20.白手袋 「進藤」 オレの部屋で名人戦の録画を見終わった時、隣にいた塔矢が声を掛けてきた。 「何?」 「キス……していいか」 「はぁ?」 いきなり何言い出すんだコイツは。 冗談を言い慣れてない奴はやっぱりセンスないなぁ。 なんて思いながら青ざめた顔を見てたけど、塔矢はいつまで経っても笑い出さなかった。 「それは、冗談?」 「……いや。冗談じゃ、ない」 「う〜んと……」 冗談じゃないとしたら、何故オレにキスをしたがる? それっておかしくね? 欧米の人ってびっくりするくらい簡単にキスしたりするけど、そんな感じ? ……いや、理由なんか聞かない方がいいな。 ドツボに填りそうな気がする。20年以上生きてきたオレの勘。 「悪いけど、やだ」 「そうか……」 塔矢は、いつものキツくて厳しい表情からは想像がつかない程、 儚げに俯いた。 コイツでも、こんな顔するんだ……。 なんか、オレの方が悪い事したみたいじゃん。 でもそう言えば、コイツに何かを頼まれたのって、初めてかも知れない。 今までは、「キミの義務だろう」とか「キミにとってもいい話だろう」みたいな 頼むというよりはどこか高飛車に命令されるような言われ方しか覚えがない。 なのに今は……なんか、気の毒したかな。 「塔矢、ハンカチ持ってる?」 「……ああ」 「くっつけなかったら、いいぜ」 「え?」 「ハンカチ越しだったら、キスっぽいけどキスじゃない事してもいいっつってんの! はずいから言わせんなよ」 塔矢は困ったような嬉しそうな、微妙に可愛い表情をして頷いた。 オレまで恥ずかしくなるじゃん。 男にキスされるって、あり得ないよなぁ。 そういう意味では自分でも何言ってんだって思うけど。 相手が塔矢となると、ちょっと違う。 毎週のように会っていながら、非日常というか。 男というよりは、オレの碁に対するモチベーションが形になったモノって感じ。 碁以外の事で、人格みたいなものが感じられないんだ。 コイツの碁と、コイツの行動とか所作があまりにもシンクロしてるってのもある。 だから、コイツのキスって言っても人形とのキスみたいなもんしか思い浮かばない。 それなら別に、いっか、なんて。 そんな事をオレが思ってる間にも、塔矢は口元に畳んだハンカチを当て、 もう片方の手をオレの首の後ろに回した。 「失礼」 ちょ、ちょっと待てー! 思いがけず、本格的なキス。 何度も顔の角度を変え、ハンカチ越しにオレの唇を探るように 塔矢の唇が開いたり閉じたりする。 顔を引き寄せていた首の後ろの指が、髪の毛に差し込まれた時 思わず押し返してしまった。 顔が熱い。 コイツ、思ったより「男」だったー! こんなんだって分かってたら、絶対断ったのに! 次に、「キミの部屋で検討したい」って言われた時も、 嫌な予感がしないでもなかったんだ。 でも、「ハンカチ越しにキスされるのが嫌だから」なんて言ったら なんか頭がおかしいみたいで言えなかった。 塔矢は案の定例のキスもどきを要求してきた。 しかも、前回あまりにも感触がなかったからって、折り目を一つ開いて。 その感触が嫌だから、ハンカチ越しなのに。 半分の厚さになったハンカチからは、塔矢のなま暖かい息と 湿気が伝わってきて……何とも言えない気分だった。 「進藤……申し訳ないが、遅くなってしまったから泊めてくれないか」 危険、危険すぎるだろー! 「変な事されそうで、やだ」 「しないよ。これまでだって、キミが嫌だと言ったことはしなかっただろう?」 「……わざとバスの時間忘れてたんじゃねーの」 「その点は、認める」 塔矢に申し訳なさそうに笑われると、なんかそれ以上に怒れない。 碁では恐ろしい程に譲らないのに、こんな顔って反則だよな。 オレは今更ながらに塔矢のことを何も知らなかった事に、気付いた。 塔矢は囲碁マシーンじゃないんだよな……。 十代の頃は自分で自分をマシーンにしてた所もあるけど、 そりゃ、いつまでもそのまんまじゃないよなぁ。 「……布団一つしかないから、ソファで寝ろよ」 「分かってる」 なんて油断してたら。 電気を消した途端、塔矢がこちらに降りてきた。 「進藤」 「やだって言ってんじゃん」 「何も言っていないだろう」 「絶対布団になんか入れねーからな」 「入らないよ」 塔矢が布団の上から覆い被さってきて、オレの耳元に囁く。 「でも、布団の上からなら、いいだろう?」 何がだ!と言いたいけれど、布団越しなら、何をしようと関係ない。かな。 なんて考えていると、塔矢は上からオレを押さえつけたまま 何やらもぞもぞしだした。 「重いっての!暑いっての!」 文句を言うと、しばらく布団巻きのオレを抱きしめた後 すっと離れてソファに戻っていった。 「今は、この位で我慢しておくよ」 何が「今は」だ!! その言葉の意味を、オレは数ヶ月掛けて理解する事になる。 最初に布団越しの事を許したのは、後で思えば悪手だった。 季節が移って布団が毛布に、毛布がタオルケットになっても 塔矢はオレを抱きしめ続けたんだ。 タオル地越しにオレの体をなで回し、腕に、足に、顔をつけては 感触を楽しんでいる。 それにその頃になると、塔矢は……堅くなってるのを、オレに隠しもしなかった。 布地越しに押しつけられて、なんて顔をしていいのか分からない。 でも、これまでの経験から布を越えて来る事はないと分かるので 文句も言いにくい。 感心にもキスの時も、ハンカチは欠かさなかった。 いつの間にか畳む回数が減って、布一枚になってるけど。 ハンカチ越しに、舌が入り込んでくる。 布が唇を押し広げて、湿った冷たい布がオレの歯や、舌に触れる。 終わったあと、真ん中がぐっしょりと塔矢(だけではないけど)の唾液で湿ったハンカチ。 きたねーなー、とうんざりしながらそれでも最近、 麻痺している自分、楽しみ始めている自分にも軽く呆れる。 「進藤」 「やだ」 「プレゼントがあるんだ」 「……え?」 思わず聞き返すと、カバンの中から薄い包みを取り出した。 パッケージを取っていくと、中から高級そうなつやつやしたシーツが現れる。 「夏は、タオルケットよりシーツの方が良いと思うんだ」 「何がだよ!」 「キミ、Tシャツも着てるしいいじゃないか」 「……脱がせるなよ」 「当たり前だ。というかシーツ越しに、無理だろう?」 オレの見通しは甘かったんだろうか。 塔矢は、シーツ越しに……オレの首や耳を、舐めた。 舐めたのが分かったのは、例によって布が冷たく湿ったからだ。 それから、オレの足の間に手を伸ばして、 ……どうして最初にはっきりと断らなかったんだろ。 どうして、布越しなら何をしても良いような雰囲気になってしまったんだろう。 「はぁ……うっ、」 今やはっきりと堅くなったオレを、塔矢がもみほぐすように刺激する。 「やめて」と言ってもいいけれどそれじゃ女の子みたいで、 オレはただ、シーツの端を噛みしめてじっと耐える。 いつの間にか服を脱ぎ去った塔矢が、堅い物を更にオレにすりつけて 腕立てでもするように腰を動かし始めた。 これは、まるで。 「ああ、はぁ、進藤……シーツ、取っても、いい?」 「だめだっ……つーの!」 自分の声が、ひっくり返りそうなのが情けない。 塔矢の声を機に、シーツの中で体を丸める。 一番触って欲しくない場所を隠したつもりだったのに、 一番触って欲しい場所でもあっただろうと、心の中の悪魔が囁いた。 それからしばらくして、塔矢が白い手袋を持ってきた。 タクシーの運ちゃんとか、手品師がはめてるような奴だ。 何に使うかが簡単に想像出来て。 オレは末期だと思った。 「絶対に、触らないから」 こちらがまだ何も言ってないのに、手術をする前の医者みたいに ぎゅっと白手袋をはめて指を動かしてみている。 その様子が何だか怖くて、黙っているとこちらを向き直った。 獲物を見つけた、虎の目だ。 ゆっくりと近づいて、手袋の指でオレのシャツのボタンを外す。 「おい、本当に、」 Tシャツを捲り上げようとするので、それは手で制して自分で脱いだ。 「何するつもりだよ」 「大したことじゃない。今までと、同じだよ」 手袋の手で、オレの素肌の肩を掴む。 さらさらしたような、ざらざらのような、綿の感触。 その布越しの、ほの暖かい体温。 押し倒されてしまうと「今までと同じ」とはならないような悪い予感がして 自分で布団に横たわる。 塔矢は、オレの足の間に膝を突いて腹や胸を、撫で回して行った。 なんだか、不思議な感触だな。 布で出来た手で触られるのって。 小さい頃、遊園地で着ぐるみに抱きしめられた事を思い出す。 人だけど、人じゃない。 掌だけで触れられているせいか、シーツ越しに抱かれるより嫌じゃなかった。 でも。 その内、塔矢がオレのベルトを。 「おい!」 「触らないよ」 塔矢は、男でもうっとりするような笑顔をこちらに向けた。 初めてだぜ、オレにそんな笑い方してくんの。 何だか、何も言えなくなる。 パンツもボクサーブリーフも下ろされると、オレは何故か半勃ちだった。 そこにふわりと広げたハンカチを乗せ、躊躇いもなく口に含む。 白手袋のせいもあるけど、何だか手品師みたいな仕草だった。 布越しの唇の、もどかしい感触。 オレはもう抗う事も出来ずに快楽に身を委ねる。 唾液が……ハンカチに染みた塔矢の唾液がオレの物を濡らして根本に垂れ その冷たい感触に、オレはこれまで以上の興奮を覚えた。 「キミといると、喉が乾く」 枕元のペットボトルから、水を一口含む。 そりゃ毎回ハンカチやシーツに大量に唾液を吸わせてるからな。 「ああ……きつい」 手袋でオレの足を広げ、ハンカチをかぶせたオレに、先走りか何かで べとべとに濡れたモノを重ねる。 いつの間に自分も脱いだんだ……。 って! 「おい……動かしたら、ハンカチが取れるぞ」 「……」 オレももどかしい気分になっているが、仕方がない。 そういう約束だ。 一枚を越えて触れないこと。 例えお互いがどんな状態になっていても、それは破りたくない。 「……ちょっと待ってて」 立ち上がった塔矢が、カバンから…… セロファンの小さな四角いパッケージを出してきた。 「ゴムをつけたら、触らないよな?」 後日棋院。 「これ程一緒にいる時間が長いのに、キミはまだキスも許してくれないんだね」 「気色悪い事言うな!普通男同士でキスなんかするかっての!」 「そうだけど。キミ、よく見たらなかなか可愛いから時々したくなるんだ」 周囲の人が、くすくすと笑う。 傍目には、塔矢名人にからかわれて本気でキレちゃってる進藤本因坊だろう。 「誤解されるような事言うなよな。ホモだちと思われるぞ」 「別にボクは構わないが」 「オレが構うっちゅーの!」 馬鹿馬鹿しい会話をしながら、 オレ達は本当に、その縁に危ういバランスで立っているのかも知れないと思った。 -了- ※そう思ってるのはヒカルだけで、実際はどっぷりがっつりです。 (ヒカルは布越しゴム越しなので、まだ何もしていないも同然と思っている) (ああ、説明してしまった) いかに白手袋をつけさせるかが最大の課題でした。 で、この無理無理な設定。 ゴムをつけたのがヒカルなのかアキラさんなのかが、ヒカアキとアキヒカの分かれ道です。 どっちでもいいです。
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