084:鼻緒 バンッ!! 思わず強化ガラスを掌で叩いてしまうと、進藤がとびすさって怯えたように こちらを見た。 「ど、どしたの?」 「あ・・・いや・・。」 「叩くなよ。割れたらえらいことだぜ?」 その脳天気な物言いが余計に腹立たしいというものだ。 こうなったら・・・言ってやる。何もかもキミのせいだと。 「で、急に何だったの?」 「この落書きなんだけど。これはな、ハングルと言って韓国の文字だ。」 「へぇ〜。」 「それだけか?」 「や、だっていつか誰かが書いたんだろうな〜と。」 「バカか!これはさっき書かれたんだ!秀英はボクと対局していたから、 これを書いたのは永夏という事になる。」 「それで?」 「あのな、驚くなよ。」 「?」 「永夏も、本気でボク達がそういう関係だと思っているようだ。」 「え・・・!そういうって、そういう?」 進藤は気味悪そうに体をひいてボクを見つめ、ありえねー!ありえねー!と バカの一つ覚えのように繰り返した。 「緒方さんだけじゃなくて永夏にまで誤解されてんの?」 「ああ。あと、言いにくいが恐らく社も。」 「えっ!何でだよっ!」 「キミのせいだ。」 もういい加減にして欲しかったが、進藤がボクの首に付けた口の痕のことを説明すると、 しおらしくなった。 「そっか・・・ゴメン。全然気が付いてなかった。」 「済んだことは仕方ない。」 「でも大丈夫だろうなぁ?まさか噂広まったりしないよな?」 「永夏と社に関しては知らないが・・・緒方さんはこういう事に関して、 お世辞にも口が堅いとは言えないからな。」 「ああ!それでかぁ。」 進藤が急に何かが腑に落ちたように顔を輝かせて、ぽん、と手を打った。 「何だ?」 「今朝早く塔矢門下の芦原さんって人から電話があったんだ。」 「え!キミの自宅へか?」 「そう。」 「で何て?」 「いきなり『アキラくんを不幸にしたら許さない』とか何とか言ってきてさ。」 「う・・・。で、何て答えたんだ。」 「いや、別におまえの未来をオレが握ってる訳じゃねぇからさ、『する訳ない』って。」 言いながら自分で状況を悪化させたことに気付いたのか、 だんだん声が弱々しくなる。 「・・・・・・。」 「やっぱ、マズ、かった?」 「拙いなんてもんじゃないだろうね。彼は緒方さん以上に口の軽いお祭り男だ。」 「ゲッ!」 「それでか・・・。」 「今度はおまえの方?何かあった?」 「今朝方、庭下駄の鼻緒が切れた。よくない事が起きなければいいと思っていたが。」 「下駄は言いふらしたりしないぞ。」 「それがだ。母がすげ替えながら『この下駄にこの鼻緒』って言って。」 「?」 「その後『それは進藤さんに失礼かしら?』って。」 「意味が分かんないんだけど。」 ボクだって今まで分からなかったが、今思うとあれは遠回しに進藤とボクが お似合いだと言っていたんだ。 何か浮き浮きしていると思ったが・・・って進藤は男ですよお母さん! 「とにかく、緒方さんか芦原さんか知らないが母に告げ口したんだ。 ということは、父も知っているんだろうな・・・。」 「うわぁ・・・。」 「塔矢門下は諦めた方がいいな。訂正するにしても後回しだ。」 「・・・多分森下門下もな。」 「?」 「芦原さんとうちの冴木さんって仲良いんだ。まあ冴木さんはそこまでは口軽くないけど。」 「後でその人に電話しておけよ。」 「あと、社が関西棋院で言いふらしたりしなきゃいいんだけど。」 「永夏が韓国棋院で言いふらす事の方が心配だ。キミはまだしも、ボクは塔矢行洋の息子だからね。 それなりに名が知られている。」 「わー、何。それで差ぁつけたつもり?何かムカツク。」 などと言い合っていたが、二人で話していても妙案も出ない。 お互いに疲れている事でもあるし、交代ごうたいでシャワーを浴びる事にした。 熱い湯を浴びながら、とりあえず明日永夏に会ったら口止めをしようと思った。 彼自身にはもう誤解されても何でもいい。 噂が広まらないことの方が先決だ。 そんな事に考えを巡らしつつ髪を拭きながら出ると、先に浴びていた進藤は 既にテレビを点けてくつろいでいる。 それを見ていると普通に友人同士で旅行にでも来たようなのんびりした雰囲気だ。 ボクも当面の悩みが遠ざかる気がして、このまま忘れてしまいたくなる。 と、その時電話が鳴った。 短いコール、これは内線だ。 カチャ。 「・・・もしもし。」 『・・・塔矢?』 「秀英か?さっきはどうも・・・。」 『あの、まだ、その寝て・・・なかった?』 「ああ、二人ともシャワーから出てきた所。」 進藤もいるから彼に用事なら電話を代わるよ、という意味で言ったのだが 秀英は電話口の向こうで息を呑んだ。 『・・・・・・ボク、』 「?」 『さっきまではどうしてもそんなの受け容れられないって思ってたけど!』 「そんなの?」 『永夏にずっと言い聞かされて、そういうのってボクが口を挟む問題じゃないし』 「ちょっと待ってくれ。」 『ああそうじゃなくて!何て言うか、愛の形は色々だし、』 「ええっ?」 『その、とにかく二人を祝福するってのだけ伝えたくて!邪魔してゴメン!おやすみ!』 「ちょ、ちょっと!」 ツー。ツー。ツー。 「・・・・・・。」 「塔矢?秀英何て?」 「いや・・・。永夏の口がボク達が思っていたよりもずっと軽いって事が分かったよ・・・。」 「・・・秀英に言っちゃった、んだ・・・。」 「そして秀英の頭も豆腐みたいに柔らかいらしいぞ。」 「へ?」 「ボク達を祝福するって。」 「って・・・信じるなよ〜!」 碁でも、一度下手を打ったり、不利になった時に腐ってしまって集中力が途切れると、 そこから盛り返すのは難しい。 その後の進藤はまさにその状態だったと言える。 冴木さんという人に弁解する為に電話をしたのだが、どうも気概が欠けていた。 どこから掛けてるんだと聞かれたらしい時に、バカ正直に塔矢とホテルに泊まっていて 夜景がきれいだなどと言ったのだ。 ボクは室内履きで頭を殴りたくなった。 「や、でも和谷は知らなかったって言ってたぜ。」 「って事はその冴木って人が和谷くんに言ってしまったという事じゃないか!」 「・・・あ。」 ・・・疲れた。 結局、今日はもう動かない方がいい。 というかこれ以上手の打ちようもない。 寝るしかない。 という話になった。 「しっかしおまえのTシャツ姿ってレアだよな。」 「そうかも知れない。言われるがままに買ってしまったが、よく考えたらボクの場合 Tシャツよりパジャマの方が着る頻度は高いよ。」 「えー!おまえマジでパジャマ派なんだ!」 「ああそうだとも。」 「まあいいじゃん、今日の記念Tって事で。」 「冬になったらワイシャツの下に着られるけどな。」 などとどうでも良い話をしていると、進藤がTシャツを脱ぎ始めた。 「おい。」 「ああ、だって温かいし。言っただろ?裸で寝るのが好きって。」 「そうだけど。」 それで社に誤解されたというのに。 「今更じゃん。誰も見てないし、それにこれ以上どう誤解されるってんだよ。」 「まあな。」 「おまえも脱いでみ?気持ちイイから。」 本当に。ボクももうどうでもいいかという気持ちになって、言われるがままに脱いで ベッドに潜り込む。 「な?結構開放感だろ。」 「ああ。」 「シーツも一昨日の部屋のよりツルツルしてる感じがする。」 「そうだな。」 それから進藤は黙って中でごそごそしていたかと思うと、 「ちゃらっちゃちゃららら〜」などと歌いながら・・・ 布団から出した手の指先には、トランクスを引っかけていた。 「全部脱いだのか?」 「うん。」 「どうして。」 「気持ちイイから。」 「ふ〜ん・・・。」 だから、ボクも脱いだ。 確かに凄く気持ちがよくて、文字通り何か一皮剥けたような開放感の中、 二人でベッドの中で跳ねて、スプリングを楽しんだ。 「あの・・・オレな、もういいよ。」 子どものように一通りふざけて笑い合ったあと、進藤がぽつりと口を開いた。 「何が。」 「だからその、」 「・・・・・・。」 「・・・・・・女紹介してやるとか最近そういうの多いんだけど、」 「・・・・・・。」 「正直ありがた迷惑だし・・・。」 「それは、つまり、」 自慢か? 「じゃなくて、おまえと付き合ってるって事にしても、いいんじゃないかって。」 「ええっ?」 「だってこんだけ知れ渡ってたらもう。」 「・・・・・・。」 「弁解したり口止めしたり、何もかも面倒で。」 「・・・それは、そうだけど・・・。」 「塔矢とホテルのスイートのダブルベッドで、裸で寝たって言うよ、オレ。」 「・・・・・・。」 「・・・ダメ?」 ダメって、いや事実だからボクにそれを止める権限も何もないし。 それはほぼ間違いなく誤解を招くが、進藤の言う通り、ここまで広がった以上 これ以上悪化しようもないだろう。 それに、よく考えたら特に不都合もなさそうなのだ。 母も喜んでいたようだし(どういった形であれボクが同世代の人間と関係を持った事に) まあ父も碁以外のことは気にしない人だ。 緒方さんや芦原さんにからかわれても気にしなければいいし、 進藤サイドはおろか、韓国での事なんか知るもんか。 「よし!付き合おう。」 「え・・・あ?ああ。」 逆転の発想というものがある。逃げ隠れするだけが能じゃない。 結局ボク達は面倒を避けたいだけで、面倒を避ける一番楽な手段というものを冷静に考えてみると 後で思ってもそれは絶妙手だったような気がするのだ。 そういう訳で、ボク達は付き合い始めた。 かといって、それからボク達の関係が変わったかと言えばさほどでもないが ただ一緒にいる時間は格段に増えた。 それに二人で打っていると誰も邪魔してこなくなったので、その辺りは助かると言えば助かる。 本当に付き合っているのか疑われないように、偶に二人でホテルに泊まったり そんな時にはまた裸で寝たりするのが実はちょっと楽しみになってきていたりもして。 それに、進藤が。 ボクが側にいればよく眠れるというのだ。 そもそもこうなった最初のきっかけは進藤が眠れないと言って押し掛けて来たからで その理由は未だに謎だが、進藤が眠れるのならそれに越したことはない。 あと、付き合い始めてから知った事だが、進藤はよく寝言で「さい・・・」と言う。 「sai 」と関係があるのではないかとは思うのだが、それも問い詰めたりはしないでおこうと思う。 まあいつか話してくれるだろう。 ボク達は付き合っているのだし。 社も口が軽いと知ったのは、二人で関西に仕事で行った折に棋院名義で ハート型のケーキをプレゼントされた時だった。 −了− ※すみません。引っ張りに引っ張った挙げ句こんなオチで。 付き合っていても一緒に裸で寝ていても清い二人。 |
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