39.ウィーク・ポイント(弱点) 「相性ってあるよな」 かつて、進藤が言ったことがある。 性格や対局でもそういう事はあるが、「身体」にもあると。 「オマエさ、会う度に五回十回しないと収まらないって、普通だと思ってんの?」 ・・・・・・・・・・ 進藤が、男を好むタイプだと気付いたのはいつだっただろう。 「おっ」 彼と町中を一緒に歩いている時、振り向いたり目を奪われたりしていたのは、 髪や足のキレイな女性ではなく、黒い真っ直ぐな髪をした細身の男性。 あまりにもあからさまなので、これは訊いて欲しいのかと思って 「キミ、男性の方が好きなのか?」 と尋ねると、案の定 「うん」 と、悪びれずに答えた。 「オマエは?」 「ボクは……それは、女性の方が」 「ふ〜ん。でも、男もいいぜ。どこが気持ちイイか完璧に分かってくれるし」 そうか……男性と肉体関係を持ったりしてるんだ……。 うん、いや、そうだよな、この年齢で進藤の性格ならそれくらい、 そんな事を思いながらも内心軽く混乱していた。 顔に出す程ではなかったけれど。 「どうした?」 「いや、別に」 「……試してみる?」 笑おうとして、自分が進藤の好みの範疇に入っている事に初めて気付いた。 上手く笑えていないボクを見て、進藤は腹立たしいくらい自然な笑顔を浮かべた。 それから、しばらくは自分一人で気まずいというか、出来れば進藤を避けたいけれど あまりそういう事をするのはどうか、といった妙な心境だったが、すぐに忘れた。 ……忘れた半年後くらいに、彼の誘惑にあってボクらはあっさりと一線を越えた。 地方の旅館で、同じ部屋になって。 その頃にはもう警戒心も薄れて、勧められるままに酒を飲んで。 気が付いたら、ボクに馬乗りになった進藤が揺れていた。 「なんだ……これ……」 「ああ、すご……」 その時に交わした会話はこれだけで。 自分が進藤と、男と繋がっている異常さよりも、快感が強かった。 他のことは何も考えられなかった。 お互い何も告げなくても、高ぶりは一致して。 ボク達は獣のような喘ぎ声を上げながら同時に達した。 翌日、他の棋士何人かに「大丈夫か?」と声を掛けられた。 多分一目で分かるほどボク達は憔悴していたのだと思う。 そう、あれから間を置かず今度はボクが進藤にのしかかり、 結局朝まで寝なかった。 何度したか分からないほどだ。 抜く間も惜しかった。 帰りの電車でも、 「なんだったんだろう……」 「オレ、あんなの初めてだった……」 「う〜ん……すごい」 気まずくなるとか、酒を飲ませて何をさせるんだとか、そういう会話はなく ただただ二人で首を捻っていた。 自分の膝と進藤の膝が触れるだけで勃起しそうになるのには参った。 ただ、ボクにはそれまで女性経験もなく、新しい世界を垣間見てしまったという 思いの方が強かった。 セックスって、すごいんだな……。 世の中の大半の人はあんな事を経験しているのか……。 聖職者は禁欲生活を送るらしいが、そんな事可能なのか。 最初から知らなければ可能か、進藤とする前のボクのように。 進藤が「あんなの初めて」と言ってくれたのも、彼もそんなに経験していないのか それともリップサービスかと思っていたくらいだ。 付き合うも付き合わないもなく、ボク達は会いつづけ、碁を打つ間も惜しんで(!) 身体を交えた。 覚えたての猿みたいだった。 お互い好きだなんて、言ったことも思ったこともない。 それでも相手なしの生活なんて考えられなかった。 いや、正確には、ボクは彼でなければという事はなかった。 自分がゲイになってしまったのかと怖れた時期もあるが、普通に 女性に欲望を持つことが出来たので安心したというのもある。 いつかお付き合いするような女の人も出来るだろうし結婚もするだろうし、 そうなれば進藤は、進藤とのセックスは必要ない。 そんな事を思っていた。 そんな時に進藤が言ったのだ。 「オマエさ、会う度に五回十回しないと収まらないって、普通だと思ってんの?」 「こんなに相性イイ身体に会えるって、一生に一度あるかないかだと思うぜ」 ボクは曖昧に笑って流した。 彼がそんな事を言う意図が見えない。 つまり当然、嘘とまでは言わなくても、相当大げさなことを言っている、と思ったわけだ。 もしかして、ボクの身体以外にも執着を覚え始めているのかとも思った。 それは不味い。 ボクは習い性というか、自分でも感心するが、こんな状況でも碁の勉強は怠らない。 進藤とネット碁を打つのも嬉しいし(直接会ってしまうとどうしても抑えられない) 公式対局も連勝している。 しかし進藤は、最近奮わなかった。 黒星が目立つほどではないが、「勝ってもおかしくない」といった程度の対局は 必ず落とす。 「進藤五段はちょっと不調だね」、碁会所のお客さんにまで言われる。 結果だけ見れば「ちょっと」だが、内容をよくよく検討すれば「相当」だ。 考えた末、ボクは進藤と、そういう意味では会わないことにした。 彼が他の人とのセックスに溺れて碁から離れていくようならまた考えなければならないが 少なくとも、自分自身で進藤を堕落させたくはなかった。 とは言え、覚えてしまった性欲が容易く抑えられる筈もない。 かと言って結婚を考えたいような女性にすぐ出会えるわけもなく、 今更自分の手で満足できるはずもなく。 ボクは恥を忍んで、プロの女性にお願いすることにした。 ……おかしい。 最初は生まれて初めての本物の女性との性交に無我夢中だった。 柔らかい肌、いい匂いの髪。 ほぐさなくても滑らかにボクを受け入れる部分。 だが、すぐに自分で気付いた。 ボクは、彼女に満足していない。 あの、我を忘れてしまう感覚。 理性が体力の限界を報せるのに、それを軽く凌駕して勝手に動く腰。 足の先から頭のてっぺんまで突き抜けるような、 白目を剥いて気絶してしまいそうな、快感。 そういったものがない。 射精しても、進藤との時の満足感にはほど遠い。 やめられない、し続けたい、とまでは思えない。 それでもボクは、まだ楽観的だった。 プロでも初心者の人はいるだろう、進藤の言う「身体の相性」とやらも 多少はあるだろう……。 しかしそれから何人の女性としても、結果は変わらなかった。 「オレ、怖い」 「それ、最近良く言うね」 「オマエは怖くねぇの?」 ボクはまだ、進藤の言うことを真に受けなかった事になっている。 女性と試したのも秘密だ。 「何が」 「爆発しそうなんだけど」 「……」 碁簾の中で、自分の指がぴくりと震える。 「何で、させてくんねえの?」 「場所をわきまえろ」 近くに人がいないとは言え、父の碁会所だ。 開店中、ギャラリーが沢山いる時はさすがに進藤も控えていたが お客さんが帰ってからは冷や冷やする程落ち着かない。 「このままオレを生殺しにするんだったら、いつ襲いかかってしまうか 自分でも分かんない」 「物騒な事を言うな」 「マジだぜ。分かるだろ?」 「……ああ」 分かる。本当は、ボクだって。 進藤が襲いかかってくれば、人前だって射精してしまうだろう。 だが。 「ボクが一番怖いのは、キミが碁を打たなくなってしまう事だよ」 「……こんな状態じゃ、気もそぞろで余計打てないよ」 「そうでもないだろう?戦績は上がってる」 「他に発散しようがないから!これ以上焦らされたら、今度はがた落ちだから!」 したいのはこっちも同じなんだ!! と叫びたいが、進藤の言っていることが本当だったら、と思うと落ち着かなくなる。 ある程度セックスを断つのもいい、けれど偶にはした方が良い。 でも、今したら、なし崩しにまた会う度にやり続ける生活に戻りそうだ。 ……また、そうなってしまいたいと、自分の奥底から求める声があるのが辛い。 「……アキラく〜ん、進藤くん、そろそろ帰るけど」 傍目にはさぞや真剣に打っているように見える事だろう。 市河さんが、遠慮しながらという声色で遠くから声を掛けてきた。 「あ……あと少し、打って行きます」 「そう?じゃあ鍵、お願いしていいかしら」 進藤の目が、きらりと光る。 まずい。市河さんが出ていった途端、押し倒して来そうだ。 ボクだって、頭では分かっているが体は抵抗出来ないと思う。 「あの!市河さん、この後予定あるの?」 「う〜ん、特にはないけれど」 「じゃあ、もうちょっと待ってくれない?もう少しだから」 「塔矢!」 もうやる気満々だった進藤が、悲鳴のような声を上げる。 「進藤。今の盤面、どう思う?」 「そんな事!……えっと、オレが、……いや今は五分五分だな」 「ボクも客観的に見てそうだと思う」 元々進藤が優勢だったが、会話中に打った一手が失着だった。 不真面目なことを考えているからだ。 「もしこの後ボクに勝てたら……今日は、家に泊まっていい」 「マジで?!」 進藤の顔がぱあぁっと輝いた。 「すっげー久しぶりじゃね?一ヶ月以上ぶり?二ヶ月近い? うわオレ、帰りの地下鉄の中で我慢出来るかなぁ」 「おい、」 「やっぱタクシー呼ぶか。塔矢、後部座席で握っててよ」 「進藤。キミが勝ったら、だぞ」 睨んでみたが、どこか濡れた視線になったかも知れない。 進藤の欲情に感染するのを、防ぐのも隠すのも難しい。 それからの進藤は、怒濤の攻めだった。 これほど気合いの入った対局は、公式戦でもここしばらく見ていない。 結果、ボクは負け、 一緒に家に帰って…… 玄関の上がりがまちは痛かった。 二回目は漸く居間。 布団を敷かせて貰えたのは、三回目以降だった。 「なぁ塔矢」 「……ん?」 「昨日、もしかしてわざと負けた?」 「まさか」 即答したものの、実は自信がなかった。 ボクが、指導碁ならまだしもプロ棋士との対局で手を抜くはずがない。 だが……自分が勝ってしまったら、今日出来なかったら…… そんな事辛すぎると、思ったのは確かだ。 「……キミが強かったんだよ。気迫ある一局だった」 「うん、オレもそう思う。モチベーションが物凄かったからかなぁ」 「進藤」 ボク達のプライベートの対局では、ボクの勝率が七割。 勝てば嬉しいが、進藤にももう少し頑張って欲しいとも思う。 「ん?もう一回する?」 「これからは、ボクとの対局でキミが勝ったら、する事にする」 「ええっ?!」 進藤の碁の研鑽を薦めつつ、偶に発散するには、これしかない。 碁会所で咄嗟に思いついた事だが、実際してみると 思った以上の効果があった。 「うっそー。むごいぜそれ」 「したくなったら、勝てば良いだけの話だ」 「そんなの、四六時中だよ!第一勝ちたいからって勝てる訳ないじゃん!」 「そこはキミ次第だ」 にこりと微笑んでみると、進藤はひでえとか何とか言いながら それでも納得せざるを得ない様子だった。 彼は、ボクも彼の体に溺れている事に、まだ気付いていない。 「じゃあ、最後にもう一回」 「待て。したかったらその前に碁盤を出せ」 「まじでぇぇぇぇ!」 これからは、今まで以上に進藤は強くなるだろう。 それはボクの望むところだ。 だが……。 久しぶりに触れた進藤の体。 堪らなかった。 快感に気を失いそうになりながら、それでも貪ってしまう。 ボクの全身の細胞が、飢えた獣と化していた。 ボクにとっては、これからが辛い戦いになるだろう。 進藤と戦いながら、自分の負けたくなる気持ちとも戦わなくてはならないから。 「ぜっってー負けないからな!」 ボクだって、負けない。 キミにも、 ボクにも。 誰にも。 キミのウィークポイントがボクにとっても弱点なのだと、 いつかキミに気付かれる日まで。 -了- ※エロティシズムってこんなんではないと思います。 でも、なかなか思い浮かばない。
|