続・コインロッカー (前編)
続・コインロッカー (前編)








決めた

5月31日


潔癖に切りそろえられた髪。
白く細い指先。

そういうのがオレの好みなんだと思っていたけれど、
そんな物より、碁に対するひたむきな態度が好きなのだと最近気づいた。

いつか、誰かさんに似ているとか思った事があるが、そんな事ない。

最初から、彼こそがオレの運命だったんだ。

最初は自分でもおかしいと思った。
何で男を、しかもあんな男を?

それでもやはり。

姿かたちなんか関係ない。
美しいのは、その精神だ。

勿論、プロ棋士はプロである以上、碁に真剣に向き合うのは当たり前だが
彼はその中でも格別だ。
恵まれた家庭のお陰で、幼い頃から英才教育を受けてきた。
同世代では向かう所敵なし、時には傲慢にもなっただろう。

そんな小さな王様が、ある時負ける。

オレがその時の噂を聞いたのは後からだけれど
彼はそれで潰れるんじゃないかと、何の感慨もなく思った。

でも、彼は見事にそれを乗り越えて見せた。

……その時からかも知れない。
彼を目で追うようになったのは。

「伊角さん?」

怪訝に顰められた眉。

きっとオレなんか、眼中にないんだろうな。
自分より年上で、自分より遅くプロになったオレなんて。

でもオレは、オマエを手に入れる。
華奢だから、きっと純白のドレスが良く似合う。

スケジュール帳を見たら、丁度来週、若手棋士中心の飲み会があった。


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負けた

5月30日


昨日は五分五分、いやそれ以上に勝っていた局面。

今日も調子は悪くなかったのに……気づけば進藤にひっくり返されていた。

「……本当に、強くなったんだな」

と言ったら、

「ああ。オレ、強くなったよ。塔矢のライバルなんだから」

と返された。

塔矢が雲の上の人だった頃から、繰り返し聞いた言葉。
無茶な事でも言い続ければいつか叶うんじゃないかなんて、
勘違いしてしまいそうになるけれど、やはり進藤の才能あってこそだろう。

『塔矢は、ライバル』

本当に、ただのライバルか?

聞きたい言葉を飲み込んで、オレは「ありがとうございました」と一礼した。


昨日は……いや、棋院で塔矢が倒れた日から、ほとんど寝ていない。
寝ずに考え続けていた。

塔矢の事。
進藤の事。

……塔矢と、進藤の二人が過ごしたであろう時間の事。

考え続けて……嫌になった。

オレはきっと、大きな物を失ったのだと思う。

逃した獲物が大きい訳じゃないが、喪失感がないでもない。
だが、自分でも意外に思ったが、思ったほど落ち込んでいない。

正直他人の手垢がついた物には興味が持てない。
運命じゃなかったんだと、思う。

代わりは……、いる。
オレが本当に手に入れるべきは。


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考えた

5月29日


今日二回目の日記。

進藤との勝負なので時間は掛からないと思ったが、進藤は散々考え
結局碁会所の閉店時間になってしまった。
時間切れで勝負なしか、自分の負けを宣言するかと思ったが、

「封じ手良いですか?」

といつにない、他人行儀な口調で聞いてきた。
公式でない、プライベートの対局でそんな事をするなんて聞いた事ない。
この勝負に、余程気合が入っているらしい。
こんな事なら対局時計を使えば良かった。

了承したが、家に帰っても眠れなかった。

悪い局面ではなかった……きっと勝てるだろう。
だが、あそこまで進藤を突き動かすもの。

あの日、塔矢と進藤は、一体何を話し、どうしたのだろう?

あの、塔矢が倒れた日。
その後の、塔矢の観察を怠った、たった二日間。

塔矢が……進藤に心を奪われるのに、二日では無理だと思うが……。

いや、十分だろうか?


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挑まれた

5月29日


あれからどうなったのか気になっていたが、二日ほど中国の友人に付き合い
あまり家にも帰れずにいた。
やっと解放された丁度その時、進藤に呼び出され、碁の勝負を挑まれた。

「オレをプロの世界に引き戻してくれたのは伊角さんなんだ。
 だからその事にはとても感謝している。けれど」

真剣な目で言っていた。

何故か、やっぱりな、と思った。

オレはやっぱりコイツを嫌いになれない。
むしろ、塔矢の事がなければ和谷と同じくらい好きだと思う。

塔矢の視線の先に、常に進藤がいると気づいた時。
嫉妬で気が狂いそうになった。

塔矢が、進藤なんか関係ない、好きでも何でもない、そう言った時。
その必死さと眼差しから、本当に進藤が好きなんだと、
下手したら恋をしているのかも知れないと思った時。

気が、狂った。
塔矢はオレのものだオレのものだオレのものだ

「オレが勝ったら、それ頂戴」

進藤が指差す先の銀色の光に、目をやると自然と頷いたような形になった。


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塔矢が倒れた

5月26日


また、棋院で塔矢と進藤が話しているのを見た。
咄嗟に角に隠れて見ていると、塔矢の顔色が悪いのを、進藤が
心配しているようだった。

進藤は、本当に忌々しい。
誰に対してもそうだから悪気はないとは思うのだが、人の想い人に対して
あんなに馴れ馴れしいのは、良い態度ではないだろう。

塔矢の顔色が悪いのは、しばらくオレとすれ違いの生活をしているからだ。
彼も健全な男子、いい加減欲求不満なのだろう。

その内、進藤が背中のリュックのポケットから、見覚えのある青いレースの輪を取り出した。
オレは、今までの苛々も忘れて思わず笑い出しそうになる。

「そうだ、こないだこれ貰ったんだけど、何か分からないけど良い事があるんだってさ」

進藤……やっぱり人の話聞いてなかったな?
あいつに掛かると神聖なサムシングブルーも、怪しげなお守りと同じ扱いだ。

「おまえにやるよ」

塔矢は、差し出されたそれを見てますます青ざめた。
進藤にやると宣言しておいた筈だが、本気にしていなかったのだろうか。

「これは……ガーターベルトだ」
「へ?」
「欧米で……結婚式で花嫁が着けて、それを花婿が手を使わず口だけで取る。
 それを貰った友人は、次に良い縁があるらしい……」
「へー。じゃあ伊角さんが花婿に貰ったって事だよな。
 ならオレが持ってても仕方ないじゃん?」

進藤は輪を、人差し指でくるくる回しながら、少しにやけた顔になっている。
このガーターベルトを太腿に着けていた花嫁の事を想像しているのだろう。

だがそれは、おまえの目の前の、美しい男だよ。

そう言って大笑いしたくなったが、突然塔矢がふらりと壁に寄りかかった。
思わず陰から飛び出そうとしたその時、進藤が肩を支える。

「ちょっと!顔色!」

そんな事を言いながら、逃げるようにトイレに向かう塔矢をしつこく
追いかける。
やがて、塔矢はトイレに駆け込んで、洗面所に向かってげえげえと
吐くような音が聞こえた。

本当はすぐに飛び込みたかったが。

そんな塔矢を見て進藤がどうするか、塔矢は進藤にどう対応するか、
確かめてみたいという意地悪な気持ちも湧いて、ドアの外で聞き耳を立てる。

塔矢はひたすら「大丈夫だから大丈夫だから」と繰り返していたが
進藤が「大丈夫じゃねーだろ!」と大声でキレている。
自分の妻が怒鳴られているのだ、さすがに踏み込もうと思った所で
突然目の前のドアが開いた。

目を見開いた塔矢が、膝から崩れ落ちる。

オレは笑顔を消して塔矢を助け起こすと進藤も塔矢の手を引いた。

「伊角さん、いたんだ?」
「ああ、何か入りにくくて」
「ちょっとコイツ調子悪くて。最近体調良くないみたいなんだ」
「らしいね」

進藤よりオレの方がはるかに長時間塔矢を観察している。
そんな事を言われる謂れはない。

だがそんな苛立ちはおくびにも出さず、オレは塔矢の腕を取った。

「ソファで休む?病院に行くなら付き添うけど」
「伊角さん、いいってー。行くならオレ行くし」
「いや、進藤こそいいよ」
「今日棋院に来たのって、楊海さん達が来日したからでしょ?
 多分もう対局室で待ってるよ」

そうだった……中国に修行に行った時、世話になった人達が来ているから
オレも会いたいだろうと呼んでくれたんだった。
確かに、会いたいし対局もしたい。
だが、最近の調子が悪いオレでは……それにこんな塔矢を放っては、

「ここは良いから。伊角さんは行っていいよ」

はらわたが煮えくり返るようだったが、これ以上粘れば
騒ぎになりそうだった。
オレは、思いを残しながら事務室へ向かった。

塔矢と、進藤はあれからどうしただろう。
まさか。


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また見た

5月23日


今日塔矢は休日だったが、本屋に出掛けた。
正直そんな暇があるのならオレに会って欲しいが、短時間だけ会うと
余計に辛くなるのかも知れない。

なのに、見ていると、またしても進藤が。
偶然を装っていたが、オレにはわかる。
進藤は、塔矢を待ち伏せしていたんだ。

塔矢は迷惑そうにしていたが、進藤は構わず話かける。
その後、進藤は塔矢の左手の指輪に気づいて、何か揶揄ったようだった。
塔矢は、また小声で生真面目に答えていた。

進藤と別れた塔矢がこちらに向かってきた所で、柱の陰から腕を取る。
急に影に引き込まれてそこにオレを見つけて、塔矢は笑顔を見せるかと思ったが
笑わなかった。

「来て、たんですか」
「オレはいつもキミを見てるって言っただろ?」

やはり塔矢は笑わない。
よく見ると、心なしか震えているようだった。
体調が悪いのか?

進藤は塔矢の指輪を見て、彼女が出来たのかと冷やかしたらしい。
塔矢は違うとシンプルに答えたそうだ。

「本当の事、言ってもいいんじゃない?」

そう言って、揃いの指輪が填まった手で塔矢の指を取り、結婚指輪にキスをすると
塔矢は恥ずかしいのか、俯いて睫毛を震わせた。


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