25.気違い水(酒の異称)
25.気違い水(酒の異称)








……今日の一節……

  入れて貰えば気持ちはいいが、







「泊まって行くといい」


……そう言われても。


「いえ……帰ります。ご迷惑でしょうし」

「そんな事はないさ。今から車を出させられる方が迷惑だ」

「タクシー呼びます。飲酒運転していただくつもりはないです」

「まあ、そう逃げるな」


グラスを上げて、ニヤリと笑われるとこれ以上拒否りにくい。


「オレのベッドは、広いぞ」

「……」

「アキラの布団よりな。二人寝ても余裕だ」





オレは、この緒方先生が苦手だ。
院生試験を受けられるように口を利いてくれたのは今も忘れていない。
でも、こと、塔矢が絡むと、風当たりが強い気がするんだよなぁ。

多分この人が撒いた塔矢とオレがホモくさいって噂は、さほど広がらない間に
あっさりと鎮火した。

塔矢は別に怒ってないみたいだったけど、先生が何がしたかったのかが
気になる。


『進藤、風邪気味なんだろう?うちへ来いよ』

『は?いや何でですか?ってか別に、』


棋院で偶々出会って、理由にもなっていない理由で強引に自宅に引っ張り込まれて。

酒を出されたら、オレも嫌いじゃないから一緒に飲むけど、
チクチクと塔矢との事を言われるのはいい気分じゃない。


「いいじゃないか。別に、男と同じベッドでも気にしないんだろう?」

「いや……まあ」

「それとも、アキラだけ特別なのか?」

「そんな事!」


ない事は、ないんだけど。
緒方先生には言えない。

でも、否定もできない。
塔矢もだけど、この人も他人の嘘を見抜くのが上手いタイプな気がする。

嘘を吐けば、どんどん矛盾を突かれて崩されて、
知られたくない事まで洗いざらい吐かされそうだから。

答えたくない事には答えないのが、一番の対処法だと思う。





そんな事を思いながら、でもいつの間にかまっすぐ歩けないくらいに飲まされて。
先生んちのシャワー浴びさせて貰って、パジャマまで借りて
寝る準備してるのはどうかと思う。

ふらふらしながらベッドルームに行くと、先生は既に
セミダブルのベッドに半身入って何か読んでいた。


「あの……お借りしました……。いいお湯れした」

「ああ」


まだ眼鏡を掛けたまま、手にした書類から目を上げた先生は、
オレを見て、何とも言えない表情をした。

しまった、とか?不味かった、とか?
何せ、予想外の事が起こったか、悪手を打ってしまった時のような。


「あ、も、もしかして、おろろいですか」

「ああ。このメーカーのこのシルクが気に入っているからな」


緒方先生が着ているパジャマと、オレが借りたパジャマ。
よく見なくても同じ物だ。
勿論サイズも同じだろう。
先生はゆったりと着ているが、オレには大きすぎて肩が落ちる。
袖が掌まで隠している。


「……新婚さん、みたいれすね」


これが、さっきの「しまった」顔の原因か。
と思いながらおそるおそる言うと、


「ああ」


否定しろよーー!
と声を出して突っ込むわけにも行かず


「お邪魔、します」


間抜けな断りを入れて、布団をめくる。
緒方先生の隣に体を滑り込ませると、スプリングが跳ねて
先生の体が軽く動いた。

何だか、気を使うよなぁ。
広いとは言っても体温を感じちゃうくらいには近いし。

セミダブル。
微妙な広さだよな。
一人で伸び伸びと寝たいから、でも通る大きさで、
だけどこうやってもう一人連れ込む事も出来る。

失礼かとは思ったけど、どうしても先生の方を向いて寝ることが出来なくて
オレは背を向けて横になった。


「あの、」

「悪い。もう少しで消す」

「いやそれは、全然大丈夫っす。電気全開でも寝れるし」

「なら何だ」

「……ここで、今オレが寝てるここで、誰かが寝た事あります?」


化粧品の残り香が微かに鼻についた気がして。
ふと疑問に思うと、考える前に口から出てしまっていた。

聞くまでもなくあるだろうな、と思う。緒方先生だし。
でも、言ってしまってから、しまった、とも思った。
プライバシーの侵害にも程があるじゃん。
やっぱり酔ってる。自分が思ってるより。

オレの背中の向こうで、緒方先生はしばらく無言だったけど
やがて小さな笑い声がした。


「気になるか」

「いえ!すんません!」

「オレが『アイツ』と、このベッドの上で何をしたか」


……やっぱり。
知らない女と、緒方先生が裸で絡み合っている姿が一瞬浮かんで
「げー」と思ったり、だけどちょっと興奮するような……。

って。「アイツ」?

アイツって言葉を使うってことは、その相手はオレが知ってる人なんだろうか。
いや、そうでもないか?


「心配しなくていい。今はオマエだけだ」


煙草の匂いが後ろから近づいてきて、肩を抱かれると。
笑い混じりだから冗談だって分かるけど。

息を耳に吹きかけられて、我慢できずに振り向くと
思ったより近くに先生の顔があって、先生も驚いたように身を離した。


「あの!襲わないでくらさいね」

「驚いた。オレの方が襲われるかと思った」

「何でですか!」

「言っておくが、オレはアキラ程真面目ではないが、アキラ程非力でもないからな」

「誰がっ!……っつか、塔矢から、聞いたんですか?」


……緒方先生が、知っていたことに驚いて言った言葉に。
ニヤリと笑われて初めて、カマを掛けられたことに気付いた。
判断力ー!オレのいつもの判断力ーー!


「やはりそうか。襲ったか」

「襲って、ません!」

「どうだった?アイツの体は」


って。「アイツ」?
何だこの既視感。


「いやだから!マジで何もしてません!」


いやまてキスはしたか……と思ったのが顔に出たのか、
先生は「隠さなくてもいいじゃないか」みたいなにやにやを浮かべる。

どうしよう。
否定すればするほど、ドツボだ。
もっと早くに、何も言わないで酔って寝た振りをすれば良かった。
もう遅いけど。

とにかく、何かあったと思われたままにしておくのは不味い。
塔矢の名誉のためにも。

でも、今のオレには上手い言い逃れを考えるだけの思考力もない。


「……その、誰にも内緒にしてくれますか?」

「ああ」


最低限の真実を言うことが、今は最善手だと思われた。


「塔矢を、押し倒してしまいました。襲いたくて」

「よくあのアキラがそんな事を許したな」

「不意打ちで」


我ながら情けないけど、不意打ちじゃなかったら無理だ。
緒方先生が言うように、塔矢が本当に非力な訳じゃないし。


「で、結局無理れしたけど、ちょっとだけキスだけしてしまいました」

「ほう」

「……」

「……進藤?」





そこで、急に意識が途切れた。
言うべき事は言ってしまった、という安心感か
緊張の糸が切れたのか。


やっぱり、無理矢理にでも帰れば良かった

シャワーなんか、借りるんじゃなかった


そんな事を思いながらも、長いこと胸につかえていた言うに言われぬ秘密を
吐き出してしまった事に、久しぶりに風呂に入ったような爽快感を覚える。
頭が軽い。
カタルシスの快感かも知れない。


オレは緒方先生の隣で、久しぶりに熟睡した。



 



……今日の一節……

  入れて貰えば気持ちはいいが ほんに気兼ねな貰い風呂





-了-




※続きます。
  緒方さんを書いている時の私の目は生き生きしていると思います。
 「12.鏡像で結ぶネクタイ」に続きます。
















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