45.夢の中は治外法権 進藤は、自分の誕生日付近になると必ずボクの家に泊まりに来る。 もう五年になるだろうか。 何故誕生日と分かったかというと、どういう義理で彼を泊めなければならないのか 尋ねてみた時、 「いいじゃん、誕生日だろ?プレゼントだと思って」 と言われたからだ。 正直どうでもいい。 「ふ〜ん」という感じだ。 ところで彼は、寝るときにボクの部屋に蒲団を敷く。 こちらの方はその理由を「いつでも手を繋げるように」と言われて 不覚にも停止してしまった。 毎年この時期に彼はある夢を見るのだそうだ。 内容は教えてくれないが、表情から察するに、切なくて悲しいけれど 幸せな夢らしい。 そして、その夢の中にボクを連れて行きたいと言うのだ。 半分冗談めかしていたが、目が笑っていなかった。 多分、本気だ。 そうだ、そんな理由がなければ何故毎年のように押し掛けてきて 手の繋げる距離で寝ようとする? その話を聞いてから、ボクは彼と精神的な距離を置くようになった。 一見まともらしく見えるが、この年でそんな事を真面目に 考えているようではいわゆる「アブない人」なのだとしか思えない。 女の子ならまだ「夢見がちで可愛い」という見方が出来なくもないが 男では、やはり不味いと思う。 それでも年に一度、(北斗杯の合宿を合わせると年二度の時もあったが二人きりではなかったので除外する)彼を自宅に泊めるのは、そんな、バランスを欠いた彼のあやうさに対するいたわりもあるからだ。 不思議なことに、ボク以外彼のそういった面に気付いている者はいないようだった。 とにかくそんな訳で、二年目以降も彼を泊めているわけだがそれは一年目、 なんだかんだ言いながら何事もなかった実績があるからでもあった。 二年目の時は翌朝、少し涙ぐんでいるように見えたが 気のせいかあくびのせいかと言えば言えなくもない。 三年目は寝言を言っていた。 寝言くらい言うだろうとも思うのだろうが確かに聞こえたのだ。 「さい」と。 その頃にはもうそろそろこの慣習をやめたいという気分になっていたが 慣習だけにそれはなかなか言い出せなかった。 そして四年目には遂に、手を握られた。 驚いて目が覚め、夢の中に連れて行かれたらどうしようなどと 一瞬年甲斐もなく怖くなってしまったが。 顔を隣に向けると、進藤も起きていた。 目だけでこちらを見ていて、別の意味でぞっとした。 今年あたり、本当に何かありそうな嫌な予感がする。 夢の中に連れ込まれると信じている訳ではない。 訳ではないが、「sai」(だろう、どう考えても進藤の夢の中にいるのは)が だんだんと近づいてきている気配がするのだ。 sai に会ってみたい気がするが、その正体を知るのは怖い。 それが進藤の頭の中にしかいない者なのなら余計に。 彼の天才の理由は知りたいが 彼の狂気に巻き込まれるのはごめんだ。 などと今年こそは断ろうと心算していた訳だが、結局決断出来ないままに 当たり前のように進藤はやってきた。 いつも通りひとしきり打った後、ボクの蒲団の隣に蒲団を延べて いつも通り枕元に扇子を置く。 目でボクの体との距離を測る。 何だか嫌だった。 「じゃ、寝ようか」 「ああ」 用心深く、不自然に見えない程度に蒲団の上で体をずらして 少しでも進藤との距離を取った。 進藤が電気を消す。 自分の体が硬くなるのが分かった。 南無、と心の中で唱えながら意識して肩、腕、足、と力を抜いていき、 それでもなかなか眠れないだろうと思っていたが いつの間にかあっさりと寝入っていた。 夜半、手首を掴まれて目が覚めた。 いや、覚めたと言うには覚束ない。 覚めた気はしたが体が動かない。 夢か?だが、夢だと思う事自体夢ではないのではないか。 いやでも、誰かが「夢の中でそれと分かる事もある」と言っていた気がする… などと思っている内にこれが夢か現実か、考えても無駄だという気分になってきた。 とにかく動けないという事は、生まれて初めて金縛りにあっているか、 それとも何かが自分の上に乗っているかだ。 顔にかかる熱い息。 少なくとも金縛りだけではない。 これが現実なら、布団以外のものが乗っている筈がないから やはりこれは夢という事になるのだろう。 夢……。 夢…。 そう言えば、ボクは夢を見るのをひどく怖れて床に就いたのではなかったか。 あれはどうしてだったろう。 そんな事をとりとめなく考えている間にも、「金縛りの元」である気配は ボクの体の上で何やら動き続けている。 寝間着の腹の辺りをまくりあげ、熱い手が素肌に触れる。 感覚だけだが、何ともリアルな夢だった。 夢……。 そうか。思い出した。 「sai」だ。 ボクは何故か、sai の出てくる夢を怖れていたのだ。 夢の中でsai に出会い、手を取られるのが怖かった。 名前だけを人生の要所要所で聞き、あんなに会いたいと思っていた人なのに。 今となってはどうして怖れていたのか思い出せない。 「sai ……?」 口を動かし、小さな息だけを吐く。 声帯を震わせなければ声は出ない訳だが、それには驚くほどエネルギーが必要で 今のボクにはとても無理だった。 それでも、その囁きは自分でも驚くほどに大きく鼓膜の中に響く。 「……そうだよ」 そして返ってきた囁きは更に大きく、耳朶を打たれたかのように 目が覚めた。 これは、夢ではないのか…? 一瞬にして金縛りが解け、目を見開いたつもりだったが そこもまっ暗闇だった。 いや、目の上の空気が温かい。 誰かが手でボクの瞼の上を覆っている。 恐怖に息が止まり、混乱の中、大声を出さなければ、出さなければ、と 頭の中で空回りしている間に、口が柔らかいもので塞がれた。 ……それは今まで口にしたどんな物より快い温度で ぬらりと濡れた中に微かにざらりとした触感がある所が水蜜桃に似ている。 思わず舌を動かしてなぞってみると妙に馴染んだ感覚だった。 「大丈夫……」 ああ……。 長らく手首を掴んでいた反対側の手が動き、掌を這うようにして指が絡められる。 何となく縋られているような心持ちがして半分無意識に握り返した。 「夢だから」 「ここは、夢の中だから」 繰り返される囁き。 夢じゃない、夢なんかじゃない、と確かにボクはどこかで認識していた筈なのだが、 しまいに考える事も何もかも億劫になって再び目を閉じた。 次に目覚めた時には辺りは明るかった。 障子に庭の梅の枝が映り、そこに小さな鳥が降りたって 影がゆらゆらとゆれる。 勿論ボクは昨夜のことを覚えていた。 ただ、今となってみれば本当に夢でなかったのか自信が持てない。 「夢じゃない」とは思っていたのは確かなのだが。 現実だとすればボクの上にいたのは進藤でしか有り得ないが、隣ですやすやと 寝入っている今現在の彼を見るとそれはないだろうと思う。 そう。進藤があんな事をする筈がない。 あれは進藤ではない。 …ならば誰だ? sai 、か? それこそ有り得ない。 進藤の夢の中からsai が出てきたのか、それともボクが進藤の夢の中に 取り込まれていたのか。 そんな事を認める位なら、ボクが夢を見ていたと言った方が簡単だ。 そんな事をつらつらと考えていると、どんどんあれが夢だったのか現実だったのか あやふやになってくる。 ボクは面倒になって来て、進藤に委ねることにした。 つまり進藤が起きた時の表情によって、昨夜の事実を占おうと考えたのだ。 布団の上に正座をして待っていると、やがて進藤は一つ寝返りを打って 目を覚ました。 少し覗き込むようにしていたボクと目が合うと、緩慢に起き上がる。 そのまま視線を絡ませ、長い長い時間が過ぎた。 先に目を逸らしたのはボクだった。 耐えられなくなったのだ。 ボクが悪いわけではないというのに。 「……大丈夫だって、言ったじゃないか」 ああ。 何を言っているんだ。子どもかボクは。 けれどそれ以外、言うべきセリフを見つける事が出来なかった。 「夢の中だから、大丈夫だって、キミ言ったじゃないか」 半べそかいた幼稚園児のようなセリフ。 他人のせいにすれば、無かった事になる訳でもなければ気が済む訳もない。 そんな事分かってる。 分かってるけど。 何も言わなくとも進藤の目には、昨夜の情事がありありと映っていた。 ………… ボクはもう言うべき事もなくまた黙りこむんだが、やがて彼が突然顔を上げて 明るい目をした。 「…なぁ。誕生日プレゼントくれね?」 「は?」 それが昨夜の今朝の、最初の言葉か? 今と言う今に何を言い出すんだと呆気に取られているボクを尻目に 進藤は状況を忘れたようにはしゃいだ様子で続ける。 「今まで通りでいて欲しい」 「……」 「今までと、何も変わらない塔矢。それをプレゼントに欲しい」 ボクの惑乱をよそに、畳みかけた。 「……」 何も変わらない自分。 それは恐らく彼との関係性において、昨日までと同じく今日からも対応しろという事だろう。 プレゼントとしては前代未聞だ。 ただ変わらない事。 これまで通りでありつづける事。 けれどそれは、今のボクにとってはとても難しい事だった。 起こってしまった事、今更昨夜の事をなかった事にしろと言われても 無理な話ではないか? しかし進藤は返事を聞かず、また手を伸ばして今度はボクを掴まえ ゆっくりと抱きしめた。 「これまで通り」……。 彼こそが、これまでとは違う事をしているのではないか。 ボクは何か勘違いしたのだろうか。 何か言葉を取り違えているだろうか。 答えは見つからず、反応のしようもなく。ただじっと身を委ねてしまい、 ただじっと身を委ねている自分に驚いたりもした。 そう、嫌なら考えるまでもなく突き飛ばしている。 だからきっとボクはこれが嫌ではないのだろう。 思うと、昨夜のことに関しても一方的に進藤を責める事は出来ない。 嫌なら、夢であろうがなかろうが拒んでいたのに違いないからだ。 「……それで、キミの夢の中に連れていくとかいう話はどうなったんだ?」 間が持たなくて、心に浮かんだことをそのまま口に出してみた。 今となっては、家に泊まりに来る理由のどこまでが本当か分からない。 まさか五年も前から昨夜のことを計画していたとは思いたくないが。 「え?ああ、あれ?」 進藤は茫洋とした顔のまま幸せそうに微笑んだ。 「『さい』が、夢ん中で言ってたんだ。オレも塔矢ももう大人だから大丈夫だって」 「……」 「きっと受け入れてくれるって」 「…ああ、そう…」 最初からこの結果がお見通しという訳か。 「sai 」には。 「そろそろ本当に連れてこいとも言ってたな。 今晩も、泊めてくれる……?」 sai に会いたいのか会いたくないのか。 ボクの懊悩は振り出しに戻る。 −了− ※2006年誕生日企画のつもり……。 こねくりまわしつづけてどうにも決まらないままにタイムリミット。 (いや一般的なタイムリミットはとうの昔に過ぎてるんだけど) 最中、進藤の手が一本多いようにも読めます。 (手を握ってる手とお腹触ってる手と目を覆ってる手) 意外とお腹触ってるのが佐為の手だったら面白い。
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