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081:ハイヒール 朝になってから進藤から電話が掛かってきた。 「向こうはチーム全員で見に来るらしいからさ、お前も高永夏と対局出来るかもしれない。」 「団長も来るのか?」 「いや団長は帰国したらしいけど、林日煥も残ってるらしい。倉田さんは今日用事があるみたいだし、 正直一人じゃ心細いんだよ。」 「そうか。社くんは学校だから昨夜の最終で帰ったしな・・・。」 「だから、来てくんない?」 実は誘われなくても行くつもりだったのだ。 尹先生の電話番号も調べたし、今にも件の碁会所の場所を聞こうと思っていたところだ。 午前中に棋院で待ち合わせた。 碁会所に向かう途中、進藤が何気ないフリをして言う。 「・・・オレも、もっかい永夏と対局出来るかな〜。」 「さあ、相手次第だろうけど。」 「アイツだけには、負けたくなかったんだ。」 「公式戦で勝てなければ意味ないだろう?」 「そうだけどさ。」 「それに身長で負けてるじゃないか。」 「!カンケーねえだろ?」 進藤は怒ったように足を早めた。 違う違う、そんなことを言いたかったんじゃない、キミが永夏に負けてるとすれば身長ぐらいだと 気軽に慰めたかったんだ、ああどうしてボクは。 でもどうしよう、どうしよう、と逡巡していると振り返って 「ハイヒールでも買ってって対抗するか?」 と言ってニカッと笑った。 先方は既にチーム全員が揃っていてしかも尹先生までいらしていた。 「先生・・・。」 「塔矢くん。昨日はお疲れ様でした。とてもいい対局だった。」 「恐れ入ります。」 「今日は秀英の我が儘に付き合ってくれるんだね。」 「いえ、ボクも楽しみに来たんです。」 と言って、韓国チームのメンバーに向き直る。 「昨日はお疲れ様でした。今日はよろしくお願いします。」 拙い韓国語で挨拶をし、全員と握手を交わした。 進藤もそれに習ったが、高永夏と向き合ったとき、やはり一瞬間があく。 永夏は「フン」と鼻を鳴らして自分から進藤の手を取ったが、 それが却って子どもっぽく映った。 その時隣の秀英が目に入った。 彼はまず進藤を睨み、次に何故か永夏を睨んでいる。 だがボクの視線に気付くと驚くほどの早さで表情を切り替え、 その幼い外見に似合わぬ苦笑、と言える表情を浮かべた。 「ええと、まず昨日の棋譜でも並べてみましょうか。」 尹先生が言う。 打ち解けない空気を和らげようという配慮だろう。 ボクもこのまま打つのはどうかと思っていたので嬉しい。 椅子を引いて日煥と向かい合う。 鋭い目だ。 この男は気が強すぎる。 多少の強気は勝負事に向いているが、過ぎれば障る。 そんな風に思ったので、にこりと微笑むと、たじろいだような顔をした後、 おずおずと強張った微笑みらしき物を浮かべた。 意外と可愛いじゃないか。 それでいいんですよ。 隣の席では永夏と進藤が向き合っていた。 和んだこちらと違い、異常に緊迫した空気が漂っている。 火花が散りそうだ。 だが、諍いが始まるわけでもなく(言葉通じないしな)、無言で頭を下げて石を並べはじめる。 「あ、おい、塔矢。検討っても言葉通じねえしどうしたらいいんだろ?」 「尹先生と秀英にお願いすれば。」 「ああ、勿論そのつもりだよ。」 ボクも語学学校で囲碁用語を教えてくれるわけではないから検討には自信がなかったが 尹先生だけでなく、回りにぎっしり集まったギャラリーのほとんどがバイリンガルなので 彼らに教えて貰ったり通訳してもらったりできた。 それにしても隣はうるさい。 「この時ホントは焦っただろー。」 「この時キミが焦ったのではないかと言っている。」 「バカ言え。オマエの手の内なんて読めていた。」 「そうでもないそうだよ。」 「ウソつけ。そうじゃなかったらこっちを固めたかったくせに。」 「こちらを固めたかったのではないかと。」 「ホントにバカだな。最終的には交換できるから必要ないだろ。」 「そこは交換できると・・・。」 「そっちこそバカじゃねーの。その前にオレがこうしたらどーするつもりだったんだよ。」 「ここをこうしたら・・・。」 「『たら』なんてないね。負けた奴に偉そうな口叩いて貰いたくない。」 「・・・・・・。」 「んだとぉ!」 なんとなく通じてしまっているのが怖い所だ。 こちらは勿論衝突などなかったし、思ったよりもスムーズに早く終わった。 ボクもそうだが韓国チームも一晩かけて検討していたのだろう、 石を片付けながら日煥に 「今日何時のフライトですか?」 と聞いてみると 「17:28だ。」 「え!それじゃああまり時間がないんですね。」 「いや、今日帰るのはオレだけで、永夏と秀英はもう一晩滞在するらしい。」 「そうなんですか?」 「ああ。だから、」 今からオレと打ってくれ、と真っ直ぐに目を射る日煥に、 ああ自分はこの人に追われる身なんだな、と実感した。 この後の進藤と秀英の対局も見たいし、永夏とも打たせて貰いたいが、 こんな目から逃れられるはずもない。 「ええ、お受けします。」 しかしその時、入り口のベルが鳴って、出前持ちらしい人が入ってきた。 「少し早いですが食事が届いたので休憩にしましょう。」 今日はほとんど尹先生主催のようなものだな。 遠慮したが御馳走してくれると言う。 「その代わり韓国料理じゃなくて寿司だけれど。この子達は観光をする暇がなかったので 少しでも日本らしい思い出を上げたいんだ。」 「でもそんな高価な・・・。」 「私だけでなくこちらのお客さん達の奢りでもあるんだよ。」 ギャラリーの人たちを振り返る。 深々とお辞儀をすると、口々に韓国日本関係なく囲碁を応援している、 キミもキミのお父さんも応援している、というような事を言ってくれて、 心がじんわりと温かくなった。 テーブルに目を戻すと、進藤が「うひょー!寿司ー!」とぴょんぴょん跳ねていた。 キミは・・・・・・! 空気を読め! だが、次の瞬間信じられないことが起こった。 永夏が跳ねる進藤の頭をポン、と叩き、撫でたのだ。 「え・・・なに?」 進藤も驚いていたが、永夏本人も戸惑った顔をしていた。 「あ・・・つい秀英みたいなつもりで。」 「なになに?コイツなんてってるの?」 「他意はないそうだよ。」 「えー!何だよそれ!コイツ!オレのこと馬鹿にした!」 つま先立ちで精一杯背伸びしながら永夏を睨み付けるが、バランス悪く、 ふらふらしている。 しかもそれでも永夏に見下ろされている。 永夏も進藤も子どもっぽいと思っていたが、進藤の方が更に上回っていたようだ。 日本の恥め、と脱力する。 だが、永夏もその進藤の頭を力一杯押さえつけ、 「コイツガキだな。こんな奴に手こずらされたとは。」 「なにー!オマエまた馬鹿にしただろ!分かるぞ!」 キミの言葉も通じてしまっているよ・・・。永夏が更に進藤を押さえつける。 こんなとこで喧嘩してどうするんだ! どう取りなそうか困っていたその時。 周囲に居たお客さん達が吹き出した。 コドモの応酬が微笑ましく見えたのだろう。 いきなり笑われて呆気にとられている進藤に近づき、 「頑張れよ!ボーズ。」 「まず身長伸ばさきゃな。」 次々と肩や背中を叩く。 ・・・一生懸命韓国語を勉強し、失礼に当たらないように神経を使っているボクよりも。 進藤の方が軽々と国境を越える。 羨ましいな、と思った。 午後からの日煥との対局は、苦戦した。 ホームとアウェイではホームの方が強いというが、そんなものに左右されるつもりはなかったのに。 ここは日本の中の韓国。 みんな韓国日本関係なく応援してくれていると言ったが、 ほとんど韓国人だ。 何も言わなくても不思議な圧力があり、ふと、集中力が切れそうになる。 しかしやがて隣で秀英が 「・・・ありません。」 韓国語で言って頭を下げた。 進藤はこの空気に飲まれなかったらしい。 「え、今『負けました』って言ったんだよね?」 「・・・ボクは負けた時に言う日本語を、習わなかった。」 「・・・・・・そっか。」 進藤が余計なことを言わなければいいと思った。 でも斜め向かいの彼は、とても優しい顔をして石を集めていた。 隣は静かだ。 しかし二度ほど短く息を吸う音がして、嗚咽をこらえているのかと思ったが 実際は分からない。 腕組みをしてボク達の対局を見ていた永夏が、ボクの後ろを通って 秀英の隣に立った。 パチ。 ボクは目の前の盤面に気を戻した。 検討を始めたばかりだったが、日煥は「もう行かなければ」と 慌てて立ち上がる。 「残念だが。」 「ええ。また次にお会いしたときに続きをしましょう。」 「そうだな・・・。今日は、本当にありがとう。」 ボク達の間には海があり、次に会えるのはいつか分からないが きっとまたこの人と対局する日が来る。 そう思う。 「次は負けない。」 「ええ、ボクも。」 言葉は少なかったが、交わした握手は最初のものより固かった。 「さて、次の対局に移るか。」 慌ただしく検討を済ませたが、もう日差しは傾きかかっている。 高永夏に向かって立ち上がるとそれより早く進藤が 「オレと対局してくれ!」 と迫った。 「おい、ボクと対局させてくれるんじゃなかったのか?」 「だってもう時間ないじゃん!オマエは秀英とはまだやってないだろ?」 「キミこそ昨日永夏と対局したじゃないか。」 「オレだ!」 進藤が永夏ににじり寄って腕を掴む。 永夏は訳の分からない顔をして後ずさっている。 「ボクと対局して下さい!」 ボクも負けじと永夏に迫ったが、慌てて日本語で言ってしまった。 「コイツら何言ってんだ?」 「二人ともキミと対局したいと言っているんですよ。モテますね、永夏くん。」 尹先生が笑いをこらえながら通訳してくれる。 だがそんなことに構ってはいられない。 今を逃せばいつ永夏と対局出来るか分からない。 「最初の予定ではアナタと対局するのはボクでした。」 「あ、塔矢きったねーぞ!韓国語使いやがって!」 進藤はますます強く永夏の腕を引く。 一瞬反対側の腕を掴んで引っ張りそうになったが、大岡裁きでもあるまいし、と かろうじて思いとどまった。 「おいおい、オレは今日は対局しない。」 「・・・え?」 「永夏!オレと対局しろ!」 「どういうことですか?」 「秀英の対局を見に来ただけだから。」 「おい!わけわかんない言葉でしゃべるなよ!」 「でも・・・。」 「少し買い物もしたいし、このまま歩いてホテルに帰る。」 「だーーーーっっ!」 「うるさい!進藤!」 悔しかったらキミも韓国語覚えろ! しかし永夏にその気がないのなら仕方がない。 と進藤に伝えると、心底悔しそうな顔をした。 「でもそれならボクで良かったら案内しますよ。」 「え?」 「あ、でも尹先生がいらっしゃるなら・・・。」 「いや、私はここに残るから、若い者は若い者同志で。ね、永夏くん、秀英。」 「うん。ボクも塔矢に案内してくれたら心強い。」 「ああ・・・秀英がそう言うなら。」 この後はどうせ暇だし、少しでも国際親善の役に立ちたい。 「今度は何の話だよ。」 「彼らが買い物したいと言うから、ボクが案内すると言ったんだ。」 「あー!塔矢、そんな事言って、オマエ抜け駆けする気だな?」 ・・・確かに。永夏を口説くチャンスがあれば、と思わなくはなかったけれど。 「オレも行く!」 「ってキミ韓国語しゃべれないじゃないか。」 「秀英が日本語しゃべれるからいーんだよ!」 何故か異色な4人で東京の街を歩く事になった。 −了− ※自分でも分かります。「ハイヒール」お題というより必須ワード状態ですね。 しかもなんて不自然な使い方。 それにしてもこんなに恋愛もエッチもないのを書いたのは初めてでは。 |
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