恋煩 8 「あー……っと、お邪魔してるよ−。 っていうか、自分ら……」 それ以上言わず、無言で夜神と私を交互に何度も指差す。 「二泊三日の旅行の後で、そのまま友達んちに直行ってのも……って思とったけど」 「ご想像にお任せします」 私が笑いながら言うと、男も腕を組んでニヤニヤと笑った。 「えらい仲ええなぁと思ってネタにさせて貰ろたけど、ほんまにとはなぁ」 夜神は後ろを向いて、無言でバスローブの紐を結ぶ。 やがてこちらを向き直った表情を見て、男の表情も変わった。 「ええと……ごめんしてな。夜神くん、大丈夫?」 「……ええ」 男は真面目になった目で、私をじっと見つめる。 「流河くん、どういう事や?」 「何がですか?」 夜神はどちらとも目を合わせず、ただ棒立ちだった。 「夜神くんの様子、おかしいやん。 もしかして、無理矢理な事したりしてへん?」 「無理矢理?それこそ無理でしょう、夜神くんだって男なんですから」 「何か弱み握っとるとか」 思わず舌打ちをすると、男は一歩夜神に近付いた。 「夜神くん、家まで送ろか」 「いえ。もう少しここに居ます。 流河に無理矢理何かされてもいませんし、僕自身がここに居たいので」 「ほんまに?」 先輩の男が疑わしげに私の顔を見るのも無理はない。 夜神、わざとだな?その棒読み口調は。 それから彼は弱々しい笑顔を作った。 ……苛々して口を開く。 「先輩、お構いもしませんですみませんでした」 「え、ああ……夜神くん」 「大丈夫です。本当に」 「そう?そんなら帰るけど。また教授のとこかゼミに顔出してな」 「はい、ありがとうございます。近いうちに必ず」 「あ、これおおきにな。助かったわ」 ミニ六法の受け渡しをしながら、二人は連れ立って玄関に向かう。 私は指を咥えながら、それを後ろから見ていた。 「忘れる所やった、これ、お見舞いのマンゴープリン。 美味しいし、前僕が風邪引いた時に、これ食べたら治ってん」 「ありがとうございます……」 紙袋を受け取り、男に続いて玄関から出た夜神はその瞬間突然男の腕を掴んだ。 「え?」 「先輩、また連絡して良いですか? ちょっとご相談したい事が」 「ええけど……流河くんが凄い目でこっち見とるで」 夜神は笑いを含んだ横目で、ちらりと私の方を見た。 「本当に、流河とは何でもありませんよ。ただの友人です。 帰る方向が同じで、ちょっと気分が悪くなったので休ませて貰ってシャワーも借りた。 それだけです」 「そうなん?そんなら、流河くん悪かったな、えらい勘違いして。 堪忍してや」 「こんなに心配して下さるなら、先輩の家でお世話になっても良かった」 「……女の子に言われたら嬉しい台詞やけど、夜神くんでもなんかちょっとドキドキするなぁ。」 「流河も、そんな事なら先輩に押しつければ面倒が無かったと思ってますよ、なぁ?」 「……」 私は何も答えられなかった。 夜神の意図に気付いたからだ。 私達のいる、場所。 夜神は玄関の外、私は玄関の中。 『お互いに誠実である為に、“家では”隠し事は無しの方向で』 人前で芝居をする必要がある事も考えて、「家では」と限定したのだが。 早速こんな風に利用されるとは。 もし今私が話を合わせれば、夜神は私の方から約束を破ったのだから自分も今後真実を話す義務はないと言い出すのだろう。 「……いいえ。そんな事は許しませんよ」 思い通りになってたまる物か。 嫌がらせに本当の事を言ってやると、目を丸くした夜神の隣で男も口を半開きにした。 「って言うてるけど?」 「違います!彼は、その、」 「私は夜神君を愛していますし、彼も私を愛しています。そうですよね?夜神くん」 夜神を睨みながら言うと、夜神は男の後ろに身を隠し、男は夜神の耳に口を寄せた。 「……相談って、流河くんの事なん?」 「そうなんです……危害を加えてくる事はないんですが、妄想が激しくて、」 「ヤバいんちゃうん、それ……」 「でも一人にするのも危険ですし。 最近は扱いが分かってきたので、僕が側に居れば何とか……」 「大丈夫か?夜神くん」 「はい、何とか」 「何かあったらいつでも電話してや」 「ありがとうございます。僕も男ですから出来れば自分で解決したいですが、この先何かお願いする事もあるかも知れません」 二人は私を憐れな目で見た後、大丈夫か大丈夫ですと小声で言い合って、先輩の男は去って行った。 「……よくも私をおちょくってくれましたね?」 「取り敢えず“家で”嘘は吐いてないだろ?」 「マンゴープリン」の紙袋を私に押しつけた夜神は、伸びをしながら室内に戻る。 中を覗き込むと、並んだ大ぶりのカップの中には生クリームが見えた。 「それに、勝手にゼミに行く約束をしたり、あの男に連絡するとか」 「ここは一般人に溶け込む為の住所なんだろ? なら、僕をここに閉じ込めておくのは無理だよ」 「しかし、あれでは私の方が学校に行きにくい」 プリンを取り出し、テーブルに並べると底にスプーンも入っている。 有り難い。 座って蓋を開いてスプーンを突っ込もうとした所で、夜神が何も言わない事に気付いて顔を上げた。 目が合うと、夜神は口を押さえて笑い出す。 「何ですか」 「いや……マンゴープリンを見る前と見た後では、あからさまに声も態度も違うから」 「そんな事はありませんよ?私、結構怒ってます」 「はいはい、分かってるよ」 無視してスプーンをカップに差し込み、生クリームとプリンを出来るだけ沢山掬うと、口に放り込んだ。 ……美味い。 甘さが少し足りない気もするが、日本人の好みを考慮すればこんな物だろう。 「……今度はなんなんですか」 気付くと向かいに座った夜神が、頬杖を突いてまたニヤニヤしている。 「ドイツ語を話すおまえも格好いいと思ったけれど、」 「はぁ」 「そうやって美味くもなさそうに、甘い物にがっつくおまえも結構好きだよ」 「……」 私は無意識に止まってしまってから、その事に気付いて慌ててスプーンを動かした。 ……私も。 おまえのその笑顔が。 「……私がそこまで怒ってないのは、あなたがあの先輩の前で、常に私の側にいると宣言してくれたからです」 「そんな事言ったっけ?」 「言いましたよ。私はヤバくて、一人にすると危険なんですよね? だから最近扱いの分かってきた君が私の側にいてくれると」 「あー、そうだったな」 夜神は立ち上がると、窓の外の世界を見下ろしてもう一度伸びをした。 「でも本当に、おまえとは上手くやっていけそうだよ。 おまえがマスターとかスレイブとか言い出さなければね」 「そうですか」 ……好きだとか、上手くやっていけそうだとか。 そんなちょっとした言葉に、「愛している」より心が震えるのも。 「恋愛感情」とやらの副作用なのだろうか。 私は狂っている。 早く正気に戻って欲しい。 だが正気に戻った私は、以前の私と同じではない。 マンゴーと上質な生クリームの味が脳髄に染み渡るのと同時に。 夜神が私が可哀想だと言った意味が、少し分かった気がしてしまった。 --了-- ※108000打を踏んで下さいました、匿名希望さんに捧げます。 リクエスト内容は、 ★過去のリクエスト作品の「初恋」の、L(流河)視点をお願いできないでしょうか。 ”駆け比べ”の箇所など、読み返す度に心がギュッとします。 夜神月が馬で障害物を越える姿を、恐らく後ろから見ていたと思うのですが、どんな心情だったのだろうか。(きゃー) 2週間前から決まっていた捕縛、3日間で自白を取ると決めていたLが、計画を中止するまでには、どんな気持ちの積み重ねがあったのだろうか。(想像すればするほど、せつない+幸せな気持ちになります・・・!) 「初恋」と同時系列のL視点でなくても、関連するお話でも、続編でもかまいません。「初恋」の中のLを、もう一度見せて頂けないでしょうか。そして、できればその中で”駆け比べ”の時のLの気持ちを、教えて頂けないでしょうか。 ・・・そして、もちろんエロありで・・・ でした。 「初恋」のリク主さんも快く許可して下さいましたので、初恋後半の裏と、そのちょっとだけ続きです。 「初恋」は月視点なのですが、Lの内面は全く描写していないので色々考えました。 多分何もかも見通しているキャラの感じで書いたのですが、それでは面白くないので自分の恋心にだけは最後のシーンまで気付かない設定にしました。 後半はおまけでどういうスタンスで共同生活すればいいのか模索する二人、という感じ。 「初恋」を気に入って下さって、ありがとうございます。 私自身も久しぶりに自分で読み返して続きが書けて、とても嬉しかったです。 ナイスリクありがとうございました!
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