止めながら、
暖かい唇に。


……前回、どさくさに紛れてキスした時は、そこが唇かどうかすら
分からなかった。
今回は、動かすこともせずただその温もりを味わう。


今オレは、多分人生で一番か二番目に、幸せなシーンのまっただ中にいる。


忘れないでおこうと思った。
この夜の、暗さを。温度を。匂いを。
この優しい、感触を。





さあ。


息が苦しくなって唇を離して、オレの魔法は解けた。

姫はまだ眠り続けている。

その魔法が解けない間に、ケータイでタクシー会社に連絡して。
この場を去らなければならない。

明日には王と王妃が戻ってきて。

元通りの毎日。





携帯を取り出して、音がしないようにマナーモードにして。
何気なく今朝、アラームを止めたときの事を思い出した。

ベッドの中で寝返り打って携帯を開けて。
その向こう、ベッドの壁に、例によって都々逸カレンダー。

今日の一節は、なんだっけ?



……今日の一節……

  君と寝やろか



……しまった。

自分が、画像記憶型なのを少し恨む。
勿論全てではないけれど、見た物事を写真のように記憶している事が多くて
時々こんな風に、何気なく目に入った物を後から思い出すこともある。

音声記憶型より、棋士に向いているだろうけど。
気付きたくない事に、後から気付いたりしちゃったり……。


  君と寝やろか


このまま塔矢の布団に潜り込んでも、きっと塔矢は気付かない。
君と寝やってしまう事は、可能だ。


  五千石とろか


五千石……はないけれど。
早朝、帰ってきた塔矢夫妻が、もし息子の寝顔を見ようと思いついたら。
その布団に、もう一人眠っていたら。

いや、塔矢の方が先に起きるか。
隣でオレが寝てたら、驚くだろうな。
つか、怒るだろうなぁ。髪を逆立てんばかりに。


『両親になんて説明するんだ!』


怒鳴り声まで聞こえるようだ。


それでも。


  
  君と寝やろか五千石とろか ままよ五千石 君と寝よ



オレは、上着を脱いで塔矢の布団を捲り上げた。



  ままよ五千石 君と寝よ




塔矢の隣は、

暖かくて暖かくて、

全てを失っても良いと、思った。





-了-





※旗本・藤枝外記が遊女・綾絹をさらって、無理心中をして
 四千石のお家取がりつぶしになった事件が元らしいです。

 ヒカルも、愛欲に溺れて破滅しちゃうんですかね。何もしてないのに。
「62.『世迷い言を』」に続きます。





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