The Night has a thousand eyes  〜伊藤若冲『郡鶏図』





(宮内庁三の丸尚蔵館)







いつもなら、この人混みが鬱陶しいはずなのに、今日はなぜか周囲に人の気配が
あることが心強い。
昨日の塔矢からの電話は、いつもの塔矢らしくなく、ひどく取り乱していて
その不安がオレにまで伝染したのか、何やらワケのわからない恐怖と不安に
怯えていた。

いつもと様子の違う塔矢を一人で待たせておくのが心配で
オレにしては珍しく予定の時間より随分早めに待ち合わせ場所に到着した。
とにかく賑やかな処の方がいいだろう、という思いつきでここを指定したのだが、

こんな絵だったろうか。

たしか3,4日前に通り過ぎざまにチラっと見て、
あぁ、ニワトリが一杯いるな、なんて思っただけだったのに。
よく見ると、ニワトリが一杯、なんてもんじゃない。
まるで書き手が”空き”ができることを恐れているかのように
ひたすら、ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ・・・
画面全体が黒と白のニワトリの羽毛で埋め尽くされている。
そして、微妙に1羽1羽、表情もポーズも違っているニワトリ達が、
異様に爛々とした目でオレを見ている。
なんでそんな目でオレを見るんだ?
まるでオレが非難されてるようだ。
オレが何かしたのだろうか?
オレにどうしてほしいんだ?


・・・見つめるだけじゃなく、何か言ってくれ!
黙ってたら、わかんねーだろ!
どうしてほしいか、言ってくれ!でないと、
オレ、おれ、バカだから、わかんねぇよ・・・

そうだよ、ホントは聞こえてたよ。
不忍池のほとりで塔矢がいったこと。
だけど、じゃあ、どうすりゃよかったんだよ。
手に入れて、また、失う恐怖に怯えて過ごすのかよ。
また、無くすんじゃないかって、自分のせいで無くしてしまうんじゃないかって。
そんなの、もうごめんだ、耐えられない。

あぁ、ひどく嫌な感じがする。
手がぬるりと汗ですべり、あやうく持っていた携帯を落としそうになる。
携帯、そうだ塔矢を待ってたんだ。

おかしい、時間には厳しい塔矢がまだ来ないなんて。

じわり、とした不安が胸に広がる。

悪い考えをふりはらうように、俯いていた頭をあげる。
と、意識して見ないようにしていたニワトリと、また真正面から
目が合ってしまう。
もう視線がはずせない。

無数の鶏の目が、こちらを睨み返してくる。


オマエ達なんかたかが絵じゃねぇか!

見るために描かれた絵なんだろ!
なのに、なんで、そんな、見られることを憎悪するかのような視線で
見つめ返してくるんだ。


無数の目。
無限の黒と白。


見ている。
見られている。


こいつらが見すかしているのはオレの本心。
同じ過ちを犯すかもしれない、という恐怖と
それでも塔矢が欲しい、というワガママな欲望。
オレがオレ自身に封印してきた、欲望。


「進藤!」

聞き慣れた声がオレの思考を中断した。
まるで今まで息をするのも忘れて、おかしな妄想にとりつかれてたようだ。
急に呼吸がラクになった気がする。

「・・・塔矢」

「昨日は、変な電話をしてすまなかった。
 少しどうかしていたんだ。」

「塔矢、オレ」

「なんだ?進藤」

「・・・焼き鳥喰いてぇ。」

「は?」

「いやぁ、なんかトリの絵見てたら無性にハラ減ってさぁ〜
 な、いまから、喰いにいこうぜ!」

すがるような気持ちで塔矢の手を、とる。
少し震える手の振動を恥ずかしいと思う余裕すら、ない。


塔矢の掌から体温が流れ込んでくる。
感じるはずの無い鼓動までが聞こえるようだ。

トク、トク、トク、オレの鼓動と塔矢の鼓動。
きっと同じリズムで時間を刻んでいるに違いない。

塔矢の瞳をみつめる。黒曜石のような漆黒の瞳。
そこに映っているは、オレ。

「進藤・・・」

再び、塔矢の声によって、ひとりよがりの思考から引き戻される。
そうだ、この声。
いつもオレを呼んでくれるのは、この声だ。
アイツの優しい声を忘れることはない、けど、
オレと一緒に歩いていくのは、今ここにいる、塔矢だ。
オレは自分の気持ちが、友情なのか恋愛なのか、よくわからない。
けど、オレと供に進むのは、この塔矢しかいないんだ。

「塔矢、あ、ご、ごめんなー。
 オレ最近ちょっと疲れてんのかなー。
 なんか、この鶏の絵見てたら、なんかヘンな気分になちゃってさ。
 前の桑名の時もそうだけど、どうも絵がからむとおかしな感じになってさ。」

「あ、いや、ボクの方こそ、ふざけたハガキを送ったり、
 無理に展覧会に誘ったりして、悪かったよ。」

「え、あ、謝るなよ、その、それなりに楽しかったんだからな。」

「そういってもらえると、ボクも助かるよ。」

塔矢が軽く微笑む。

そうだ、楽しかったんだ。
あの骨董屋以来、なんだかんだいって、オレと塔矢は碁を打つ以外の
接点が、どんどん増えていって。
でもそれが凄く自然で。心地よくて。
二人で一緒に同じモノを見たり、聞いたりする、ただそれだけのことなのに
気がつくと、気分が高揚していて。
気がつくと、こんなふうに塔矢の手を握ってたりして。

そこで、やっと気づいた。
ここは天下の往来で、オレは必死の形相で塔矢の手を握ってて。
男同士でそれは、どうみてもちょっと普通ではない状態で。
今更のように通行人たちの何人かが、不審気な視線を投げていることに
気がついた。

あ。ヤバ、見られてる。

・・・でも、ま、いっか。

今つないだ掌から流れてくる塔矢の体温はまぎれもない本物・真実で。

そこに塔矢アキラがいるのなら、それでいいんだ。

そう思った瞬間、何から、解き放たれたような、清清しさが体中をかけめぐった。

オレと塔矢は、目線をからませて、微笑みあう。
こんなふうに、見詰め合える日がくるなんて、思っても見なかった。




ココロが自由になった途端、あることに思いついた。

「なあ、オマエ、モナ・リザのオリジナル、見せてくれるって、言ってたよな。
 わざわざ、ハガキまで買ったって。
 まだ、オレんとこに着いてないけど、ちゃんと送ってくれた?」

そういった瞬間、塔矢の微笑が固まった。
オレなんかまずいこと言った?




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あの、不可思議な期間は何かの通過儀礼だったのだろうか。


それ以降僕らは変な妄想につきまとわれることはなくなった。
絵を見ても、中の薄が揺れたり人物の顔が自分に見えたりする事はない。

同じくどうしようもなく不安になることもないし
目が離せなくなったり動悸が激しくなったりという事もなく
どんな絵も単なる絵として心穏やかに鑑賞する事が出来るようになった。
それは進藤といても同じだ。


しかしそれは少し寂しくもある事だった。
人生で、あんなにどきどきしながら絵画を見て、その世界に引き込まれる事は
二度とないだろう。
そう思うと軽い喪失感に似た何とも言えない感傷がある。

何にせよ絵を怖がらずに済むようになったのはありがたいが。



進藤の方は、あれは気のせいじゃなかったといつまでも言っていた。

  桑名で絵の中の池に落ちたんだ、オレホントにびしょぬれだったろ?

そんな事を言われても、多少は濡れていたかも知れないという程度しか思い出せないし
若冲のニワトリが一斉に睨んできたといっても、そうだろうね、そういう風に描かれているし、
としか言えない。
けれど、彼も不思議な体験をしていた事は間違いなさそうだ。

(僕は彼と同時期に同じ様な経験をしていたと知った時、それをこっそりと喜んだ。)


それにしても。
本当に、あれは何だったのだろう・・・。

そしてその体験を終え、恐れや不安が遠のくと共に僕達は何を失ったのだろう。

何を失い・・・何を得たのだろう。



進藤は、口には出さないが何か明確な答えを得たようだった。
以前僕がモナ・リザのようだと思った曖昧な微笑を浮かべることもなくなったし
「秀策」だけなく、他の古豪たちの棋譜もきっちり勉強し始めたらしい。

変わりゆく、進藤。

そして僕は・・・。







「塔矢ー!はよっす。」

「おはよう。」

「『モナ・リザ』は?」


対局場前の下駄箱。
あれ以来進藤が、偶に、しかししつこく忘れずモナ・リザの絵はがきの行方を
聞いて来るのには閉口する。
いっそ見せてやろうか。あの不可思議な期間の中にいた僕の痕跡を。
感情の迸るままに、殴り書いた筆跡を・・・。

そんな事をされたら困るのはキミだろうに、と思いながら眉を顰める。
進藤も、僕を真っ直ぐに見返してにへら、と変な笑いを浮かべた。


その時、靴をいれようとしていた進藤の手が止まった。

「あれ?」

「どうした?」

「あ、なあ塔矢、オレ、背が伸びたんじゃね?」

そうか?気が付かなかったが・・・。

「だってさ、前は上から2段目あたりがオレの目線だったのに
 今は、一番上を見下ろすほどだぜ。」

「そういわれてみれば、少し伸びたかな?
 ・・・それに、最近男っぽくなってきたしね。」

「そ、そ、そっか〜、へへ。
 そ、そういうオマエこそ、なんか肩幅少し広くなってねぇ?
 顔つきも、精悍っての、つまり、あの、その、か、かっこよくなってるぞ」

そんなことを言いながら進藤は少し頬を染めている。(カワイイ)
僕も照れながらも、くすぐったく思いながらも。
進藤の背がそんなに伸びていた事と、それに今まで気づかなかった事に少し驚いた。


そうか。伸びたのは、進藤だけじゃなくて僕もだったんだ。
二人とも背が高くなったから、今まで気づかなかったんだ・・・。


偶にはこうして立ち止まって、お互いの成長を確認して祝うのも悪くない。
そう思った。

そうしていればいつか。
いつか照れずに、あのモナリザの絵葉書を手渡せる日が来るかも知れないね。
ゆっくり待っていてくれ。
僕もキミが秘密を話してくれる日を気長に待っているから。

今はとにかく、碁を打ち続けていれば、お互いが側にいればそれでいいじゃないか。

時には大急ぎで、時にはゆっくりと、
でも、ずっと一緒に成長していこう。


僕が微笑むと、進藤も紅い顔のまま再び微笑んだ。






そんな僕達の傍らを和谷くんが青ざめた顔で通り過ぎた。

「何オマエらホメ殺しの応酬してんだよ。
 新手の盤外戦か?」

とつぶやきながら。

 






−了−






※最終回は飛燕担当ですがアキラパートに関しては少しだけキスケの筆も入りました。




あとがき


皆様こんにちは、「流星わるつ」の飛燕と申します。
この度はキスケさんからお声をかけて頂き
(調べたらコラボのお誘いを頂いてから約1年半経ってました(汗))
亀より遅い私のペースにつきあって頂いて、なんとかアプまでこぎつけました。
キスケさん、本当にありがとうございます。
ヒカ碁に出会って、初めて小説のようなものを書き始めて、
こうして憧れのキスケさんとコラボまでできて、私ってば本当に幸せ者です。
ヒカ碁とヒカ碁ファンの全ての方々に心から感謝したいです。

最後に私の好きな俳人永田耕衣の作品から一句

「妄想の足袋百間(ひゃっけん)を歩きけり」

百間でも二百間でも歩いて見せましょうぞ、ガンバレ腐女子〜!


・・・・・・・・・・・


皆様こんばんにゃ。「百虎」のキスケと申します。
プラトニックなリレー、お読みいただいてありがとうございました!
飛燕さん、いやもう、こちらこそお付き合い頂き大変嬉しかったです。
当時拙サイトで連載していたリレー小説のご感想を下さって(その節はありがとうございました)
何だか盛り上がってリレりましょうよという話になったのが昨日の事のよう。
…すみません。少し大げさでした。でも一年半すか!(笑)わぁ、感慨深い。

私こそ飛燕さんの文学系パラレルも極限まで切りつめた短編も憧れで、
少なからず影響を受けていると思いますですよ。
本当に、光栄でした。それに楽しかった〜v
毎回自分でもどう続くのか全く予想出来ない状態で送ってしまったのですが
そのレスポンスが常に堪らなくツボを押さえてらしたのです。さすが!

よろしければまた機会を見つけて是非何らかの形でコラボってやって下さいまし。
この度はありがとうございました!




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