33.もう優しくしないで どちらかと言えば、塔矢は愛想がない方だ。 と、不意に気が付いた。 年上の棋士と話す時も、取材の時も、いつも微笑を浮かべているから 誰もそんな印象は持ってないだろうけど。 よく見ていると、自分からは何も話さない。 聞かれた事にははきはきと答えるけれど、棋士同士の話でも、 相手の碁の内容以外に関心を示す事がほとんどない。 それを、詮索をしない、奥ゆかしくて品の良いキャラだと思ってる人は 多いだろうし、オレもそう思ってたけど、 今になってみると相手を馬鹿にしてたんじゃないか、という気がしてきた。 「え。オマエ、今更気が付いたのか?」 和谷は、さも当たり前のように言う。 そう言えば、コイツは前々から塔矢は性格が良くないって言ってた。 オレは、そんな事は割とどうでもいいんで気にしてなかったけど。 オレ、塔矢の何を見てたんだろ。 塔矢のどこを好きになったんだろ。 高永夏や陸力に、よく笑いかけてる塔矢の横顔を見ながら、 ぼんやりと思う。 「お。進藤、そろそろ始まるぞ」 「おう」 三つの卓で、中国選手団と韓国選手団がそれぞれ向かい合って座っている。 若い子だな……。 一応事前に下調べはしたけど、中国の三将と韓国の副将と三将は それまで名前も知らなかった。 でも、過去の棋譜を見てみるとそれぞれなかなか面白い手を打つ。 手堅さと奇抜さのバランスが各々特徴的で、こいつらがぶつかったら 一体どうなるんだろう、とワクワクするようなキャラだった。 そんな事を思いながら袖に立ってると、スタッフの人に 壇上に上がるように促された。 『そして解説は、塔矢先生と共に、第一回北斗杯を戦われた 進藤先生です!』 司会が、塔矢やオレに名人とか本因坊を付けないのは、 タイトル保持者が解説をするという異例を目立たせないようにするためだろう。 今回の主役は、あくまでも選手団だ。 拍手に、手を振って応えるような抑えるような微妙なリアクションをして マイクを掴む。 『よろしくお願いします。今回、団長は塔矢先生に取られましたが、 解説の方が目立ちますから……』 会場の賑やかなムードに合わせて適当な事を言っていると、 視界の隅で塔矢がこちらを睨んでいるような気がした。 「お疲れーっす」 「お疲れー。和谷も最後まで見ててくれたんだ」 「うん。てか『碁滴』の取材の伝言頼まれた」 「そうなんだ。何?」 「今日の日程終わってから、塔矢と対談してくれってさ」 「ええーマジで?もう帰りたいんだけど」 解説にもそれなりに気ぃ使って大変だったのにさ。 明日もあるしもう帰りたい……っていうか、今は塔矢と顔を合わせたくない。 緒方先生のせいで、いや自業自得なんだけど、ただでさえ気まずいし。 高永夏や陸力と話していた笑顔を思い出すと、こちらもムカつくし。 「ま。頑張れよ。お・仕・事」 「ああ」 「あ、進藤先生。お疲れの所申し訳ございません」 「いえいえ。団長に比べたら解説なんて気楽なもんですよ」 「ですか?塔矢先生、本当に重ね重ね、」 「そんな、滅相もない。誘っていただいて光栄ですよ」 ホテルのロビーで、フリーペーパーの記者の人と待ち合わせて 既に来ていた塔矢の向かいのソファに座る。 塔矢に「お疲れ」と小さく声を掛けると、軽く目礼を返してくれた。 名刺交換と簡単な挨拶をして、棋院の許可や発行日とかの事務的な話をした後、 真顔と笑顔で、何かを話しているようなポーズで何枚か写真撮影した。 その後、ICレコーダーが回される。 「お二人とも、よろしくお願いします。まず、弊誌をご存じでしょうか」 「知ってますよ。女性向けですよね」 「はい、女性向けです(笑)」 「女性向けの話題を提供した方が良いんでしょうか?」 「いえいえ。お二人とも実力十分のイケメン棋士として 有名でらっしゃいますから、それでもう十分」 「でも、一応女性の好みのタイプとか、結婚したい年齢とか(笑)」 「助かります(笑)」 そんな紙面が想像出来るような、和やかな会話が続いたが、 やっぱり塔矢はほとんどしゃべらない。 にこにこと聞いているようでいて、どこか冷めているようにも見えた。 「ええっと、それでは、お二人で今回の北斗杯をテーマに、 自由にお話していただければ」 「自由にですか。難しいなぁ」 「今回は世代交代というか、全選手九名の内、五名が 初出場というのが面白いと言えば面白いよね」 「ああ、そうだな」 やっと塔矢が喋りだして、それからしばらく各国の選手の見所の話をして。 聞かれるかなぁと思ってた事を、やっぱり聞かれた。 「ところで、団長が全員第一回北斗杯の大将というのは如何でしょうか?」 これに関しては主催者の意向が絡んでるらしいし、 また確実な話じゃないから何も言えない。 かと言って偶然と流すにはちょっと。 「それは……なあ」 「次回は進藤さんが団長をすればいいんじゃない?」 「……ああ、そうしたら、当時の副将が集まったりして」 塔矢が助け船を出してくれたけど……いきなり「進藤さん」。 ってナチュラルに呼ばれて、一瞬返事が出来なかった。 こんな風に呼ばれたのは、初めてかも知れない。 今までは普通に「進藤」、人前で話すときも「進藤くん」だったと思う。 普段とは違う優しげな、柔らかい口調といきなりの「さん」付け。 ……直感的に、違和感と距離を感じた。 とほぼ同時に、これは高永夏に対する態度と同じだ、とも思う。 本当は親しくないから、人に見られている時は親しげな口を利く。 優しい態度をとる。 そうか……。 コイツの優しさは、心の距離に反比例するのか……、 と思うと、高永夏や陸力と親しげにしていたのも許せるっていうか 許すとか許さないとか言える立場じゃないけど。 なんて喜んでる場合じゃないよな。 やっぱ緒方先生に何か聞いた、んだろうな。 オレの劣情に気が付いて、警戒してるんだろう。 関わらない事ではなく、関わることによって、 こうして会話をする事によって、 他人には……この記者の人にも誰にも分からないように…… 「キミとボクとは他人だ」、そう言いたいんだろう。 ……いいよ。 碁にしか興味が持てないオマエ。 誰にでも、甘い微笑みを見せるオマエ。 でも、心の中には誰も踏み込ませないオマエ。 安心しろ。 オマエとオレとは、他人だ。 「……まあ、棋力はともかく、指導に関しては『塔矢さん』には敵わないし」 「そうなんですか?」 「ええ。次は名人貰いますよ」 「いえ、指導の方なんですか」 「塔矢さんはニコニコしながら厳しいですからね、オレは逆に、 怒りながら結局甘いから、本人の為にならない」 「別に厳しくないし、ニコニコもしてないと思うけど」 「してるよ。敵の団長にだって優しいしな」 「話を戻して頂いてありがとうございます。 そう言えば、塔矢先生は高永夏さんや陸力さんともお親しいご様子でしたね」 「ええ、まあそれなりに」 優しい笑顔を見せる程度に。 けれどオレは、おまえに微笑んで欲しくなんかなかった。 「さん付け」なんかで呼んで欲しくなかった。 いつでもいつまでも、「進藤!」って怒鳴りつけて欲しかった。 でも、もう、 戻れないんだな……。 一週間ちょいほど経って、そのフリーペーパーを貰った。 対談の写真は、オレが笑顔バージョン、塔矢が真剣な顔のものだった。 よし、よし。 それが嬉しくてオレは、引き出しに大事にしまって、 時々取り出して見つめるようになった。 まるで、失ってしまった宝物のよすがを見るように。 ……今日の一節…… 口でけなして心で褒めて 人目しのんで見る写真 --了-- ※なんか寂しい話になりました。
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