18.プラトニック・スウイサイド(自殺)
18.プラトニック・スウイサイド(自殺)








オレの部屋の、既にソファ代わりのベッドの上に、塔矢が座っている。
 
 
窓には薄いカーテンが引かれている。
テーブルの上には貰いもんの花がちゃんと花瓶に入れて飾ってあり、
(いつもは貰っても流しのたらいに入れっぱなしだ)
壁にはピンナップカレンダーの代わりに、指導碁先から貰った渋い都々逸カレンダー。
 
いつもよりぐっと清潔な部屋になってる筈なんだけど、
一生懸命片付けたんだけど、オマエはそんな事全然気付かないんだろうな。
 
普段はオレがだらしなく半分寝転がったような体勢でくつろいでいる、
その場所に、律儀に正座をしている。
 
でも、その視線は場所も何もかも忘れて、テレビモニターに注がれていた。
そこには前にも見た棋聖戦のVTRが流れている。
 
棋譜だって持ってるだろうし、検討もしたのに。
流れるとつい見ちゃうんだろう。
気持ちは分かる。
 
 
なんてぼんやり考えながら、ビールを飲み干して塔矢の隣に座る。
スプリングが軋んで、塔矢の体が少しこちらに傾くけれど
もぞ、と体を動かしてまた適当な距離を取られた。
 
当たり前の反応。
小さな無意識の動き。
 
他の友だちだったら全然気にならない。
多分気づきもしない。
てゆうかオレもきっと無意識にやってる。
 
人の心の距離は案外シビアだ。
少し近くても、少し遠くても、何だか気持ちが悪い。落ち着かない。
 
それでも、落ち着かなくてもその距離を詰めたいと、ゼロにしたいと思うのが
 
きっと恋なんだろう。
 
 
 
 
 
「何だ?」
 
 
気付くと、眉を顰めた塔矢の顔が至近距離にあった。
オレは、うっかり塔矢の肩を抱き寄せていたらしい。
妄想を実行してしまうなんて、今日はちょっと飲み過ぎたか。
 
 
「いや……ちょっと」
 
 
『いや、ちょっと、オマエが好きだから』
んな事言えるわけねー。
 
 
「誰と間違えたんだ」
 
 
塔矢は珍しく笑い混じりに言って、そっけなくオレの手を払った。
乱暴ではなかったけれど。
……本当にそっけなかった。
 
 
 
 
「なあ!」
 
 
急に大きな声を出したオレを、塔矢が驚いた顔で振り返る。
ばか。そんな無防備な、子どもみたいな表情で振り向くな。
何も考えずに言っちゃったんだから。
 
何言おう、何言おう、って考える間もなく、オレは塔矢の両肩を掴んでいた。
 
 
「……なんだ」
 
「スキダ」
 
「……」
 
「すき、で、ずっと、」
 
 
……ここここ告白したー!オレ!言っちゃった!
そんなん言えるわけないって思ったばっかりなのに!
一生言うつもりなんてなかったのに!
 
どんどん白くなっていく頭を、回転を止めようとする脳を、無理矢理動かして
状況を把握しようとする。
次の一手を考える。
 
でも、自分の顔がどんどん熱くなっていくなぁとか。
塔矢そんなにあからさまにひいた顔すんなよとか。
どうでもいい事しか考えられない。
 
手は、手は、そんなオレの思考とは全然関係なく勝手に動いて
勝手に塔矢を押し倒そうとしてる。
ダメだって!それ絶対マズいって!
 
当然塔矢は抵抗するし、オレ達はベッドの上で無言の攻防を続けた。
 
 
 
 
ほんの十秒か十五秒、その時はすごく長く感じたけどせいぜいその位だろう。
同じ年の男をそんなに簡単に押し倒せる訳もなく、遂に塔矢が怒鳴った。
 
 
「おい!」
 
「……!」
 
「進藤!」
 
 
名前を呼ばれて、一瞬正気が戻った隙にするりと抜け出される。
塔矢はベッドから飛び降り、部屋の反対の隅に逃げた。
 
 
「ボクは、そういう、」
 
 
肩で息をしながら、一旦言葉を切って
 
 
「……そういう…趣味はないから」
 
 
気を使った表現を探してくれた様子に、よけい心が抉られる。
 
気持ち悪いと思ってる。
有り得ないと思ってる。
男が男に欲望を持つなんて、汚いと思ってる。
 
でも、オレは、
 
 
「一回だけ!」
 
 
……自分に正直だ。
 
 
「一回だけ、ヤらして!一回でいい。あとは付きまとわないから!」
 
 
我ながらなんて間抜けなセリフ。
こんなんでヤらしてくれる女がいるかよ。男か。
 
塔矢は案の定とても冷たい目をした。
 
 
「ボクはキミを良いライバルだと思っている。友人とも。
 でも、それ以上は、ない。キミがそういう気持ち悪い事をするなら、」
 
 
最後まで言わせては、絶対ダメだ。
何故かそう強く思ってオレは、塔矢に飛びかかった。
 
 
「ちょっ、」
 
 
今度は不意打ちだった事もあって、気が付いたら塔矢を押し倒すことが
出来ていた。
 
 
「やめろと言っているだろう!」
 
「キスだけ!キスだけでもいいから頼むから」
 
「いや、」
 
 
無茶苦茶に顔を押さえて、顔をくっつけて、
ちょっと固くて尖った場所の側に柔らかい皮膚を探してここが口かなって。
 
焦がれて焦がれて焦がれ続けた感触を味わう余裕もなく、
ただ、「終わったな……」とだけ思っていた。
 
 
 
 
 
「……嫌だって、言ってるのに……」
 
 
やがて下から聞こえた静かな声。
 
その続きは「しょうがないヤツだなぁ」的な、許してくれてるような
言葉なんじゃないかって。
オレは勝手に思い込んで体を起こして塔矢の顔を見たんだけど、
塔矢はそれ以上何も言わず、黙って体を起こした。
 
その目はやっぱりさっき以上に冷ややかで、
立て膝のまま汚そうに手の甲で唇を拭ったから、オレは
「あ、ちゃんと口にくっつけられてたんだ」って分かって。
 
 
凍り付きそうに寒くて静かな時間をたっぷり味わって、
オレがもう、台所行って包丁で手首切ろうかと思い始めた頃、
塔矢がまっすぐオレの目を見て口を開いた。
 
 
「……これでもう、諦めるんだな?」
 
「……」
 
「一回でいい、キスだけでいい、もう付きまとわないと言ったな?」
 
 
このタイミングでこのセリフ。
つくづく、ほんっとにクールだなぁ。
 
オレ、こいつのこういう所好きだ。
 
 
 
「うん……諦めたよ」
 
 
 
自分が、死んだような気がした。
 
でも、それ以外、答えようがない。
どうしようもない。
 
塔矢は目元を少し弛めて、小さく「打とうか」と言った。
オレは出来るだけぎくしゃくしないように、いつも通りの動きで
碁盤を取りに行く。
 
今まで、どんな喧嘩をしてもこうして、仲直りというか、
打ち続けられる関係を維持してきた。
 
 
 
静かに、石を握りながらふと壁の都々逸が書いてあるカレンダーに目がいく。
 
あ、今気がついた。
「あきら」が三つもある。
いや、四つか。
 
塔矢が、オレの視線の先に気付かなければいいと思った。
でも、とても気付いて欲しいような気もした。
 
 
 
 
……今日の一節……
  あきらめましたよどう諦めた あきらめられぬとあきらめた
 
 
 
 
−了−
 
 
 
 
 
※都々逸シリーズ。「64.職権乱用」に続きます。
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