進藤ヒカルを、自分の物にしたい。


棋士なら誰でも一度はそう思ったことがあるのではないだろうか。
かと言ってオレは自分に妙な趣味があるとは思わないが。

進藤は若手のプロ棋士の中では非常に特殊なタイプだ。

十代で碁のプロになる程の人間というのは、まず物心ついた頃から碁石を握っているし
小学校時代、中学校時代、普通の子どもなら友人と遊び回りたい盛りの時期を
碁の勉強をして過ごして来ている。
加えて真面目な人間も多いので、学校の勉強を疎かにすることも出来ず
結局殆ど遊びらしい遊びをせずに育った者が多い。

そしてそれ程の者でなければなかなかプロにはなれないのだ。
故に様々な経歴の持ち主がいるプロ棋士とは言え、世間から見ればどうしても
言うに言われぬ共通項で括られた雰囲気を多かれ少なかれ醸しだしている。

ところが進藤ヒカルには、それが、薄い。
棋士以外の人間と接触した時に偶に感じる、子ども時代に気まぐれな興味を抑えず
やりたい遊びをやりたいだけやって来た者特有の大らかさを持っているのだ。

かと言ってそういう部分だけなら羨む事も何もないし、いい年をして
定職に就かないでぶらぶらしている若者になら、よく見られる物だ。

特筆すべきは、それでも囲碁が、並外れて強い事。

いくら大らかでも、碁が弱ければ、打てなければ、意味がないのだ。
別世界の人間に過ぎないのだ。

自分たちがこの世界に入るために捨ててきた物、それを持ったまま
同じ位置に立っている。いや、むしろ先頭近くを走っている。
こんな男は、他には・・・倉田ぐらいしかいないのではないか。

それが進藤ヒカルの特殊性であり、天才と言われる所以である。
無意識にでもそのおこぼれに預かりたくて、男達は進藤に群がるのだ・・・。






喫煙所で煙草を取り出すと、ロビーの方を数人の棋士が歩いて行く。
その中心にいるのが、進藤ヒカル。
彼の周囲はいつも賑やかだ。
隣で肩に手を置いて馴れ馴れしく話しているのは・・・社会人から去年プロになった
門脇、か。

あいつもプロ棋士の中では少し特殊だが
「オレはオマエ達のような一芸バカとは違う、ちゃんと世間も遊びも知っている」
といかにも言いたげな所がいやらしい。
しかもその上、実は囲碁一筋です、と顔に書いてあって、恐らく本人が
周囲に思わせたい程も遊んでいないのだろう。
その証拠が、あの進藤に対する執着ぶりだというのは皮肉だ。

反対側にいる髪がぴんぴん跳ねた少年も、何か似たようなものを感じる。
まあ院生時代から進藤とよく一緒にいたので、門脇ほどではないが。

進藤の後ろ側には、確か全勝でプロになって桑原にも勝った青年や、
近年では最年少でプロになった刈り上げの少年がいた。
二人とも服を選ぶ暇も惜しんで囲碁に賭けてきた、というのを隠そうともしないタイプで、
その潔さに却って好感が湧く。

彼等は進藤と同種の人間になりたがっている訳ではなく、
単純に奴から醸しだされる新鮮な空気に触れていたいだけなのだろう。


そう、進藤からは、いつも新しい風が吹いている。
その風を、自分の物にしたい。

棋士なら誰でも一度はそう思ったことがあるのではないだろうか。





その時、進藤の少し高い声がした。
塔矢アキラが玄関から入ってきて、一団とすれ違ったらしい。
見ると進藤が少し手を上げて、アキラも軽く頷いている。

二人の接触はそれだけで、進藤は何事もなかったように外に出ていき、
アキラも振り向きもせずこちらの方向に歩いて来た。

だが。
オレには見える。
アキラが心の中で何度も何度も振り返り、意識は進藤を追っているのが。

先程の、棋士に特有の雰囲気があるとすればそれを一番色濃く身にまとっているのが
塔矢アキラだ。
彼は自分が一芸バカである事を否定しない。
幼い頃から全てを囲碁に捧げ、誰よりも努力をして今の場所に立っている事を
誇りに思っている。

しかしだからこそ、彼は誰よりも、進藤に惹かれるのだ。

二人がよく碁会所で打っているのをオレは知っている。
それはアキラが進藤の力を認めていなければないことだし、
よいライバルだというのも嘘ではないだろう。

だが、アキラは進藤の碁に執着している振りをしながら、
実はそれ以外の部分、彼の風にも惹かれている事に一体何人が気付いているだろうか。

もし進藤がアキラと同種の人間であったなら。
幼い頃から碁漬けで来た人間であったなら、今ほどの関係があるのかどうか。





「緒方さん。」

「ああ、アキラくんか。」

「こんにちは。今日は・・・、」

「取材だけだよ。今度の王座の。」

「そうでしたか。」


にこやかに、アキラの意識はようやくその持ち主の体に戻る。
オレは少し意地の悪い気持ちになる。


「ところで、進藤を見なかったか。」

「え・・・?」


微笑みながら張りつめる神経。
気付かれないように、水面下で纏う鎧。


「・・・どうしてですか?」

「いや最近見ないものでな。今年も北斗杯の予選が近いだろう。」

「そうですね・・・。でも、さあ・・・。ボクも最近は。」


・・・失敗したな、アキラくん。
違う門下でありながら碁会所で会っている時ならともかく、
何故棋院ですれ違った事まで隠さねばならない?
ここからオレが見ていた可能性に気付かなかったのか?

アキラは何かに思い至ったのか急に表情を消し、少し唐突とも思えるタイミングで
「失礼します。」と頭を下げて去っていった。





アキラは極端な人間だ。
いつも穏やかな表情で、落ち込んだ顔など見せないのであまり知られていないが。

欲しい物は全て手に入れたい。
必要ない物には一切関心を示さない。
中途半場で満足するという事がない。

オール・オア・ナッシング。

彼が子どもの頃は、碁で躓く事があったら一切碁をやめてしまうのではないかと
門下の人間は内心心配していた。
さすがに最近はそれはないと思えるようになったが。

「アキラに惚れられた女の子は大変だね。絶対結婚するか、そうでなければ殺されるか。」
芦原が冗談めかして言った事もあったが、あながち有り得ない話とも思えず
笑えなかったものだ。

そんな偏った人間だからこそ現在があるし、それがある意味彼の「天才」でもある。
どんな世界でも一流と言われる人間には多かれ少なかれ偏執狂的な完璧志向があると思われるし
自分にもそういう所がないでもないので否定はしないが。



先日、アキラが一人で留守番をしている筈の塔矢家に立ち寄った事があった。
元名人に前々から頼まれていた土産を、早めに届けておこうと思ったのだ。

勝手知ったる気安さでインタホンも鳴らさずに門を入り、玄関に到るまでの飛び石。
踏みしめながら何気なく庭の方を見たら・・・。

庭に面した縁側のガラス戸の向こうに、進藤の首と手首があった。

正確に言うと半分程開いた障子の中から廊下へ、仰向きに寝転がったまま
乗り出していたのだ。
片手は頭の横に力無く置かれ、少し見える肩も剥き出しなのが分かった。
少なくとも上半身裸なのだろうか、虚ろに開かれたガラスのような目は青い空を映していて
・・・恐ろしい、光景だった。

そのまま叫びだして飛び込まなかったのは、その髪が、ゆらゆらと揺れていたから。

手首も、首も、髪も、リズミカルに律動している。
いや、あの異様な動きから見て、恐らく自分で動いているのではなく、誰かに動かされている。

障子の内側にいるのは、進藤を動かしているのは、アキラだ。
瞬時に確信した。

やったか・・・。
遂にアキラは、進藤の全てを手に入れてしまったのか。

首の表情から一瞬、「屍姦」という言葉も過ぎってぞっとしたが、
やがて進藤の手が、ヒク、と動いてその目がきつく閉じられ、
背中が反り返ったのを見て、オレはそのまま踵を返した。





それ以来、オレはそれとなく進藤とアキラを観察していた。
意外にも二人に表面上の変化はなく、あれは合意での事だったのかと
胸を撫で下ろすと共に、少し残念にも思う自分がいる。

その残念に思う部分に、進藤の体が誰かの物になったというのを
惜しむ気持ちがないとは言わない。

だがしかし、もっと大きいのは、アキラが何かを失う所を見てみたい、という
残酷な気持ちだった。

幼い頃から、囲碁の上達以外何も望まなかったアキラ。
そしてそれを順調に手に入れたアキラ。
やがて進藤というライバルが現れ、欲し、失いかけたが結局手に入れた。

失うことを知らないアキラから、もし一番大切な物を奪ったら、一体どうなるだろうか?

死にものぐるいで奪い返すかも知れない。
あるいは、進藤に関する興味を一切失って、碁に没頭するかも知れない。
進藤の顔を見るのを厭うあまり、塔矢先生のように外国に行ってしまうかも知れない。

あるいは、碁までやめてしまうだろうか。

もしそうなら、それまでの男だ。





「進藤。」

「あ、緒方先生。お久しぶりです。」

「ああ。最近どうだ。」

「すっげー調子いいですよ。このまま行けば北斗杯も楽勝!」

「ほう、言ったな。楽しみにしているぞ。」


天真爛漫に笑う顔は、塔矢家の廊下で揺れていた首とは別人のようだ。


「そうだ、今晩の夕食の予定が空いたんだが、お前来ないか。」

「え、いいの?オレもすっぽかされてさー。」

「丁度いい。偶には話をするのも悪くないだろう。」


進藤の笑顔が、止まった。
目が、変わる。
だが口元には笑いを貼り付かせたまま、いや、一層両端を持ち上げて


「へえ・・・。オレもね、緒方先生と、話したかったんだ。」


進藤が去るのを待って、オレはごくりと喉を鳴らした。






仕事を終えて、駐車場に行くと既にオレの車に凭れて進藤が居た。
若造相手に特に気取る事もないか、と独り言めかして言いながらキーを回し、
オレは進藤を自分のマンションに連れ帰った。


「何を取る。鰻でいいか。」

「うわ、大好き!やったぁ!」


子どものように、跳ねる。
苦笑いをしながら電話をして鰻重と肝の出前を頼み、日本酒を出す。






「・・・最近ね、やっと分かったんです。なんで高永夏に負けたのか。」

「ほう。」


少ししか酒を注がなかったのに、もう頬を赤くした進藤の話は、先程から
脱線気味だ。


「それはね、オレが弱かったから。」


・・・やはり酔っているのか。


「弱いってどういう事か分かります?」

「さあ。」

「強い者に殺されて死ぬって事なんすよ。」

「・・・。」

「でも強くなれるって事でもあってね。」

「・・・。」

「オレこないだ本気の森下センセに勝ってねぇ。」

「ほう。」

「ホントだよ?だって悔しがってたもん。絶対あれ本気だよ。」

「そうか。」

「高永夏はね〜、高飛車なんだよ、碁も。」

「ふむ。」

「ぜえったい、ぎゅって言わせてやる。叩きのめして泣かしてやるもんね。」

「なるほど。」

「桑原センセーって卑怯だよね〜。」

「・・・。」

「心理戦だって後で言われた。」

「まあな。」

「和谷なんて、桑原先生は棋譜見るよりも、本人見た方が得るものがあるって。」

「・・・。」

「生意気だよな〜。」

「・・・。」

「オレもな。はははははっ!」

「ははは。」

「でさぁ。」

「何だ。」


「どーして塔矢に、女の人紹介したの?」

「・・・・・・。」


・・・話の途中から甘えるようにオレに寄りかかっていた体が、更に重くなる。

知っていたのか、と驚かなくもないが、予想外という程でもなく、オレはまた酒を干した。
そして何も言わずにいればまた別の話になるのではないかと待ってみたが、
進藤は答えを促すように、沈黙を守り続けた。


「・・・別に。紹介してくれと頼まれたからだ。」

「へえ〜。」

「ああ見えてアキラくんは女性に相当人気があるからな、
 世話になっている人のお嬢さんに、前々からどうしてもと頼まれていて。」


くそっ。どうして今日はこんなに饒舌なんだ。オレの口は。
言わなくていい事は言わなくていいんだ。


「そうなんだー、じゃあ、今日オレをご飯に誘ってくれたのも、偶然なんだ?」

「・・・ああ。」

「今頃塔矢は、その女の人とご飯食べてるかな?」

「・・・。」

「ふふふっ。オレをすっぽかしたのはね、塔矢なの。」

「・・・。」

「知ってると思うけど。」



ぽと。

と手首が、オレの太股の上に落ちてくる。



「ねぇ。どうして?」

「・・・・・・。」

「オレの推理を聞かせようか。」


酔って。
さっきの脈絡のなさ。


「無理だよ。」

「?」

「女で塔矢を釣ろうなんて、無駄だよ。」

「・・・・・・。」

「あいつ、また強くなったよね。」

「・・・ああ。」

「何でだと思う?」

「さあ。精進しているんだろう。」

「ふふふっ。精進、か。」

「・・・・・・。」

「それに、妙に色気が出てきたと思わない?」


・・・それは、お前だ。進藤。
少年にあまり相応しくない言葉だと思っていたが、
お前から吹いてくる風は、新鮮だけれどどこか、熟れた果実の甘い匂いがするのだ。

先程太股に落ちた手首が蠢き、蜘蛛のように指で這いながらシャツをよじ登る。
ネクタイの結び目に達した指は、結び目をこじてゆるめ、首の中に侵入しようとする。


オレはその手首を掴み、驚いた顔をする進藤を押し倒し、指を口に含んだ。





・・・チャンランラララ〜チャンチャン〜♪


急に、この場に相応しくない酷く間抜けな電子音が流れ、驚いた。


「あ、先生、ちょっと待って。」


進藤が寝転がったままズボンの尻ポケットを探り、携帯電話を取り出す。
腰を突き出す仕草が少し卑猥だ。


チャンチャンチャンチャン・・・ピ。


「もしもし?・・・ああ。どうだった?
 ・・・・・・あそう。
 うん。・・・・・・いや、まだ。・・・うん、じゃ。」


見つめているとぱた、と電話を折り畳み「どいて。」と当たり前に言われたので
オレは体重をかけるのを止める。
進藤はひょい、とソファから立ち上がった。


「あ〜あ。負けちゃったじゃん。」

「・・・・・・。」

「何がって聞かないの?」

「・・・今の電話の相手は、アキラくんか。」

「ピンポーン。先生が下らない小細工するから、」

「・・・。」


「賭けたんだ。先生が雇った女の人を塔矢が振り切るのが早いか、
 オレが先生を落とすのが早いか。」


「・・・・・・。」

「先生・・・遅いよ。それとも、塔矢以外の男には反応しないの。」

「・・・・・・。」



・・・・・・・・・・・・・・・誤解を、解く意味もないし、その気も起こらない。

股間に伸ばして来る手をぱし、と払うと、進藤はふ、と笑って
さっきオレが口にした指を、手拭きを使ってゆっくりと拭った。


・・・トームートムトムにゃぁご〜・・・


突然脈絡もなく、さっきの間抜けなメロディの正体を思い出す。
確かアメリカの昔のアニメーションのテーマソングで、
猫が延々とネズミを追いかけているのだ。



「じゃあ、オレ行くけど。」

「・・・・・・。」

「もう塔矢に手出ししないでよね。あいつを抱いていいのは、オレだけなんだ。
 ・・・あいつは、オレの獲物だ。」


アキラが進藤を手に入れたのではなく。

進藤が、アキラの全てを、手に入れたのだったのか・・・。





目の前で舌なめずりをする猫からは、
相も変わらず正体の分からぬ風が吹いている。







−了−








※リクエスト

  @ ヒカル×アキラ
  A ヒカル、アイドル状態
  B ヒカアキだけど、周りはアキヒカだと思っている。
  G ヒカル自覚無し。
    狙われてるのはアキラだと思いこんでて、牽制をかけるつもりが、危険な目にあう。
    それをアキラに助けられるv

のボツ。暗い。






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