個人教授 4 センター試験には絶対出ないような日本語までは網羅していないだろう。 などと、竜崎に一矢報いたくなった。 だが竜崎の目に予想された戸惑いの色は浮かばず、代わりに微かな険が立つ。 そしてそれが見取れたか否かという早さで唇がぶつけられた。 歯が当たって軽く切れた事を、抗議しようと開いた口にぬめった質量が、 一瞬舌だと気付かなかった程の質量が押し込まれる。 長い舌は僕の口の中で形を変え、ひらひらとひらめきながら 信じられない器用さで僕の頬の内側を、舌の付け根を歯列をなぶって行った。 ……上顎だの、歯茎だのに、こんなに感じる場所があるなんて。 これまで僕にとってキスとは、相手に対する合図や形式以上の物ではなかったが、 これは、ほとんど愛撫だ。 だって、キス一つで、こんなに。 僕ともあろう者が。 それも、竜崎のキスだぞ。 舌で、応えてしまいそうになったその瞬間を見極めたように、竜崎の顔が離れていく。 自分の息が荒い。 負け惜しみを言うのもみっともない程、太刀打ち出来ないキスだった。 「……こんなに芸のあるキスは、初めてだよ」 「お察しの通り私の日本語彙の中に『フデローシ』はありませんでしたが」 鼻と鼻がつく程、近くで僕の目を覗き込んで。 「文脈から意味は分かります。大人の男を舐めるもんじゃありません」 「……」 くそっ! 屈辱だ。大人の男だ? 確かに僕は愚かで、格好悪い子どもだった。 竜崎に敵愾心を燃やして、性的に僕が格上だと匂わせる発言をした挙げ句、 敗北を喫してしまった。 ……だが竜崎も、大人げがないだろう! 竜崎は、僕より年上なのは確かだろうが、何歳なんだろう。 二、三歳しか違わないようにも見える。 どんなに上でも十歳は……変わらないと思うけど。 世界一多忙な探偵でも、その年になれば恋愛もセックスもしたりするのだろうか。 あまり興味がなさそうだが。 いや、実際さっき男にも女にも興味がないと言っていた。 では、まさか重犯罪者と……? 「私に興味を持って頂けたようで嬉しいです。やはりキラはそうでなければ」 いちいち人の考えを読むのは止めて欲しい。 それにそれが出来るのなら、僕がキラじゃないという事も分かれ。 「僕はキラじゃないけれど、最初からおまえに興味津々じゃないか」 「そうでしたか?」 「世界一の名探偵に会う機会を得て、興味を持たずにいられる人間なんかいないよ」 「口が減りませんね」 話しながらも、長い指が僕のパジャマのボタンを外していく。 手先も器用らしい。 竜崎は僕をからかっている訳じゃない、本気なんだと分かったが 何故か先刻ほどの嫌悪感はなかった。 「で。夜神くんの推測する『名探偵のセックスライフ』はどのようなものですか?」 「今日までは、童貞かも知れないと思っていた。 下手したら性欲処理も時間の無駄と、去勢している可能性もあると思った」 年上に対して、無礼な内容だろうが竜崎なら気にしない。 彼をバカにする意図ではなく、本当に僕の個人的な予想だから。 「悪くない線です。髭を剃る時間は勿体ないので永久脱毛しています」 「そう言えば髭剃ってないね。『L』のトップシークレットを、知ってしまった」 「他言しないで下さいね。肉体関係を持つ相手だけへの贈り物として話しました」 軽口の中に、これから起こることを宣言されたのに腹も立たない。 シャツをはだけられて、肌に顔を寄せられても嫌な感じがしない。 その事が恐ろしい。 淡々と進む会話に、弛緩させられてしまっているのか。 それとも、信じられないが男のキス一つで自覚もなしに籠絡されてしまったのか、 この夜神月が。 「でも私は、童貞ではありません」 「キスも上手いしね」 「ありがとうございます」 「すると、『男にも女にも興味がない』『性には淡泊』という発言と矛盾するな」 「矛盾しません」 話しながら、軽く腰骨を押し上げて腰を上げるように促す。 あまりにも自然なので僕もつい腰を上げると、パジャマのパンツと下着が するりと脱がされた。 「じゃあ犯罪者と、やりまくったという可能性しか残らないね」 少し動揺して、先程考えたことを推敲もなく口から滑らせてしまう。 「良いですね、無駄な前置きがなくて。しかし犯罪者と寝るのはこれが初めてです」 「だから人と犯罪者扱いするなと、」 「降参ですか?」 「いや、まだだ」 性に興味がない、のにキスが上手い……多分その後も。 いや待てよ、「性に興味がない」とは言っていない。 男性にも女性にも、興味がない、と言っていた。 犯罪者に興奮するという事は、性欲はあるんだ。 「竜崎は、テニスは好きなの?」 我ながら唐突すぎる質問に、竜崎は驚きもせず目を細めた。 「いいえ、さほど。好奇心で習いました」 「なるほど。そういう事か」 「さすが回転が速いですね」 ……好奇心。ただの知識欲。 確かに探偵として、誰もが知っていることを知らなければ、 当たり前の事実を見落とす等、不都合が起こる可能性がある。 だから。 「習ったんだね」 「昔ですが。キスはどちらかというと得意科目です。 パリの男娼の中に於いてもトップクラスの偏差値だそうです」 「自慢出来ないね……まさか、こんな事を習う奴がいるとは思わなかった」 「キスより誉められた科目を教えましょうか?」 捜査資料を検索している時と変わらない平静な顔をして。 こんな芝居がかったセリフを吐ける所が、やはり日本人と違う。 僕が黙っていると何を思ったか竜崎は口角だけ上げて微笑を作った。 その後口をぽっかりと開けて舌を突きだし、器用に丸めたり 右や左に斜めに曲げたりして見せる。 それは見ようによってはホラーな絵面だったが、僕は別の意味で生唾を飲んだ。 ここは、考え所だ。 本人がアピールしている通り、きっととてつもなくフェラチオが上手いのだろう。 竜崎に口でされるなんて、とんでもない。 けれどそうするとなると、彼は今僕の腕を抑えている手は離さざるを得ない。 一度僕を口に含んでしまえば、もう抵抗はしまいと、僕を好きに扱える、 そんな自信があるのだろうか。 体をずらして、僕の股間に口を近づけるその一瞬の隙を突けば ベッドから逃げられる。 運が良ければ竜崎の手が緩んで鎖も伸ばせる。 ……でも。 先程のキスを思い起こすと、理性が狂いそうになる。 僕の中の青い性が、好奇心をもたげる。 気が付けば、会話の間中僕の服を脱がせたり肌に触れたり 休みなく動き続けていた手が、今は止まっていた。 何かを待つように。 「……なるほど。ここで、僕の承諾がなければ進まないと」 「ええ。嫌なら断って下さい」 「え。断ってもいいのか?」 萎えない竜崎は、相変わらず僕の太股に押しつけられている。 同性の熱は、気色悪い筈なのに僕は。 こんな状態のまま終わらせるのは辛いだろうな、などと感情移入してしまっている。 「ええ、勿論。ただ……」 「そうすればキラの可能性が何パーセントか上がる?」 「いいえ」 竜崎は何故か目を丸くすると、不意に体を離した。 「どうした?」 「すみません。私としたことが」 熱が、遠ざかる。 移動時間にしてコンマ何秒の僅かな距離に、緊張が薄れ、安心感が生まれた。 と、同時に。 何かが、何かの機会が失われていくような、この漠然とした不安。 「私とした事が、性欲に我を忘れてしまう所でした」 「……」 「あなたがキラであると同時に少年である事を忘れて 本気になってしまう所でした」 嘘つけ! そんなとぼけた顔をして、何が「我を忘れてしまう所でした」だ! こんな事、完全に策略だと分かる。 竜崎の、「これは策略ですよ」とあからさまに告げながらの「策略」だ。 でも。 さっきまで完全に僕に委ねられていた選択権が、奪われていく。 奪われていく物に手を伸ばさずにいるのは難しい。 また、少しだけ選択権のしっぽを残して行くのが竜崎の狡猾な所だ。 「……僕は、キラじゃない」 「そうですか」 でも少年ですよね。 とでも続けたそうな、いつもの投げやりな返事。 やめて下さい。 なんて言える訳がない! 完全に、負けた。 と思った。 これ程の屈辱はない。 だが、負け試合にいつまでもしがみつく程みっともない事もない。 傷口をこれ以上広げない為には、あっさり「負けだ」と認めてしまう以外ない。 「どうぞ。続けてください」 竜崎の口調をそっくり返すと、ゆっくりと身をかがめて僕の顔の横にすとんと頭を落とし、 「コドモのくせに挑発的ですね。興奮します」 掠れた囁きを僕の耳の中に吹き込んだ。
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