46.視線 立食パーティは嫌いじゃない。 座敷のように隣の席の人と否応なしに話さなければならない事もないし ビール瓶を持ってうろうろする事もないし。 上座に回って手際よくビールを注ぐ。 愛想よく笑いながら当たり障りのない雑談をする。 そんなコンパニオンみたいな仕事は正直ボクの性に合わない。 出来なくもないのが自分でも嫌だった。 その点、今日のような立食パーティーは、そのような気遣いをせずにすむのが ありがたい。 飲み物のグラスは、客の間を巧みに泳ぎ回るサーバーが配ったり回収したりしてくれる。 飲んべえな人はホールの隅のバーカウンター近くで勝手に……。 「おい!何やってるんだ」 「わっ!」 マンガみたいにびくっと背筋を伸ばし、零れそうになった泡を慌てて舐める進藤。 「それビールじゃないのか」 「違うよ。発泡麦茶だよ」 「未成年が何やってるんだ」 「あのなぁ。そんな固いこと言うのオマエだけだぜ?」 確かに、十代の棋士でもこんな席ではここぞとばかりに飲むし 周囲の大人もほとんど止めないのは知っている。 しかしだから飲んでもいいというものではないだろう。 と説教の一つも垂れてやりたいが、よく見れば進藤は既に 泥酔の一歩手前だった。 顔色はそれほど変でもないが、表情がおかしい。 少し動くと足元がふらついているのも分かる。 酔っぱらいは好きじゃない。 溜息を吐いてきびすを返そうとすると、後ろから肘を掴まれた。 「んだよー。逃げるのかよ。オマエも飲めよ」 「断る。人を犯罪に巻き込むな」 「犯罪ってー!!」 大声で返されて、慌ててその口を手で塞ぐ。 「しっ!人聞きの悪い事言うな!」 「言ってんのはオマエらろー?」 「とにかく!もういい。キミは好きなだけ飲めばいい」 「オマエも飲む」 「飲まないって」 「んだよー。付き合い悪いぞ。そんなんだから友だち出来ねんだよ」 「……」 余計なお世話だ。というか友だち位いる。芦原さんとか。 「空気読むって日本じゃ大切な事だろ?」 「ボクが読めてないとでも言うのか」 「誰かが笑えば面白くなくても笑う。誰かがちょっとしたルール違反したら 付き合う。それで仲間意識が芽生えるってもんだろ?」 「……キミ。実は酔ってないんじゃないか?」 「いくら正しくても座を白けさせたり、水差したりするのって嫌われるぜ?」 「……」 もしかしたら、進藤も常々ボクと同じ様な事を考えてるのかも知れない。 そういえば彼は、少し前までは若いくせに傍若無人だと 一部の年配棋士に疎まれていた。 「とぉ〜やくん。の・ん・で」 ボクの知らない間に、そんな鬱陶しい人間関係を克服したのかと思うと 先に大人になられたようで少し悔しくもあるし、こんなバカみたいな姿も 何やら奥深いものがあるように見えて来るから不思議だ。 「少し……だけだぞ」 ってゆーかぁ。 進藤なんて目じゃないってーの!! 「ボクはぁ!キミみたいな太鼓持ちなマネは絶対しないぞぉ!」 「何だとー!注いでー注がれてー注がれてー飲んでー♪がニッポン人だろ!」 「それを言うなら『差しつ差されつ』だー」 「それだー!王手!」 「将棋差すなー!」 ああ……何言ってんだボクは。 周囲の視線が痛い……のは気のせいか。みんな酔ってるもんな、うん。 「あ、そうだ、塔矢ちゃぁん」 「気持ちの悪い呼び方するなーするなったらするなー」 「こないだ『囲碁界』の記者の人がぁ、塔矢ちゃまとオレのツーショット写真 欲しいって言ってたぞー」 「こちらで用意するのか?」 「いきなり素になんなよ!っつーか『ちゃま』はオッケーなのかよ『ちゃま』は」 「ボク達がスーツで揃うことってそうそうないよな。今撮っておこう」 「無視すんな!」 「進藤ちゃま、ネックタイが曲がってるよキミ〜」 だらしなく襟元の開いた進藤を壁に押しつけ、ネクタイをキュッと引く。 「ぐっ」と喉が鳴るような音が聞こえた気がするが別に気にならない。 ………。 「人の首絞めながら凭れて寝るなー!」 …おっと、あぶないあぶない。 数秒だろうが、進藤の肩に頭を凭せかけたまま意識が飛んでいた。 体重をネクタイに掛けてしまっていたらしい。 「オマエなあ……今度はオレがネクタイ絞めてやる」 「いい。ボクはちゃんとしてる」 「してねーしてねー。結び目横に行ってる」 「これがボクお洒落だ!」 などと、掴み合いながら言い争っていると、側を通った女流の人に 「仲いいんですね」と声を掛けられた。 「「良いわけ無い!」」 声の揃い具合に、顔を見合わせる。 周囲から笑いが起こる。 ああ……ボクのイメージが。 「あ、そうだ!」 「今度はなんだ」 「オレ達が仲良いとウケるんだぜー」 「そうみたいだな」 「そうじゃなくて。雑誌的に」 「はぁ」 「よく敵同士でも試合後に握手したりするじゃん?」 何の試合後だと思いながらも聞くのも面倒臭くて適当に頷く。 「ああいうノリってゆーかぁ」 「はぁ」 「自分でも何言いたいかよく分からんくなってきたー。ヒバゲー!」 「ヒバヒバゲー!」 「とにかく仲良し写真撮るのな」 「分かった」 とりあえず進藤の首に抱きつき、軽く絞めてみる。 「待て!待て待て待てい!ケータイ出すから」 進藤が片手で携帯を出来るだけ離して持ち、デジカメ機能でボク達を撮る。 「はいちーず」と言われた時、内から押さえ難くこみ上げるものがあって 思わず眉を寄せて口を思いっきりタコにしてしまう。 再生した写真を見た時、誰だこれと思った。 僅かに見える黒い背景、前面一杯に顔を寄せ合った赤ら顔のバカ二人。 そうと知らなければ人の顔かどうかもあやしい。 「わははっ!超仲良さそうだな!」 「いやー、ボクは写真映りが今ひとつだな」 「んじゃもう一枚行きますか。もっと仲良しでいこうぜー!」 いきなり酒臭い息が正面からかかったかと思うと、髭のざらつき始めた口で 口を塞がれた。 キス?これってキス? 進藤と!ボクが!キス!超ウケるんですけど! 二人で笑い崩れてしまい、フロアに尻餅をついたままひとしきり笑撃に耐える。 あー、腹筋が、腹筋が痛い……! 「あは、あは、あははは!笑うなってー!」 言いながら進藤こそ笑っている。 笑いながら片手で携帯を構え、片手でボクの首を引き寄せて、もう一度キスした。 カシャ。 電子音がして、顔を寄せあって再生画面を見たら金色と黒の山二つ。 「ぶっ……ぶわははははっ!!何だこれー!」 「はは、ぎゃははははははっ!」 「おい、これ提出しちゃう?」 「しちゃう?『囲碁界』の一面にこれ載っちゃう?」 想像すると笑えて仕方ない。 しばらく声も出ない程お腹を引きつらせて笑った。 「よし!ラスいち。今度は真面目に行くぞ」 「キミ、舌なんか入れるなよ」 「入れるわけないだろ。バカじゃねーの」 「あ、そう」 今度はちゃんと真顔で顔を近づける。 ボクの息も酒臭いんだろうな。 進藤は口を少し開いて、舌で唇を濡らす。 「……入れそうだな」 「入れねーっての!ハゲねーっての!」 口と口を合わせて、顔を動かす。 カシャ。 また人工のシャッター音が響く。 B級映画の恋人同士のように目を閉じて首に腕を絡めて キスシーンを熱演する。 カシャ。 進藤も、ボクの背中を撫で回したりしてる。 熱演すればする程、吹き出してしまいそうになる。 カシャ。 「んっ!」 「うん?」 「入れるなって言っただろ!」 「…あ。ごめん。うっかり」 「どんなうっかりだ」 唇を拭いながら携帯画面を見た。 次々現れる進藤とボクの横顔たち。 う〜ん、薄暗くて全体にピント合ってない。 雑誌向きではない気がする。 「これが一番マシか?」 進藤が示したのは、一番最後の写真。 目を半開きにして口を突きだしたボクと、顔を離すところだろう、 舌を突き出してその先だけボクの唇につけている進藤。 確かにこれが、一番両方の顔が写っている。 よく考えたらキスなんてしたら顔の大半が隠れてしまうのは当たり前だな。 「これか、最初のんだな」 「あのタコよりはこっちの方がいいだろ」 「んじゃこれ送っとくね」 進藤が携帯を操作している。 件の記者のアドレスを知っているらしい。 その時ちらっと、酔いが醒めそうな、取り返しのつかない事をしているような、 そんな感覚が走ったが結局その正体は分からないままだった。 「よっしゃノルマ一つ終わり!飲み直すぞー!」 「あの…お客さま…そろそろ閉会ですが……」 スタッフの女性に声を掛けられ、ふと周囲を見渡してみる。 確かにさっきまであんなにざわざわしていたのに今は静かだ。 全員もうグラスを置き、何故か怖いくらいにボク達に注目していた。 「えっと……な、なに?」 何とも言えない不思議な表情の面々。 緒方さんと芦原さんが、泣き笑いのような顔になっていたのが、 やけに目に焼き付いた。 翌日、『囲碁界』の編集部に直々に赴いて頭を下げまくったのは言うまでもない。 ……進藤との空気なんか読まずに、会場全体の空気を読むべきだった。 進藤もボクも、それから一週間ほど鬱状態から抜け出せずに キャンセル出来る仕事は全てキャンセルした。 −了− ※かわかみじゅんこさんの「パリパリ伝説」の一こまのすみっこより着想を拝借。 このエロティシズム69題はシリアスなタイトルが多くて(当たり前) なかなかコメディっぽいのが書けません。 今回はちょっと暴走してしまいました。
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