なつやすみ8
なつやすみ8







それは、劇的でもなんでもなかった。
日常で、突然に起こった。



対局を終えて自宅に帰ると母がお茶を入れながら


「進藤さんのお母さんが電話下さったわよ。ヒカルさんの記憶が戻ったって。」


と、告げたのだ。

すぐに折り返し電話を入れたが、今日は一日病院で検査をしていたので
本人が疲れて寝てしまったらしい。

だから、次の日行くことにした。







翌日進藤の家を訪問すると、玄関がさっぱりしていた。
子ども向けのおもちゃが全て片付けられている。


そして、出迎えてくれたのは進藤自身。


「よっ!久しぶり!」


・・・ボクは、すぐに声が出なかった。
懐かしさのあまり、というか、自分でもよく分からないけれど、何か。


「どうした?」


キミが、あまりにも変わってしまったから。
いや、変わらなすぎるから・・・。






進藤の部屋も、玄関同様すっかり様相を変えていた。

恐らくこれが本来の姿なのであろうが、絵本や、かるたや、オモチャやクレヨンや、
そんな「子どもらしさ」を感じさせる物が、神経質なまでに取り払われている。
彼の母親がしたことであろう。
ようやく帰ってきた息子が、二度と過去の世界に戻ってしまわぬように。




「ホントに久しぶりだな。」

「・・・久しぶりと言っても、キミは記憶を失ってからの記憶がないんだろう?」

「うん。全く。」


やはり、覚えていないか。
・・・この、隙間風の吹くような、感情は何だろう。


「・・・じゃあ、昨日会ったようなものじゃないか。」

「ん〜、それはそうなんだけどね。何か長い夢を見てたみたいな感じがする。」

「長い夢を見ていたのは、」




ボクの方だ。

長い、長い夢。
もしかしたら、12歳でキミに初めて会った時からの時間に匹敵するほどの。


「・・・待たせたな。」


本当に長くて・・・・、辛くて、楽しかった。
6歳のキミと過ごした時間。

穏やかなキミの笑顔は、とても懐かしくて、
以前よりも大人びたような錯覚すらしてしまいそうだけど・・・。

顔を汚したまま無邪気に笑っていたキミ。
砂場で、腹筋が痛くなるほど大笑いしていたキミ。





人は、

人生で何度あれ程笑うだろう。
何度、あれ程の怒りを爆発させるだろう。
何度・・・あれ程までに、泣きじゃくるだろう。


たった2ヶ月で、ボクはそんなキミに、何度も会わせて貰った。


これから長い時間、きっとキミと過ごすけれど、
ボクは、次にいつ、あんなキミに、会えるだろう。


・・・会えることが、あるだろうか。


そして、

キミが、再びボクの涙を見ることが、あるだろうか。







「・・・・・・塔矢?」

「あ、ああ、すまない。何だった?」

「だからさ、母さんに聞いたけどほとんど毎日様子見に来てくれてたんだって?」

「うん、一応ね。」

「ははは。何だ。前よりよく会ってたんじゃん。記憶戻らない方が良かったかな。」

「・・・・・・。」

「まあ、『オレ』の意識がないんじゃしょうがねえけどな。」

「そう、だね。」

「取り敢えず一局、打つ?」

「うん。」







・・・久しぶりに進藤の強さを思い出した。
そうだ、これが本来の彼の碁。


「ダメだな・・・。やっぱり鈍ってるや。」

「そうでもないよ。記憶がない間もよく打ってたしね。」

「え。オレ、碁は覚えてたの?」

「ああ。不思議な事に。」

「へ〜。すげーな、オレ。」


髪を掻き上げる仕草は、懐かしく。
久しぶりに「検討」というものもして。

だが・・・途中反射的に2〜3手打った所に来て、首を傾げた。


「どうした?」

「いや、ここな。」

「うん。」

「オレ、何考えて打ってたんだろ。」

「悪い手じゃないよ。」

「そうなんだけどさ。」


・・・覚えてないんだよ。

6歳の進藤の碁を思い出して、心がざわめく。
まさか、戻った訳ではないだろうけれど。


「でも、6歳のガキじゃ全然オマエの相手にならなかっただろ?」

「そうでもない。」


確かに、ほとんどの場合そうだったが・・・。
あの、雀の命を賭けて挑んできた一局は。
もしかして、記憶を失う前も含めて今までの中で最強だったかも、知れない。

今のキミに、ボクに、あんな血を吐くような一局が打てるだろうか?


・・・でも、あの棋譜をキミの前に並べるのはもう少し、もう少しだけ待ってくれないか。
あと少しだけ、「彼」と居させてくれないか。







碁盤を片付けた進藤が、何気なくボクの手を引いた。


「・・・嫌だよ。」

「嫌じゃないだろ?」


なんだか、嫌だよ。
幾夜もキミを想って一人でしたけれど、
何だか、今は怖いよ。

それでもキミに押し倒されて唇を重ねられると、ボクは抵抗もできなくて。
固く目を瞑る。
目を開ければ、そこに「彼」の顔があるのが分かっているから。

あ。そうか・・・。
だから、怖いんだ。




進藤は舌でボクの口内を嬲りながら、同時に信じられないほどの器用さで
ボクのシャツのボタンを外していった。

・・・ああ、進藤だ。

進藤が、帰ってきた。


「進藤。」

「・・・ん。」

「進藤。」

「ここに居るよ・・・。」


耳元で囁く低い声。

幾度も喧嘩した。
突き放され、突き放し、
追い、追われ、
やっと二人の生きる道が交錯した時、
ただ碁を打っているだけで達してしまいそうな興奮を覚えた。

走馬燈のように駆けめぐる。


本当に。
本当に。


おかえり。

進藤。




「・・・進藤?」


ボクの後ろに手を這わせた進藤が、動きを止めて首を傾げた。
さっき、何を考えて打ったのか「覚えてない」と言ったのと同じ顔だ。


「いや、何だかさ・・・。今日は、入れないでおこうか。」

「何故だ?」

「何か、悪い気がして。」

「いいよ。」

「いつも嫌がってたじゃん。」

「キミは、したくないのか?」

「すげーしたい。」


笑えるほどに素直な物言い。
キミは、そんな所は昔も今も変わってないんだな。


「じゃあ・・・。ボクだって、欲しいよ・・・。」

「塔矢っ!」


がばっと覆い被さってきて、ぎゅうと抱きしめる。

今日は、甘やかして上げるよ。
だって久しぶりだ。

この貫かれる痛みも、
押し上げられる苦しさも、
懐かしくて嬉しくて。

すぐに快感に変わるよ・・・。










服を整えてから、進藤が久しぶりに庭に出たいと言いだした。

二人で小さな庭に降りると、そこまではまだ手が回らなかったのか、
あちらこちらに掘り返した跡が残っている。


「これ、オレがやったの?」

「そうだよ。」

「ホンットガキだな。」


足で乱暴に土を均して踏み固める。
でも・・・そんな風に、言わないでくれ。何も知らない癖に。

さっき進藤が帰ってきたのを喜んだばかりなのに、
彼に小さな怒りを覚える自分がいる。

でも、

成長するというのが、そんな風に誰かをないがしろに出来る事だというなら
成長なんてしなくていい。
碁が強くなっても、セックスが上手くなっても、
そんなの意味ない。

・・・って。
ボクは、一体どうしたんだ?




見回していた進藤が、やがて庭の隅の割り箸を立てた土の盛り上がりに目を付けた。


「アレ何?」

「・・・雀の、墓だよ。」

「雀?」

「うん。キミが拾って育てようとしたけれど死んでしまったんだ。」

「ふうん・・・。バッカじゃねーの。雀なんて飼えるはずないのに。」


ずかずかと、墓に向かう。




・・・やめてくれ。

やめてくれ。

それは、「彼」が泣きながら、

小さな魂が天国に行けるようにと祈りながら、

一生懸命掘ったんだ。

ピーちゃんが苦しくないようにと綿で枕まで作って、

そっと土を掛けたんだ。




進藤が墓の前に供えられた、枯れてしまった雑草の花を蹴り飛ばす。
油性ペンで墓碑銘の滲んだ割り箸を抜き取る。


ボクは、未だに16歳の進藤と6歳の進藤の間で揺れ動いていた。


16歳の進藤に従うなら、ただ見ていればいい。
死んだ雀の事なんか忘れてしまえばいい。
以前のボクなら、小動物の墓なんて目にも留めなかったし、
少しでも庭の景観を損ねるなら、今のキミより無造作にそれを壊そうとしただろう。

でも、ボクは、6歳の進藤と、その心に触れてしまったんだ。
小さな小さな命を、悼む事を覚えてしまったんだ・・・。

今すぐに止めたいと思う。
そして「彼」が如何にその雀を大事に思っていたか訴えて・・・
バカにされるのも、それも、いい。


それでもボクは立ちすくんだまま、動けない。
16歳と6歳の進藤、と言うよりは、6歳の進藤に出会う前の平穏だった自分と、
今の自分に引き裂かれている・・・。





しかしそうしている間に、進藤は抜いた割り箸で、墓の前に穴を掘り始めた。
そして、別の所から小さな花を持った雑草を引き抜き、その穴に植える。

最後に丁寧に割り箸を戻して、


墓の前で手を合わせた。




「・・・進藤。」

「こうしておけば枯れないだろ?」

「うん・・・。」





「何て顔してんだよ。」

「何か、変な顔をしているか?」

「・・・いや。ふふふっ。なあ、6歳のオレってどんなガキだった?」

「一言で説明できないよ。」

「その顔を見ると・・・もしかして惚れた?」


悪戯っぽく笑いながらボクの顔を覗き込む。
一体ボクはどんな顔をしているというのだろう。

でも、

そうかも知れない。
ボクは6歳のキミを好きになっていたのかも知れない。

だけど、ボクはきっと、

6歳のキミに出会っても、16歳のキミに出会っても、60歳のキミに出会っても

きっと好きになる。

きっと恋に落ちてしまう。


だから何歳のキミも、

いつも見ていたいよ。








「6歳のオレ、か。」

「・・・・・・。」

「どんな顔してこの墓掘ってたんだろな。」




   『あのね、オレがね、泣いたの、だれにもないしょな。』




それは、「彼」とボクとの、永遠の秘密だ。



遠くで夏の終わりを告げるひぐらしの声がした。
きっと、あの小さな思い出の公園だろうと、思った。





   ・・・ お城みたいなおうちをたててやるよ・・・。






−了−






※予想されたであろうオチ。
  ある意味死にネタ、かな。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送