42.溺愛レクイエム
42.溺愛レクイエム








折角休みの日曜日だというのに雨に祟られた。

晴れていたからと言って行く所も碁会所位しか思い浮かばないのだが
生憎父の碁会所は休みだ。
つまりどちらにせよ手持ちぶさた、気分が晴れないのを天候のせいに
している。

両親も不在である事だし、折角なのでだらだらしてみよう。
と、珍しく朝からテレビをつけ「日曜美術館」を見てそれから「将棋の時間」。
もう見る番組がなくなったので自室に引き揚げて棋譜を広げる。

……鬱陶しい。
少し強くなったか、雨音が耳について集中しづらい。

そうだ。

心の中で膝を打つ。
進藤はどうしているだろう。
仕事なら仕方がないが、もし自宅にいるのなら足を運んでもいい。
そう言えば随分長いこと打っていない。

思い立って携帯電話を手にとって短縮ダイヤルに触れたとき
一瞬の逡巡がかすめた。
その、最後に打った時の事を思いだしたからだ。


『好きになってくれなんて言わない』

『ただ、オレが一方的に好きでいる事は許して欲しいんだ』


告白……というのだろうか。
彼は自分がゲイである事を告白し、対するリアクションを取れないでいる内に
好きな相手はボクだと告げたのだ。

ボクにしゃべらせる隙を与えなかった。
勿論、女の子のように返事を求められても困るのだが。

それでしばらく連絡しづらくなってしまった。
「これからも今の関係でいい」、「普通にしてくれ」と言われても……
そう、確かに当初そう思っていたのだがいつしか忘れてしまって
ただ何となく関係を絶っていたのだ。

しかし考えてみれば彼の方からこそ連絡し難いだろう。
「普通にしてくれ」というのはボクから連絡をくれというサインだったろうに
迂闊にも今まで気づかなかった。

自責の念に軽く舌打ちをして(誰も見ていない所ではボクだって舌打ち位はする)
必要以上に力を込めてボタンを押す。


『……はい』

「進藤か?塔矢だけど」

『うん……久しぶり』


前なら「分かってるよ、ケータイからケータイに電話してんのに」と
憎まれ口を叩いただろうに、今はやはり少しぎこちない。


「今日は仕事?」

『うん。でも終わったとこ。もうすぐ家』

「そうか。雨の中お疲れ様」


言いながら時計を見るともう昼を過ぎていた。
雨雲が厚くて外が暗いので気付かなかった。
雨足も強い。


『そっちは今日は休みだったよな』

「ああ。よく知ってるな」

『今家?』

「そう。でも少し退屈していた。この後用事がなければ打たないか?」

『……』


軽く言ったつもりなのに、返事がない。
受話器から微かに聞こえてくるザーザーという音は、電波状態が悪いのか。
それとも雨の音か。


「キミの家に行っていいか?」


返事がないのに焦れて、再度こちらから問うた。
きっと彼は拒まない。
ボクの事を好きだというのなら多少の用事は融通を効かせてくれるのではないか。
そんな都合のいい計算もどこかで働いていた。
しかし。


『だめ!』


思いがけず厳しい口調。
予期せぬ拒否に無言で息を飲んでしまった。


『……ごめん。でも、来ないで』

「……」


受話器を耳から離さないように気を付けながら、彼と会わなかった日数を数える。
彼ならきっと、可愛い彼女を作るには十分な時間。
いや、ゲイというのが本当なら彼氏か。

本当なら。
……あれは本当にあった事なのだろうか?
夢を見たのではなかったか?


『……塔矢?』

「ああ、すまない。なら仕方ないね。じゃあ、」

『あ、塔矢!じゃなくて!ちょっと待って!』

「?」

『今日すげー雨なんだよ。オマエが濡れないかって心配なっちゃって。
 棋院行って取り敢えずオマエの今日の予定確認した』

「ああ?」

『だーかーら!今日休みでホッとしてんのに超わざわざ家から出んじゃねーよ』

「……」


は?彼は今何と言った?
理解が及ばぬ瞬間の内に耳が熱くなる。
理解したくなくて、理性が必死で思考をくい止めようとするのに、
言葉は勝手にじわじわと染み込んでくる。


『オレが行くから!待ってて!』


前回彼が作った、彼とボクの微妙な関係を鑑みると
彼に少しでも借りを作るのは、思わしくない。

しかも何だその理由は。
ボクが濡れないかって?濡れたら弱るのか?深窓のお嬢様みたいに?

ふ ざ け る な!

というも馬鹿馬鹿しい気がして間を持て余し、茶の間のテレビを点ける。
丁度午後のニュースを放映していて、レポーターが透明なレインコートと
透明な傘を引きちぎられそうになりながら、東京の町中の惨状を紹介していた。
昼間なのに人が少ない。
どうも台風が来ているらしい。なるほど思ったより大雨だ。


「今テレビで見たんだが、どうも警報が出ているようだね。
 キミこそ危ないから、今日はよした方がいいかも知れない」


我ながら冷静な声が出て満足した。
彼を心配する事によって精神的な立場を対等にしようという
姑息な小細工だ。


『何言ってんだよ。オレは大丈夫だよ』

「じゃあ、やっぱりボクが伺う。家で待っててくれ」

『ダメだって!どさくさに紛れてさらわれたりしたらどうすんだよ!』


長々と溜息を吐いてしまったのを、彼はどう取ったのか。


『だって。もし、もしもオマエがいなくなったりしたらオレ……』

「……」


「これからも今の関係でいい」、「普通にしてくれ」。
などと言っていたのはどの口だったか。
しかし考えてみれば、元々彼はそんなに奥ゆかしい人物ではなかった。





「……キミと違って、一人暮らしだから何のお構いも出来ないけど」


今度は受話器の向こうで、息を飲んだ音が妙にリアルに聞こえた。
知っていたくせに。そんな事。


『……オレ、すぐに、いくから。大丈夫』

「……」

『ホントに、かなり早い方だから!怖がらなくていいよ…』


無言で通話を切り、携帯を振り上げて畳に叩きつけそうになったけれど
思いとどまって机の上に置き、玄関に出てみる。



庭は砂利の上にまで水が張って池のようになり、
門の前の道路はちょっとした川のように雨水が流れていた。

油断をしたら、溺れそうだ。

彼は雨の向こうから必ずこの家にやってくるだろう。
それからボク達は、この水の檻に閉じこめられるだろう。


……溺れるかも知れない。


濡れるのも悪くないと思い始めている自分にまた舌打ちをし、
玄関の外の雨を眺めながらボクは上がり框に腰を下ろした。






−了−





※経験上、難しいお題から済ませておいた方が楽です。







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