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邯鄲 カチリ。 ライターで火を点けると大きく息を吸い込み、 意味もなく眉根を寄せながら煙を吐き出す。 「・・・その匂い、好きだった。」 横たわった少年がぼそりと呟く。 黒い髪が一筋、二筋、頬に貼り付いて、その顔を病人か何かのように青白く見せている。 「そうか。」 「町中で同じ匂いの人とすれ違ったらついつい振り返っちゃうくらい。」 また大きく煙を吸い込んで、今度は意図的に顔を顰める。 「オレは、嫌いだ。」 最初から塔矢アキラの事を疎ましく思っていた訳ではない。 むしろ、可愛いと思っていた。 自分の師匠の子に慕われて、嫌な気分になる者もそういないであろう。 しかもそれが才気溢れる紅顔の美少年となれば尚の事。 塔矢門下で、オレより優しい奴はいくらでもいる。 オレより子どもが好きな奴も、子ども受けする奴も。 いやむしろ、そういう意味でオレはワースト1とは言わないが、下から数えた方が明らかに早い。 だがアキラは幼い頃からそんなオレの後をくっついて回っていた。 誰よりもオレと対局したがった。 人一倍アキラを可愛がっていた芦原などは口惜しがっていたが、 別にオレは何もしていない。 何の努力もしておらぬのに優越感じみた物を味わえてしまうのは 少し後ろめたくもあったが、悪くなかった。 ただ。 オレのような人間に着いてくる理由を鑑みる程に、 塔矢アキラという子どもは幼いながらに人の価値というものを、 人間性ではなく碁の強さで計っているのではないかと思った。 それは碁打ちとしては非常に頼もしいが、人間としては、やや末恐ろしい。 そのアンバランスさがこの先彼と彼の父親にどう影響していくのか、 オレは高みの見物をさせて貰うつもりだったのだ。 だから、アキラを師匠の子どもとして自分なりに可愛がりもしたし、 将来のライバルとして、鍛えも育てもしたつもりだ。 それは、塔矢門下では自他とも認めるナンバー1であるオレ一流の接し方だ。 オレ達は上手く行っていた。 そんなアキラが離れていったのはいつ頃からだろう。 11か、12か。 繰り返すがオレは何もしていない。 アキラが勝手に慕ったり、勝手に距離を置いたりするのだ。 以前のようにオレの姿を見た途端にぱっと輝くような手放しの笑顔を見せる事も減り 後をついて来る事もなくなった。 相変わらずオレと打ちたがったが、明らかに甘えとは異なり、 対等なライバル、ターゲットとして意識し始めているようだった。 動物は我が子が育てばそれまでの可愛がりようから掌を返したように 自分のテリトリーから追い出すと言う。 オレも自分に牙を剥き始めた弟弟子を、今までの様に庇護する謂われもない。 先方が近づいて来なければ特にこちらから世話を焼いたりはしなかった。 アキラの変化の理由は、たわいもない、思春期の子どもにありがちなもやもやであろう。 ひたすら碁の精進のみに生きてきた彼が、囲碁マシンである己に 迷いを覚えたのかも知れない。 しかしある程度予想された展開だ。 迷いのない人生などない。 そして彼なら、直にそれを乗り越えるであろう事も予想された。 世間では難しいと言われる年頃でも、アキラは表面上は問題無く 囲碁に没頭しているように見えた。 しかしやがて、これまで年配の棋士の背を追っているばかりであったアキラを 順調に人生の駒を進めていたアキラを、後ろから脅かす存在が現れる。 彼と同い年の、謎の少年。 オレは久しぶりに自分からアキラに近づき、進藤ヒカルをその目の前にちらつかせた。 近頃は愛想笑いも板に付き、年不相応なソツのなさを身に纏っていた彼が、 進藤ヒカルに関してだけ感情を露わにするのが面白かったからだ。 面白い、の中には嬉しい、も含まれていたかも知れない。 オレともあろう者であるが。 彼等の間にどういったいきさつが在ったのか詳しくは知らないが、 進藤は驚くべき早さで階段を駆け上り、アキラはまたとない好敵手を得た。 そして進藤と対局する事により、台風の目に入ったように安定をした。 お互いをあれ程意識しあいながら、違うテリトリーで牽制をし合っていたものである。 しかし豪風を抜けてやっと手を届かせて実際に対局してみれば、 そこには静かで純粋な囲碁の楽しみしかないはずだ。 危惧していたように進藤に失望する事もなかったらしい。 仕事に対する姿勢も固まり、打ち続ける意義も自分なりに見出した様だった。 いつもオレの後を着いてきた、 小さなアキラは、もう何処にもいない。 アキラは進藤との対局を重ねて、単純で大切な何かを得たのだと思う。 そして国際棋戦での初勝利。 彼はプロとして本物の自信を身につけた。 大人びた。 以前のように、オレと対局する時気負う事もなくなった。 そして。 自分でもそう思ったからこそ、正面からオレの部屋を訪ねて来たのであろう。 ・・・アキラがそんな風にオレを見ていたとは。 いやよしんばそうだとしてもこれ程大胆な行動に出るとは。 非常に予想外だったが、上手いタイミングではあった。 北斗杯がアキラの二勝で終わった次の日あたりだったか。 オレはアキラと、そして進藤の戦いぶりを見て、 アキラはもう完全に自分の手から離れてしまったと朧気に思っていた。 そんな時に彼はやってきた。 そして淡々と抱いて欲しいと言い、躊躇いもなく服を脱いだ。 驚かなかった訳ではない。 だが、オレとて少なからず、開いていくアキラとの距離を惜しんでいた時だったのだ・・・。 オレはゆっくりと裸のアキラに近づいた。 いくら大人びたとは言え、こういった類の駆け引きとなると彼は赤子と同じだ。 指先が、声が、震えているじゃないか。 それでも、平気な顔をしていた。 何食わぬ表情で、オレに他に女がいるのも知っているし、構わない、 大人の付き合いをして貰えないか、と言った。 自分で気付いているのかいないのか。 話の内容とは裏腹にうわずった声、かすれた言葉。 実際に肌に触れてみるとびくりと震え、 手首を掴むと物凄い早さで脈が打っていた。 やはり少年なのだな、と残酷に思った。 そんなアキラに、 オレは甘えた。 先生。 オレは、貴方の手中の珠を手に入れましたよ。 ご存知無いでしょう? まだまだ取るに足らぬ若造だと思っているでしょう? でもオレは、貴方の命脈を握っているんですよ。 その気になればいくらでも貴方の息の根を止める事が出来るんですよ? アキラの肉体は細くしなやかで、女とは違ったが抱き心地は悪くなかった。 付き合ってみて感心したが、彼の作法は完全にオレの好みだった。 さすが「知り尽くした相手」だけの事はある。 女とではこうは行かない。 女はすぐにこちらの仕事を忘れる。 そしてアキラの若さは、遊び慣れた女と違って自らに浮わつきを許さなかった。 アキラを手に入れたオレは、彼と進藤の対局を見ても以前ほど感情がざわつかせる必要がなくなった。 こんなに都合のいい相手は、いない。 そしてオレはそれをお互い様だと思っていた。 だから、塔矢アキラが疎ましかった訳ではないのだ。 そこまで深入りして来なければ。 12の頃から少しづつ少しづつ入念に塗り固められ、厚さと完成度を増していた仮面は、 オレのベッドの上であっさりと外された。 甘えた声を上げ、縋り付いて来る様は、幼稚園時代と何も変わらなかった。 訴える羞恥も苦痛も、オレには媚態にしか見えなかった。 それでも一歩部屋から出た途端にプロ棋士の顔を取り戻していた頃はそれが天晴れで、 一人の女となかなか続かないオレでも、アキラとなら上手く行くかも知れない・・・ 一時は本気でそう思ったほどだった。 だが 実はそれも気付かないほどのじわじわとした速度で、崩れつつあったのだ。 オレのネクタイに触れたのは、本当に結び目が歪んでいたからだと信じていたが。 最中に女の感触を尋ねて来たのは単純な好奇心だと思っていたが。 棋院で出会ったときに熱っぽく見つめるのは、オレの手に何か言いたいことが あるからだと思っていたが・・・・・・。 後から思えば、それは「身近な少年」「棋士仲間」の領域を、 僅かに、僅かにズレた綻びだった。 そしてその綻びは綻びを呼んでどんどんエスカレートし、 「ひとりでいたい時は干渉しない、仕事場では絶対に触れない」 そんな簡単なルールすら守れなくなるようでは先が見えたようなものだ・・・。 決定的だったのは、アキラの噛み千切られた爪を見た時だった。 幼い頃、爪を噛む癖をやめろと何度も注意した。 だが、止まなかった。 そのくせオレが言うのを止めた途端にぴたりと直った。 多少不思議に思いながらも忘れていたが十年ぶりに癖の復活を見て、 その意味が、分かってしまったのだ・・・。 ゾッとした。 アキラは、子どもだ。 クールに大人のお付き合いをしましょうよ、と言いながら、 オレが拒めば剃刀で手首を切るのではないか、そう思わせる 冥い目を、していた。 そんなアキラが鬱陶しかった。 子守は御免だった・・・! ――水ノ蘇州ノ 花散ル春ヲ 惜シムカ 柳ガススリ泣ク・・・ 「何だそれは。」 聞き取れぬ程小さな声で呟かれたのは、朧に聞いた事のあるような、 恐ろしく古風な詩。 気を取られて顔を上げると、先程の煙草がいつのまにか燃え進んで2/3程灰になっていた。 幼い頃からのアキラを少し思い出していただけなのに、 その間に1/3程が煙になってしまったらしい。 ベッドに横たわったままアキラはくす、と笑った。 「緒方さんでも知らない事があるんだね。」 「当たり前だ。」 「教えてくれた、人がいるんだ。」 全く答えになっていない。 だがそんな古い歌を知っているということは、きっとオレよりもずっと年上で 物事に通じている人間なのだろう。 その人物がアキラをどう思っているかは知らないが、 自分にはオレ以外にもそういった人間がいるのだと、 だから大丈夫だと、心配しなくていいと、 そう訴えているようで。 いじらしい、とでも思って欲しいのか。 などとぼんやりと考えながら指を口元に運ぶ。 必要悪。 この味も煙も美味いと思っている訳ではないのは本当だ。 だが。 アキラの好きな匂いなのだな。 そう思いながら、最後の一服を吸い込んだ。 微笑んだままのアキラの目尻からは、水が溢れている。 もう片方の目からも溢れて鼻梁を横切り、反対側の頬に流れて 広がった髪の中へ消えていく。 それでも水は溢れる。 溢れ続けている。 ベッドに投げ出した身体。 打ち捨てられた柳の枝のように流涙するアキラを見た瞬間不意に オレは確かに彼を愛していたのだと、 初めて気付いた。 −了− ※80000ニアピン伊東アルミニウムさんに捧げます。 リクは 緒方さん塔矢くんで、ひとつ。馴れ初めと、別れを。 緒方さんのオトナのずるさ卑怯さ弱さを堪能させてください。自分でもちょっとずるいなあこれは、 って思っていながらずるいことをしていて自分のずるさに打ちのめされているような緒方さんが見たいの。 です。 シマちゃんちに掲載されているアルミさんの能楽集シリーズの「羽衣」、 その下書きを拝読して、そこに出てくるオガアキ、という設定で書かせて頂きました。 既に設定されているキャラを自分なりに掘り下げさせて頂く作業は、凄く楽しかったですv ん〜最後の瞬間に打ちのめされてる感じにしたかったんですが・・・そうでもないか。 タイトルも能楽集真似っこで「邯鄲」。でも能の「邯鄲」とはあまり関係ありません(笑) 「一炊の夢」ならぬ「一吸の夢」という感じで。 どうでしょう、こんなんで良かったでしょうか? 79999、80001踏んで下さって、リク下さってありがとうございました! |
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