12.鏡像で結ぶネクタイ これ、夢だ……。 良い夢じゃないのは分かる。 でも、嫌な感じがするかと言えばよく分からない。 オレはどこかの天井あたりから部屋を見下ろしていて、 その真下のベッドの上に、塔矢がいた。 目を閉じた、いつか見たマネキンみたいな顔のまま揺れている。 その塔矢の上に、こちらに背中を向けて覆い被さっているのは ……オレ? じゃない。でも女じゃない、男だ。 よく見えない、でも塔矢と何をしているのかは一目瞭然。 ごく最近こんな光景を見たか思い浮かべた、 夢の中のオレが思い出す。 緒方先生、と、知らない、女の人。 『オレとアイツが、ベッドの上で何をしたか』 ……アイツ。 アイツって?アイツって、まさか塔矢のことか? ベッドの上で振り向いた塔矢の相手は、緒方先生だった。 「……おい」 どんなに望んでも、手に入らない物があるって、オレは知ってる。 どんなに想っていても、離れていってしまう人がいるのも。 「おい、進藤」 ならば切ない思いをするだけ無駄だ。 いつか失ってしまうなら、 他の誰かの物になってしまうなら、 いっその事、 「いい加減起きろ!」 ……低い声に、ぱちっと目が開く。 あれ?オレ? 「ったく。どうしてくれるんだこれ」 今まで必死でしがみついていた、つるつるした布。 ついでに、涙や鼻水を拭いていた布。 どうもオレは、寝ながら緒方先生の腰にすがっていたらしい。 「わっ!すみません!おはようござ……じゃなくてクリーニング代出します!」 「誰が寝間着をクリーニングに出すか」 「えっと、」 「まあいい。普通に洗濯すれば許してやる」 パジャマ汚した事より、寝ながら泣いていた事、 泣いていた事より、先生に抱きついていた事の方が恥ずかしかった。 何でオレ……。 夢見が悪かったからかな。 緒方先生に、塔矢を取られる夢を見てしまった。 だって、ゆうべは酔っていて気が付かなかったけど、緒方先生、 塔矢のことを、「アイツ」って呼んだんだよな。 『どうだった?アイツの体は』 そんで、以前にベッドで寝た誰かさんも『アイツ』。 塔矢の性格からして、絶対ないと思う。 「ボクにはそういう趣味はない」って言い切ってたし。 あり得ない、けれども。 抱きついたのは……隣で寝ている先生を、塔矢と間違えたかな。 それとも塔矢の方に行って欲しくなくて引き留めてたつもりなのか。 男に抱きついて寝てたなんて、恥ずかしい。 塔矢は別だけど。 「で。どんな夢を見たんだ」 「はい?」 「夢を見て泣いていたんだろう?」 泣いてた事に言及しないでくれ、って思った瞬間に、こんな事を言い出す。 本当にヤな人だ。 「いえ……」 「なら、本気でオレにすがりついて泣い」 「違います」 こちらに向けられたにやにや笑いに、昨夜の記憶がはっきりと蘇る。 ……そうだ、オレ、この人に。 夢であってくれ!と全力で祈りながら恐る恐るその顔を見た。 「……昨日オレ、何か言いました?」 「嫌がるアキラくんを押し倒してキスをしたとか。その後の事とか」 「マジで?」 嘘……。 何となく、押し倒した所までは言ったかもって思ってたけど。 キスした事も言ったんだ。 その後の事……って何だろう。 諦めるって、約束したのに諦めてない事か。 脳内塔矢で自分で楽しんじゃう事か。 あ、寝てる塔矢に、こっそりキスした事か?! 「あああーーー……」 どうしていいか分かんない時って、本当に人間転がっちゃうよな。 この場をめちゃくちゃにしてしまいたいというか。 今この瞬間、世界が崩壊して欲しい! とか。 顔を覆ってベッドの上でごろごろ転がって、 緒方先生もわけわかんなくなっちゃって、とにかく場面転換して欲しい。 なんて思ってると。 突然仰向きにされて、両方の手首を掴まれた。 ベッドに押しつけられて、何が何だかわかんないけど、 真上に緒方先生の顔が。 眼鏡を掛けていなくて、ちょっと眉間にしわが寄ってて、 怖い。 怖すぎる。 「キスしてもいいか」 「だ、」 真顔で何言ってんだーーー!! やだ、怖い、気持ち悪い、 「ダメです!!!」 緒方先生は更に険しい顔になってしばらくオレを見た後、 「だろうな」 ふっ、と表情を緩めてオレを解放した。 「そう言うことを、オマエはアキラくんにしたんだ」 「……」 ……返す言葉もない。 そういう気持ちがなかったら、さっきのオレみたいに 怖かったり気持ち悪かったりするだけだよな……。 オレ、自分の事ばかり考えてた。 バラされたら、自分が困る、自分が塔矢に嫌われるのは嫌だ……。 でもそれは自業自得というやつで。 塔矢の方が嫌だっただろう。何の落ち度もないのに。 改めて、オレは塔矢にどんなにひどい事をしたかって思い知った。 あと、緒方先生も疑ってすみません。 なんて心の中で謝る。 それからオレは落ち込んだまま、柔軟剤を入れて洗濯をした。 その間に緒方先生は朝御飯を作ってくれて一緒に食べる。 本当に、新婚さんみたいじゃん。 変だ……シュールだ……。 「んじゃ、そろそろオレ帰ります」 「……酷い格好だな」 確かにゆうべはスーツのまま飲んで、変な格好で座ったり寝たりしたから シャツもシワシワ、パンツもどこかヨレヨレしている。 「せめてネクタイをして行け」 「はあ……」 面倒くさいけど、今はこの人に逆らう気力がない。 それに、無精ひげで(ひげ剃りまではさすがに借りたくない) スーツでノーネクタイでよろよろ歩いてたら、本当に職務質問されかねないしな。 「……前から思っていたが、オマエ、タイがおかしくないか?」 「母さんが買って来たもんですが」 「ネクタイ自体ではなくて、結び方だ。上着を着ていたら目立たないが」 「ですか?」 確かに、いっぺん父さんの結び方見てそれから見よう見まねだ。 長くなってベルトの下に入れることもあるし。 緒方先生はオレの向かいに来て、結び目に指を入れた。 やだな、母さんみたいだ。 「これでは左右対称にならんだろう」 「そう、ですか?」 「貸せ。教えてやる」 うわー……。 後ろに回った先生が、姿見の中でオレの首にネクタイを巻く。 背が高いからさして苦でもない様子で、自分のネクタイを結ぶように 左右の長さを決めていった。 「右手でここをしっかり押さえて、一回回す」 何か近いんですけど。 後ろから抱かれているみたいで、緊張してしまう。 特に今朝はあんな脅かされ方したし。 「聞いてるか?」 「は、はい」 「一番簡単な結び方だぞ」 怒っている感じじゃない。 どちらかと言うと……多分、オレをからかって喜んでる。 オレが怖がりながら、でも抵抗出来ないのを見て楽しんでるんだと思う。 ……じゃなきゃ、わざとこんな風に耳の側でしゃべらない、よな。 「あとはこうして、長い方の形を整えながら結び目を上にずらして、」 鏡の中のネクタイをずっと見ていた先生が、そこで何故か視線を上げて オレの目を鏡越しにまっすぐ見た。 「……それにしても、何故よりによってアキラくんなんだ?」 「え……?」 何をいきなり、 油断させておいてその質問は何だ。 というか。質問以外にも訳わかんないことが。 ……ネクタイの結び目が、止まるべき所で止まらない。 ワイシャツの襟にシワが寄っても、緒方先生の手は離れなかった。 「オマエがゲイだというのも意外だが、他にいくらでもいるだろう。 わざわざ古くからのライバルでなくても」 苦しい……。 鏡の中の先生はあくまで普通の顔なのに、手だけが別人のように 少しづつ、でも確実にオレの首を絞めていた。 「おが、」 「アイツの、どこが良いんだ?」 何でそんな事、聞くんだよ。 どこまで絞め続けるんだ、そろそろ息が、 苦しさから。 なのか、 先生の質問のせいなのか。 オレの目から涙が零れる。 それで、やっと手を離してくれた。 前のめりに転がりそうになりながら、軽く咳き込む。 そこまで強い力だったわけじゃない。 本気で殺そうとしたわけじゃないだろうけど、 「何するんすか」と笑い飛ばす気には全然なれなかった。 「どこが、いけないんです?」 代わりに、あらん限りの力を目に込めて鏡の中の緒方先生を睨む。 首を絞められた事より、塔矢を貶す言い方をされた方が許せなかった。 好きになって、何が悪い? 理性で塔矢以外の男を好きになれるなら、男を好きになったりしない。 普通に女の子と付き合う。 理由なんか無い。 塔矢が碁を打てなくても、あんな顔かたちじゃなくても、きっと好きになってた。 そんなもん、どうしようもないじゃんか! 理由を知りたいのはオレの方だ。 好きでなくなれるのなら、そうなりたいくらいだ。 一番苦しいのは、オレ自身なんだ! 先生は、手の中からすり抜けたネクタイを惜しむように一、二度 指を動かした後、 「すまない」 思いがけなく素直に謝って、何事もなかったようにコーヒーカップを 手に取った。 「泣くほど好きなのか」 「ええ……好きです」 言うと、涙が止まらなくなった。 しゃがみ込んだまま、手で顔を覆う。 ぽろぽろと掌に落ちてくる涙を受け止めながら、 「ハンカチ持ってねーなー困ったなー」なんて考えてもいた。 緒方先生は。 これまでの行動からして、オレを抱き寄せる位の事はするかと思ったけど ただ黙ってティッシュの箱を目の前に置いた。 やっぱり、からかったり困らせたりする目的以外で男を抱いたりはしないんですね。 その冷たさにホッとしたり、ほんの少しだけがっかりもしたり。 もう、塔矢と会えない。 アイツがなかった事にしたいと分かっていて、 こんな風に人に話してしまって。 きっと隠してはおけないだろう。 噂はまた、広まるだろう。 オレが一方的に悪いんだから、塔矢は悪く言われない筈。 ……多分。 それでも、合わせる顔がない。 全然諦めてないって、今でも泣くほど好きだなんて、アイツにバレたら。 泣いて泣いて、 塔矢への想いが涙と一緒に流れて消え去ってくれればいい。 そんな事無理だと分かっていながら、 オレは緒方先生んちの姿見の前でしゃがみこんだまま、長い間泣いた。 ……今日の一節…… あの人のどこがいいかと尋ねる人に どこが悪いと問い返す -了- ※ネクタイを結んで貰うシーンと都々逸が主眼なので 話の流れにあまり意味はありません。 「15.煽動者」に続きます。
|